本庄武・武内謙治編『刑罰制度改革の前に考えておくべきこと』(日本評論社、2017年)
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赤池一将「『懲罰』を語らずに『規律』を語るために」論文は、監獄法以来、「紀律(規律)」維持のために懲罰を用いることが当たり前とされてきた歴史があるが、「施設管理法」から「被収容者処遇法」への展開の中で、施設における規律維持の内容をめぐってなされてきた議論を検証する。平野龍一においては、「収容の確保」「適正な運営管理」とは区別された「共同生活」の規律秩序が検討され、比例原則の意味が初めて本当の意味で浮上した。小野義秀においては、隔離拘禁作用確保のための規律、施設生活保全のための規律、矯正改善促進のための規律が区分けされ、懲罰による威嚇に適さない規律にも意識が及んでいた。赤池は「賞による誘導」と社会内処遇の展開をフランスの例を参照しながら検討し、復権してきた日本型行刑の規律偏重に警鐘を鳴らす。
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本庄武「受刑者の法的地位と自由刑の改革」論文は、まず「受刑者の法的地位」論に光を当てる。とっくに過去の議論になっていたはずの「受刑者の法的地位」論を何故取り上げるのか不思議に思ったが、最高裁は特別権力関係論を使っていないが、これを否定したわけではなく、下級審判決には特別権力関係論を使う例も見られ、「受刑者の法的地位」論がいまも理論的に影響している可能性がある。「受刑者の法的地位」論からデュー・プロセス関係論への展開を跡づけて、デュー・プロセス関係論からの矯正処遇論を再確認する必要がある。その上で、本庄は、自由刑の刑罰内容の見直しを法治主義の観点で整理する。処遇内容を刑法で規定するか処遇法で規定するかに大きな違いはないとする見解に対して、法治主義に立つならば、刑法に規定するか処遇法に規定するかは、具体的な解釈の場面で差異を生じる。作業や指導に従わない場合の懲罰の有無に影響するからである。指導を刑罰内容に含めるとすれば、罪刑法定主義の要請を充たさなければならない。矯正処遇においても、義務づけの程度に応じて、求められる実体及び手続きの法定および適正性の程度が変わってくる。
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以上の土井政和、石塚伸一、赤池一将、本庄武の論文が「自由刑の改革課題」に関する論文である。法制審少年法・刑事法部会における議論が、少年年齢の引き下げ論を手がかりに、実は刑事施設と処遇に関する大きな改革を試みようとしているため、その検討が行われている。基本は、刑法における懲役規定に「所定の作業」として、労働強制が含まれているのを、どうするかである。少年よりも大きな影響が出るのは、高齢者である。高齢のため出所後に就労する可能性がないのに、社会復帰と称して労働を強制することに意味があるのかが問題となっているからだ。これを解決するために、自由刑の単一化論が再浮上し、作業のない禁固をどう位置づけるか、懲役と禁固の関係、懲役における作業の位置づけなど、刑罰論全体にかかわる問題が芋づる式に引き出されている。柔軟な政策が必要だが、柔軟にすることがデュー・プロセスをないがしろにすることになっては困る。受刑者を処遇の主体とすることと、現場の職員に無用の負担にならないこと、バランスをとりながら刑罰改革をすすめる必要がある。