Monday, June 24, 2013

ヘイト・スピーチ処罰は世界の常識である(3)

2008年10月のジュネーヴ専門家セミナーを受けて、各地で国連人権高等弁務官主催のワークショップが開かれることになった。最初は、2011年2月9~10日、ウィーン(オーストリア)で「国民的人種的宗教的憎悪の煽動禁止に関する欧州専門家ワークショップ」である。                                                                                       参加者は、アグネス・カラマード(人権NGOの「第一九条」事務局長、元アムネスティ・インターナショナル事務局)、エイダン・ホワイト(国際ジャーナリスト連盟事務局長)、アレクサンダー・ヴェルコースキー(ロシアのウルトラ・ナショナリズム情報を調査する「SOVA情報分析センター」事務局長)、アナスタシア・クリックリー(人種差別撤廃委員会委員、アイルランド国立大学社会科学部長)、ディミトリーナ・ペトロヴァ(人権NGOの「平等権基金」事務局長、元「欧州ロマ人権センター」事務局長)、フランク・ラ・リュ(人権理事会の表現の自由特別報告者)、ギトゥ・ムイガイ(国連人種主義・人種差別問題特別報告者、ナイロビ大学准教授)、ハイナー・ビーレフェルト(国連宗教の自由特別報告者、エアランゲン=ニュルンベルク大学教授)、ホセ・ヴェラ・ジャルディム(元ポルトガル議会副議長、元リスボン大学教授)、ルイ=レオン・クリスチャン(ルーヴァン・カソリック大学教授)、マーク・ラティマー(人権NGOの「国際マイノリティの権利」事務局長)、マイケル・オフラーティ(国連自由権規約委員会委員、ノッティンガム大学教授)、ナジラ・ガニア(オクスフォード大学講師、国際雑誌『宗教と人権』編集長)、エミュー・オルフン(トルコ外交官、OSCEムスリム差別問題担当事務局代表)である。                                                                                                   ルイ=レオン・クリスチャンが、事前に準備した詳細な研究論文に基づいて、基調報告を行った。クリスチャンによると、欧州地域のヘイト・スピーチに関する法実務は多様であり、アプローチの仕方はさまざまである。多くの事件が法廷に持ち込まれることなく終わるが、判決が下されても公開出版されず、情報にアクセスすることが容易ではない、という。こうした限界の前で、クリスチャンは各国の規制法の状況と、数は少ないが判決例を調査・分析している。                                                                                                            クリスチャンによると、欧州諸国の共通性は、ほとんどすべての国が何らかのヘイト・スピーチを禁止していることである。しかし、その文言は国際自由権規約第20条の文言と同じではない。一般的に、欧州諸国で表現の自由に関する制約を行うには「明白かつ現在の危険」のような方法で定義された条文を有している。例えば不敬罪は古くからあるが、ヘイト・スピーチ規定は比較的新しいものである。敵意や暴力を予防するのに、刑法は重要ではあるが、十分ではない。メディアやインターネットの役割が増大している。欧州はEUや欧州評議会などを通じて統合過程にあるので、ヘイト・スピーチ対策にも協力する方向である。                                                                                                                   クリスチャンによると、ヘイト・スピーチの文言や形式的要件はさまざまである。保護の対象については、国際自由権規約の要請を超えて、さらにジェンダーや性的志向に関連するヘイト・スピーチからの保護を立法している国もある。「犯意・故意」の理解も多様である。「過失」や「不注意」で足りる国もある。公的領域での犯罪だけを規制する国と、私的領域でも規制する国がある。憎悪煽動の結果について、煽動のみで処罰する国と、結果が生じて初めて処罰する国がある。刑罰も実に多様であり、罰金から刑事施設収容までさまざまである。ヘイト・スピーチ一類型のみを規制する国と、多様なヘイト・スピーチを規制する国がある。後者の例は、ジェノサイドの否定(「アウシュヴィツの嘘」罪)、宗教感情の表明、冒瀆、国民的統一への攻撃、一定の集団に属する個人への侮辱などがある。                                                                                                                         クリスチャン報告に続いて、他の専門家委員による報告がなされ、その後に討論が行われた。いずれも興味深いが、紙幅の都合で紹介することができない。ここでは、むしろクリスチャンの基調報告論文から、各国の立法例の比較部分の一部を紹介しておこう。  第一に、「暴力又は差別の煽動」や「不調和又は敵意」の煽動という表現が用いられているのは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、ルーマニア、セルビア、トルコである。憎悪煽動を刑の加重事由にしているのは、アルメニア、ボスニア、リトアニア、モンテネグロ、セルビア、スロヴェニア、ウクライナである。暴力煽動を処罰しているのに憎悪煽動に触れていないのは、オーストリア、キプロス、ギリシア、イタリア、ポルトガルである。                                                                                                                      第二に、煽動がないのに憎悪表現それ自体を処罰している国はない。特定の人種の劣等性又は優越性に関する人種主義者の言明は処罰される。ある国民や宗教の劣等性・優越性の唱道を処罰するのは、アゼルバイジャン、クロアチア、デンマーク、リヒテンシュタイン、ポーランド、ロシア、スロヴェニア、スイスである。他人に憎悪を煽動する場合の用例は、「挑発」(フランス)、「宣伝」(ブルガリア)、「悪意」(キプロス)、「分断」(モンテネグロ、ルーマニア、セルビア、トルコ)、「脅迫、敵意、屈辱の雰囲気をつくり出す」(ルーマニア)である。憎悪煽動を目的とする集団を支援することを犯罪としているのは、ベルギー、チェコ、イタリア、ルクセンブルク、ロシアである。単に煽動を支持することを処罰するのは、ルクセンブルクとイギリスである。ファシスト、人種主義者に関連するシンボルを所持することを処罰するのは、ルーマニアである。                                                                                                                                                第三に、保護の対象について、一般的に憎悪煽動を処罰するのはモンテネグロであるが、ほとんどの国は自由権規約第20条の文言(国民的、人種的又は宗教的憎悪)を採用している。グルジア、マルタ、スロヴァキア、マケドニアは、国民的人種的民族的憎悪である。イギリスは人種的宗教的性的憎悪である。各国は様々な要素を追加している。「国民の尊厳を低下させる」がアルメニア、アゼルバイジャン、ハンガリー、モルドヴァ、ルーマニア、ロシア、トルコである。「教会や宗教界の構成員」がオーストリア、「性、性的志向、市民の地位、出生、財産、年齢、宗教的哲学的信念、健康状態、障害又は身体的特徴」がベルギー、「国民的人種的宗教的政治的階級的憎悪」がエストニアとリトアニアなど、多様である。                                                                                                                          第四に、多数の国は、それとは明示していない場合であっても、煽動が公開で行われたことを要件としているが、アルメニアとフランスは、私的領域で行われても犯罪とし、公開で行われた場合を加重事由としている。「公共の秩序を脅かした責任」がオーストリアとドイツ、「職務上、常習、又は複数人によって行われた」場合を加重事由とするのがオランダである。                                                                                                                                            第五に、関連する犯罪として、(1)集団侮辱を処罰するのは、アンドラ、キプロス、チェコ、デンマーク、フィンランド、ドイツ、ギリシア、アイスランド、イタリア、リトアニア、オランダ、ポーランド、ポルトガル、ロシア、スロヴァキア、スペイン、スイス、トルコ、ウクライナである。(2)ホロコーストの否定や修正主義の犯罪を処罰する(「アウシュヴィツの嘘」罪類型)のは、オーストリア、ベルギー、フランス、ドイツ、ルクセンブルク、スイスである(クリスチャン論文はこの6カ国しか示していないが、ポルトガル、ルーマニアなど他にもある)。(3)さまざまのヘイト・クライム(暴行・脅迫を伴う場合、多くの国で加重事由とされている)。(4)差別との闘いに関連する犯罪。(5)冒瀆の罪。                                                                                                                           以上のように、欧州諸国には様々なヘイト・スピーチ処罰法がある。クリスチャンは処罰実例も紹介しているが、ここでは省略する。  クリスチャンは、一方で、煽動がないのに憎悪表現それ自体を処罰している国はないとしているが、他方で、アルメニアとフランスは、私的領域で行われても犯罪とし、公開で行われた場合を加重事由としていると紹介している。フランスは、煽動がなくても処罰する刑法を明確に採用している。また、クリスチャンは指摘していないが、ノルウェー刑法にも同趣旨の規定がある。この点は、クリスチャン論文の執筆時期の問題かもしれない。