Saturday, November 30, 2013
急進ナショナリズムを「保守」とは呼ばない
樋口陽一『いま、憲法改正をどう考えるか』(岩波書店)――自民党改憲案に対する批判だが、改憲案の根底に流れる思考、態度に対する思想的な批判である。副題が象徴的で「『戦後日本』を『保守』することの意味」だ。はじめ、えっ、著者はいつから「保守」を語るようになったのかと驚いたが、副題の意味は読んで、よくわかった。著者は東北大学、東京大学、早稲田大学などの憲法学教授をつとめた、現在の日本を代表する憲法学者だ。著書に『近代立憲主義と現代国家』『近代国民国家の憲法構造』『憲法と国家』『憲法という作為』など多数。憲法史、憲法政治、憲法思想史に関する研究は日本憲法学の発展そのものであった。本書は170頁ほどのコンパクトな本だが、近代日本における憲法の位置づけと性格を歴史的に分析し、戦後憲法史における9条の機能を再検討し、自民党改憲論の展開を跡付け、戦後憲法の『体験』の意味を考える。とりわけ、西欧憲法(学)から受け止めた普遍的価値を日本という磁場で活かしてきた体験を、日本から西欧に返していくことの意味を考える。作家・劇作家の井上ひさしと高校の同級生で、憲法をめぐる対談本も出ているが、その本について私は最近、雑誌『マスコミ市民』で取り上げた。副題の「保守」について、「2012年12月総選挙をめぐって展開した政治状況とその結果を、国内の論調は『保守化』という言葉で表現することが多い。自国の先達の残した最良の過去を――その挫折の歴史とともに――記憶し、それを現在に生かそうとしないことを、『保守』と言えるだろうか」と著者は述べる。安倍政権は「保守政権」ではなく「急進ナショナリスト政権」ではないか。「保守の衰退こそ、ひとつの社会の安定と品位にとっての危険信号なのである」。この認識が本書を貫く。むろん、本書では、歴史的な考察が多く提示されるし、自民党改憲案の具体的な検証もきちんと示されているが、「保守の衰退」という視点から見て、なるほど現状がよく理解できるという面が大きい。先に紹介した山崎行太郎は、小林秀雄以来の保守の第一世代から、現在の保守主義の第二世代に至る「劣化」を厳しく批判して『保守論壇亡国論』を書いた。山崎は自ら保守の立場を鮮明にしている。他方、樋口陽一は、現在の日本ではリベラルを代表する立場ということになるが、「保守の衰退」を語る点は同じである。右翼と左翼をめぐる社会意識の分裂と混乱は長く続いているが、保守と革新についても同じことが言える。民族派と国際派もおそらく同様だろう。思想の地図が見えにくくなってきたことも指摘されて久しい。ネット時代の思想状況に即して、あるいは、21世紀、ゼロ年代やテン年代の若手評論家による代案もいくつも提示されたが、たいてい1年もたたずに消えて行った。「保守」とは何か、真正の保守思想家が登場するまで、偽物たちの狂宴が続くしかないのだろうか。