Friday, August 09, 2019

トランプ現象に見る民主主義の危機


ミチコ・カクタニ『真実の終わり』(集英社)

原題はThe Death of Truth. Notes on Falsehood in the Age of Trump. 

フェイク・ニュースやプロパガンダがはびこる現在、しかも意識的にフェイクを利用し、発覚しても開き直るのが当たり前になってしまった時代。書籍、TV、そしてインターネットと情報手段が豊かになればなるほど、人々が「情報難民」と化し、民主主義が揺らぎ、全体主義が顔をのぞかせる現代の謎に迫る。

著者はワシントン・ポストやニューヨークタイムズに勤務した書評担当、特に文芸担当の記者で、1998年にはピューリッツァー賞を受賞したという。

本書はトランプ現象を正面から取り上げ、ポスト・トルース、フェイクが論壇から政界までを食い物にしている現状を嘆く。そのため、単にトランプやその取り巻きの発言だけではなく、長期にわたる情報化社会の諸言説を取り上げて、分析する。アーレント、ハクスリー、オーウェル、ボルヘス、エーコ、フィリップ・ロス、ピンチョン等々の発言も縦横無尽に活用しながら、現代における民主主義の危機を読み解く。

おもしろいのは、ジャック・デリダをはじめとするフランス現代思想を、相対主義に道を開いたものと位置づけ、今日のフェイクの流れにあるかのように描いているところだ。アメリカ的発想からすると、デリダはトランプのお友だちと言うことになるようだ。


トランプ批判としてはよくできた、説得的な本だ。博引旁証であり、さすがピューリッツァー賞と思う。
だが、最初から最後まで違和感を禁じ得ない。デリダへの視線もその一つなのだが、これに限られない。本書の通奏低音となっているのは、実は「アメリカ・ファースト」である。トランプは「過激なアメリカ・ファースト」だとすれば、カクタニは「穏健なアメリカ・ファースト」だろう。

「はじめに」から、本文、そして「終わりに」に至るまで、随所で延々と繰り返し取り上げられるのが、ロシアの米選挙介入問題だ。その中身に立ち入った議論をしていないが、話題は常にこれだ。トランプのフェイクの最大の特徴がロシア問題となる。カクタニにとっては、ロシアの介入問題こそが現代民主主義の危機の中核である。

それはそれで結構だが、アメリカが過去数十年にわたって、世界各地の政治・経済・社会に介入し、軍事行動に出てきたことには、カクタニは絶対に触れようとしない。カクタニにとって、アメリカに対する介入は犯罪的であり、許せないのだが、アメリカからの介入には何も問題がないのだ。

政治介入、軍事介入、政権転覆、ありとあらゆる介入の総本山がアメリカだが、「アメリカ・ファースト」のカクタニにとって、それはあたり前のことなのだろう。
視野が狭いというか、ご都合主義というか、知識が多くても良識は育たない典型例というか。