Saturday, March 03, 2018

松本清張の時代が始まった


高橋敏夫『松本清張「隠蔽と暴露」の作家』(集英社新書)


<清張がよみがえる!

秘密と戦争の時代にこそ、今と過去を丹念に探る。

それが新しい社会をひきよせるーー。>

<社会全体に陰鬱な雰囲気がひろがりつつあるこの時代に、松本清張が再び求められている。本書は清張の表現の核にあった「隠蔽と暴露」の方法をたどる。そして、清張の作品をとおして、わたしたちが日常で感じる社会や国家への「疑い」を称揚し、そこにひそむ秘密を見抜く方法を明らかにする。戦争、明るい戦後、政界、官界、経済界、社会的弱者、宗教など、清張が精力的に描いたテーマは多くあるが、戦後最大の隠蔽装置ともいえる「原子力ムラ」にふみこまなかった清張の謎にも迫る。>


『或る「小倉日記」伝』『ゼロの焦点』『点と線』『黒革の手帖』『小説帝銀事件』『日本の黒い霧』『昭和史発掘』――かつて愛読した松本清張を、このところ読んでいない。TVドラマでは繰り返し取り上げられているのを知っているが、ほとんど見ていない。講演のために北九州に呼んでもらったときに、松本清張記念館を訪れたが、ゆっくり見る余裕はなかったし、読み返す時間の余裕もない。

しかし、高橋敏夫によれば、「松本清張がよみがえる」という。なぜなら、「隠蔽と暴露」の作家・松本清張の問題意識と戦いが今こそ必須不可欠だからだ。国家が戦争へとひた走り、時代が暗転しているいま。ほとんど隠蔽と嘘と汚職のみで成り立っている安倍政権。こういう時代にこそ、「何故だろう」と問い返し、一つひとつの秘密を解き明かしていかなければならない。松本清張は1992年に亡くなったが、いまこそ松本清張の時代でなければならない。なるほど、と思う。

小さな新書だが、いくつもの教えがあり、気づきがある。何よりも驚いたのは、松本清張は1909年の生まれであるということだ。明々白々の事実に今頃、驚かされるのはうかつなことではある。1909年とは韓国併合や大逆事件よりも前ということであり、同じ年に大岡昇平、中島敦、太宰治、埴谷雄高、花田清輝が生まれている。松本清張が太宰と同じ年などと、考えたことがなかった。作家として活躍した時代が違うからだ。

松本清張はその生涯、「隠蔽する力に抗う試み」を続けたが、主たるテーマは、「戦争」「明るい戦後」「政界、官界、経済界」「普通の日常、勝者の歴史」「暗い恋愛」「オキュパイドジャパン」「神々」である。ところが、松本清張は、現代世界最大の隠蔽装置である原発には十分な取り組みをしていない。これが本書の提示する最後の「謎」である。井上光晴、野坂昭如、水上勉はすでに原発に向き合っていた。松本清張が全く無関心だったわけではなく、一定の問題意識を持ち、調査を始めていたが、作品として発表するには至らなかったようだが。

「オキュパイドジャパン」では、第二次大戦の敗北による間接占領と、公式には占領が終わったはずのサンフランシスコ条約以後の「事実上の米軍による日本占領」の連続性を取り上げ、孫崎享・木村朗編『終わらない<占領>』をはじめとする近年の研究にも言及している。「アメリカ・日本・沖縄」の構図に深く立ち入ってはいないが、読者がその先を考えるように論点を提示する本である。

戦前のプロレタリア文学との接点もしめされているが、高橋敏夫は松本清張をプロレタリア文学の系譜には必ずしも位置づけていない。かつて、丸谷才一が、井上ひさしに戦後のプロレタリア文学の継承を見たように、広い意味では、私は松本清張をプロレタリア文学とみた方がよいと考える。その論証ができるわけではないが。

松本清張全集は66巻ある。とうてい全体を読むには至らないが、今後、いくつか読み返していきたいものだ。