昨日は、デマ垂れ流し弁護士への批判などしていたので、気が重い。
気分転換に、ギャラリーで学生の絵画作品を眺めていた。今日のBGMは、ベルン大聖堂のコンサートより、トレッリの「ソナタD」(指揮デズモンド・ライト)。
大岡優一郎『東京裁判――フランス人判事の無罪論』(文春文庫)
<インド代表のパル判事らと並び、東京裁判の最終判決に異議を唱え、孤高の反対意見を残したフランス人裁判官、アンリ・ベルナール。東京裁判を論じる書物が数多ある中、その存在が見過ごされてきたのはなぜなのか。多数派意見とも、日本無罪論を唱えたパル判事とも意見を異にし、連合国の正義の原則に真っ向から立ち向かったその反対判決文、そして知られざる彼の生き様を辿りながら紡がれる、もう1つの東京裁判史。>
おもしろい本だ。たしかにベルナールは忘れられた存在と言える。
著者は、少数意見だけではなく、ベルナールのメモをふんだんに活用しながら、東京裁判におけるベルナールの思考を紹介している。
ベルナールは厳格なカトリックに育ち、神学校で学び、生涯その思想を抱えていたようだ。息子の回想もそのことを強調している。あたかも中世のカトリックかと思えるような極端な思考の持ち主で、おまけに異端審問を支持していたと言う。今なら、かなり異常な人間と言うことになる。
だが同時に法律家であったベルナールは、フランス植民地における司法運営の実態をつぶさに知ることによって、独特の自然法思想を発展させていく。文字に書かれた実体法の空虚さと危うさを知り尽くしたためだろう。その自然法の立場から、東京裁判に臨むことによって、多数派とは異なる見解を貫くことになる。
日本無罪論として持ち上げられているパルも、日本軍の残虐行為を認定している。パルの無罪論を持ちあげる人々は、このことには触れずに、都合のよいところだけを切り取ってごまかす。
本書で、著者は、ベルナールのメモと判決を丁寧に紹介している。ベルナールは、平和に対する罪による裁きを認め、パルを批判している。戦争犯罪についての個人責任も認めている。日本に都合のいいことばかりではない。著者は、ベルナールの思索全体を見渡せるように紹介していると言えよう。
それでも、結論として「満州事変は侵略ではない」としているので、ここだけ切り取って騒ぐ人々が出てくるだろう。本書は文春文庫だ。
最後に著者は、イギリスのパトリック判事をボルドーの赤ワイン、インドのパル判事をブルゴーニュの白ワイン、そしてベルナールをプロヴァンスのロゼ・ワインに比している。この比喩の意味はよくわからないが、わからないなりに、おもしろい。