パウル・クレー・センターは「戦時のクレー」展と「ダウン症に触れよう」展の2つを開催していた。
クレーの全作品9000点余のうち4000点と、クレーの遺品類を所蔵するクレー・センターには、2つの展示会場、コンサートホール、子ども美術教室などがある。
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「ダウン症に触れよう」展は、「5000年前に宇宙からやってきた生命体が地球人に出会い、現在2度目の地球訪問をしている」という設定での人類史的パースペクティヴの中にダウン症を位置づけている。ダウン症の歴史、患者によるアート作品、患者の人生や考えや家族の思いを取り扱った映像上映など、多彩な展示である。映像作品はおもしろかったし、考えさせられるものだったが、10数本ある内の3本しか見ることができなかった。
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「戦時のクレー」展は、第一次大戦時のクレーに焦点を当てている。こうした展覧会は初めてだという。クレーがミュンヘンのアバンギャルドに加わり、パリでキュビズムを知り、1914年にチュニジア旅行で光と色彩に目覚め、抽象絵画を極めることになり、多くの友人を戦争で失った。この時期のクレーの変容を時間の流れに従って追いかける。ずっと後にクレーはナチス・ドイツに迫害されて、ドイツからスイスに逃げたが、第二次大戦激化の前になくなったので、戦争自体は第一次大戦の経験である。
初期クレー展でもあるが、作品だけでなく、クレーから妻リリーへの絵はがき、息子への絵はがき、あるいは、フランツ・マルクからリリーへの絵はがきなども展示されていた。マッケ、マルク、カンディンスキーの写真が並べてあった。
クレーが第一次大戦に従軍したことが人生の転機になったことはよく知られるが、今回の展示で目を引いたのは、1つは第一次大戦における毒ガス使用に焦点を当てたことだ。当時の写真だけでなく、対毒ガス用マスクの実物も展示されていた。
もう1つは、空軍での体験に焦点を当てている。まず、飛行訓練だ。人類が空から世界を見るようになった。このことがクレーの視線と世界観に影響を与えている。次に、訓練中の事故の目撃(?)だ。戦闘体験はないが、友軍の事故を目撃したことの衝撃だ。
さらに、スケッチの中にいくつもの空中における戦闘や、撃墜された戦闘機や、逃げる戦闘機が描かれている。戦闘シーンのスケッチの解説で、子どもの遊びを描いたのだと書いてあるのを読んだことがある。とんでもない間違いだ。クレーは現実を描いたのだ。こうした観点で見たことがなかったので、大いに考えさせられた。
さらに、スケッチの中にいくつもの空中における戦闘や、撃墜された戦闘機や、逃げる戦闘機が描かれている。戦闘シーンのスケッチの解説で、子どもの遊びを描いたのだと書いてあるのを読んだことがある。とんでもない間違いだ。クレーは現実を描いたのだ。こうした観点で見たことがなかったので、大いに考えさせられた。
作品については、特に、<眼>が描かれるようになったことの意味が強調されていた。方向指示や、アルファベットや、太陽と月とともに、クレーの定番の<眼>だ。それと、クレー作成の指人形30数体の内2体だけが展示されていた。「ドイツの愛国者」と「死神」。
戦闘機から見た世界を描いた最初の画家クレー!
しっかり考えておかないと、授業で話すときにまとまりがつかなくなる。