Tuesday, March 13, 2018

沖縄のアイデンティティを/から問う


 新垣毅『沖縄のアイデンティティ 「うちな~んちゅ」とは何者か』(高文研)



『沖縄の自己決定権』がヴェテラン記者の筆致だったのに対して、本書の文体が硬質なのは、1996年度の修士論文に、現状に合わせて加筆訂正を加えたものだからだろう。若き新垣毅の問題意識と理論がギシギシ緊張しながら、爆発の予兆をスパークさせながら、それでもじっと堪えながら、280頁に詰め込まれている。


(編集者より)

「最近は新基地建設に抗する沖縄県民が偏見や差別、ヘイトの標的になっています。しかし基本的には戦後の沖縄では、米軍基地の集中が生み出す、さまざまな事件・事故や不条理に対する異議申し立てが繰り返されてきました。反復されてきた叫びがアイデンティティーとして結晶化されたとき、平和、自立、共生、民主主義、人権保障など普遍的価値を強く希求する沖縄の人(うちなーんちゅ)の姿があります。その中で培われてきた沖縄人の誇りとともに、「日本国民になること(であること)」がいかなる意味を持つのか、そしてその意味はどのように変容してきたかを、沖縄現代史に即して分析します。」


Ⅰ 「沖縄人」をどう捉えるか

  1、現在の「うちなーんちゅ」意識   

  2、なぜ復帰論議が重要か

  3、差別や排除のメカニズム

  4、戦前における「日本人」と「沖縄人」

  5、アイデンティティーの自覚

  6、「国民」の創出

  7、「危機」や「欠落」の痛み

Ⅱ 「祖国復帰」概念の変容

  1、沖縄戦後史における「復帰」と「沖縄人」

  2、なぜ「復帰」か

  3、「民族主義的復帰」論

  4、「憲法復帰」論

  5、「反戦復帰」論

  6、高まる要求―本章のまとめ

Ⅲ 1970年前後における復帰論と反復帰論の分析

  1、新たな「沖縄人」の誕生

  2、復帰論の構造 

  3、反復帰論の構造

  4、復帰論と反復帰論の共通点

Ⅳ その後の「沖縄人」

  1、「復帰」から「自立」へ

   ◆沖縄特別県政論

   ◆琉球共和社会(国)論

  2、活発化・多様化する自立論

  3、裁判にみる「沖縄の主張」

Ⅴ 沖縄の今と未来

  1、「日本国民」になるということ

  2、「沖縄人」の主体形成を巡って

  3、物理的暴力と不条理

  4、「うちなーんちゅ」とは何者か

  5、沖縄の自己決定権と脱植民地主義

  6、復帰45年、今日の沖縄


本書のどこに着目するかは読者によってかなり違うかもしれない。私にとっては、なんと言っても復帰論と反復帰論の分析が参考になった。私にとって反復帰論は新川明の『反国家の兇区』だが、本書は第二次大戦後の沖縄の歴史の中に復帰論と反復帰論を位置づけ直し、両者の関係の中に時代への手がかりを見いだす手法をとっている。復帰論として、大田昌秀、大城立裕、反復帰論として、新川明、川満信一、岡本恵徳、中曽根勇が取り上げられている。そして、新垣自身の理論枠組みはバリバールの「市民主体―生成」の概念だという。


以前、東京で開催した琉球/沖縄シンポジウムの時に、中野敏男(東京外国語大学名誉教授)に「継続する植民地主義」について話してもらった。そのとき、中野は、議論の出版点で新川明にインタヴューをしたが、新川は当時、反国家に加えて、反植民地主義を考えていたという。なるほど、と思った。復帰が、沖縄の国家への回帰を意味すると同時に、日本植民地主義への回帰(アメリカによる植民地主義から日本植民地主義への移行)を意味してしまう事態をいかに受け止めて、抵抗の理論化をするかが課題だったのだろう。

同じ課題を、いま、新垣は、辺野古基地建設や高江ヘリパッド問題を前に、自分に突きつけ、読者に問いかける。自己決定権、脱植民地主義、先住民族、植民地解消法、ポジショナリティ、ヘイト・スピーチという用語は、かつて復帰論と反復帰論の時代には用いられていなかったが、問題構制に変わりがない。復帰から半世紀を経て、いっそう巧妙に、いっそう執拗に、いっそう荒々しく、米軍基地が押しつけられ、構造的差別が覆い被さる現実を前に、新垣は復帰論と反復帰論の矛盾をはらんだままの総合という企図を敢行する。磨いていないダイヤモンドの原石をどんとテーブルに置いて、「小手先で磨くな。これでどうだ」と言わんばかりに。