安田浩一『愛国という名の亡国』(河出新書)
ヘイト・スピーチを追いかけてきたジャーナリストの安田だ。外国人労働者の人権問題を永年追跡してきたのも安田だ。沖縄の2紙に対するバッシングに対抗して沖縄の状況を取材したのも安田だ。他方で、日本の右翼の歴史も探求してきた。
その安田が各紙に掲載してきた文章をまとめて編集すると、こうなる。「愛国のラッパが鳴り響く」日本の病理を徹底解剖し、これ以上、この社会を壊さないために論陣を張る。
「ヘイト・スピーチは社会を壊す」というのは、私が2010年に出した『ヘイト・クライム』以来ずっと主張していることだが、ジャーナリストで同じことを敏感に受け止め、永年現場で取材し、警鐘を鳴らしてきたのが安田だ。
本書も2009年の蕨市事件、在特会らのデモを振り返ることから始まる。「あのデモがエポックだった」というのは、ヘイト団体にとっても、反ヘイトの市民にとっても、共通の認識ではある。ヘイト・スピーチ事件はそれ以前からずっと続いていたが、路上で公然と組織的にヘイトデモを行い、盛り上がりを見せるようになったのは蕨市事件からだろう。現場で情勢の変化と気持ちの悪さをつぶさに体感した安田のその後の反ヘイトジャーナリズムの原点だ。見せかけの中立公正ではなく、反差別のジャーナリズムを現場で紡いでいく。
在日朝鮮人、移住者、沖縄住民、生活保護受給者をターゲットとした差別とヘイト。
ヘイトを煽る政治家、文化人、メディア。ネトウヨと結びつく右翼。
分かりやすい構図が先にあるわけではない。一つ一つの現場で取材した結果が、やはりこの分かりやすい構図を裏書きする。だからといって、構図を提示しておしまいというわけではない。安田は日本政治と社会の「現在地」を追いかける。彼らの中にあり、私たちの中にある「現在地」。
「差別の向こう側に、戦争と殺戮が見える」という安田は、その視線を過去、現在、未来に配しながら、「『愛国』の合唱に飲まれることなく、勇ましい言葉に引き寄せられることなく、「排除の論理に絡めとられることなく」、書き続けるという。
週刊誌記者時代以来、「面倒なやつだと思われることはあっても、『できる記者』だったと評価されたことは、たぶん、ない」という安田だが、「できる記者」になんてならなくていい。バランス良く中立のふりをして最後は権力に奉仕する「できる記者」は掃いて捨てるほどいるのだから。
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Domaine des Charmes, Geneve 2017