Thursday, March 08, 2018

東電の責任追及はこれからだ


添田孝史『東電原発裁判――福島原発事故の責任を問う』(岩波新書)

2017年には避難者が提訴した裁判で、前橋地裁、千葉地裁、福島地裁の判決が出た。今年になって自殺者の遺族の裁判判決も出た。避難者の裁判は全国各地で続いており、東京地裁判決もまもなくだ。民事裁判だけでなく、刑事裁判もようやく始まった。検察が2度にわたって不起訴としたが、検察審査課の起訴決定によって起訴が決まり、検察官役の指定弁護士が公判を担当する。指定弁護士の中心は私の大学同級生で、最も敬愛する弁護士だ。

本書によると、国や東電の責任を追及して住民らが起こした集団訴訟は全国で約30あり、原告は1万2000以上に上るという。この事実だけで判明することが2つある。第1に、福島原発事故の被害の広範さである。故郷を失った人々、一時避難を余儀なくされた人々、そのほかさまざまな被害を被った人々が、それぞれの訴訟を闘っている。第2に、国と東電が全く無責任であり、事故から7年にもなるのに、補償や救済がおよそなされていないことである。被害者はやむをえず裁判に訴えている。

本書は主要な裁判の経過をおいながら、そこでの争点を追跡する。最大の焦点は言うまでもなく、事故の「原因」とされた15メートルの津波が予見可能だったのか不可能だったのかで或。東電や東電関係者の被告はいまだに予見は不可能だったと言い張っている。しかし、本書は、裁判外及び裁判内の調査、立証過程を通じて、東電が多くの証拠を隠匿してきたこと、その証拠によれば予見可能どころか、東電は現に予見していたにもかかわらず、予算節減のために予見しなかったことにし、対策をとることなく放置したことが明らかである。著者は、2008年の「衝撃」、と呼んでいる。東電も政府も都合の悪い事実を隠す。資料を隠匿し、墨塗りし、虚偽の主張を垂れ流す。責任逃れのためなら何でもありである。

現在、森友・加計問題が紛糾を続けているが、自体は全く同じで或。公共性をわきまえず、国家を私物化し、税金を懐に入れながら、責任は一切とらない。責任逃れのために嘘をつく。嘘に合わせて資料を改ざんする。これが日本国家の特徴と言えるほどだ。嘘を並べる天才は安倍晋三だけではない。

真相解明、責任の解明、救済、そして再発防止。被災した住民は訴訟でこれらを訴えてきたが、裁判所は、やはり多くの限界を持っている。前橋地裁や福島地裁の判決は一応勝訴だが、不十分である。東電原発裁判はまだまだ続く。著者には第2弾が期待される。