目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』(生活人新書・NHK出版、2005年)
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第一部 沖縄戦と基地問題を語る
Ⅰ はじめに~「戦後六十年」を考える前提
Ⅱ 私にとっての沖縄戦
Ⅲ 沖縄戦を小説で書くこと
Ⅳ 基地問題
第二部 <癒しの島>幻想とナショナリズム
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戦後60年の2005年に沖縄の「戦後」ゼロ年を対置し、戦後日本の平和主義や民主主義が、沖縄の犠牲の上に成り立ちながら、そのことを自覚せずに平和を享受している本土の人々に目取真が突きつけた本だ。
「私の取とっての沖縄戦」では、1960年生まれの目取真が、両親や祖父母の歴史、語り、経験、沈黙を通して、沖縄戦をいかに受け止め、考えるようになったかが明らかにされる。沖縄戦で家族を失い、友人を失った沖縄の人々にはそれぞれの体験と記憶があり、激しい悔恨と痛哭の叫びがあり、語ることのできない物語がある。記憶されず、語られずに消えていった戦争体験がある。目取真は、沖縄で生きる庶民の目線で沖縄戦を語ることの意味を追求し続ける。
「沖縄戦を小説で書くこと」では、小説家として改めて沖縄戦を問い直す作業を経た時点での目取真の方法意識が語られる。戦争の記憶をいかに共有するのか。民衆の体験と記憶をいかに書き留め、再構成するのか。アメリカの情報公開によって次々とみることができるようになった映像についても、そこには一定の事実が撮影されているが、米軍の視点で切り取られた現実に限られることに注意を喚起する。あくまでも「庶民の視点」にこだわる。それだけに沖縄を犠牲にした最高責任者でありながら無責任を貫いた昭和天皇について次のように明言している。
「『国体護持』という自己保身のために戦争を長引かせ、沖縄を「捨て石」にしたこと。さらには『天皇メッセージ』をマッカーサーに送って沖縄をアメリカに売り飛ばしたこと。それらへの反省もなければ、みずからの戦争責任をごまかし続けた小心な男が、恥ずかしげもなく沖縄の地を踏むことが許されるはずはありません。生きたウチナンチュー達が天皇来沖を阻止できないことを知った沖縄戦の死者達が、沖縄の地を踏ませまいと、あの世に早く招いてやった。私にはそう思えてなりませんでした。」
第二部は2003年に行われたインタヴューの記録である。基地を押しつけながら、基地問題を隠蔽するために<癒しの島>幻想が振りまかれることに対する異議申し立てである。沖縄の教育におけるゆがみや、教科書問題に言及した後、「イデオロギーとしての<癒し系>沖縄エンターテインメント」について、当時流行していた中江裕司監督の『ホテル・ハイビスカス』を例に、非政治的なポーズを取る文化産業の政治性をえぐり出す。ただ、癒しの共同体が、沖縄とは関係のない天皇制に巻き込まれるルートがあることも指摘される。
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出版から13年後になるが、主要論点に何一つ変化はない。基地押しつけの露骨さはいまや直接暴力となって沖縄に襲いかかっている。沖縄戦の記憶の抹消、米軍基地問題のごまかし、基地被害の繰り返し、沖縄文化の消費――アメリカと日本の<癒し>のために沖縄が消費され、差別され、うち捨てられる。そのことへの怒りを失うまいとする目取真、言葉で小説で表現しようとする目取真。その怒りを誰が読むのか。誰が受け止めるのか。