MLやDMでいくつか質問いただいた。論点は次の2つだ。
第1に、これまでの美術館展示に対する抗議(例えば森美術館における合田誠展への抗議)と、今回の愛知トリエンナーレへの抗議に、違いはあるのか。
第2に、展示するならきちんとした位置づけと工夫を、というが、具体的にどういう方法がありえたのか。
以下では、この2点を中心に書くが、私もまだまだ議論の整理ができていないところがある。具体的な状況を知らないし、日本の議論状況も知らないためである。
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第1に、なんと言っても、今回の事件の本質を忘れるべきではない。
すでに多くの人が指摘しているように、河村発言、菅発言に始まる中止決定は、検閲であり、表現の弾圧である(大村知事がまともな発言をしたようで、少し安心)。河村・菅発言は、検閲であるだけでなく、テロを煽った。このことをもっと強く打ち出して批判するべきである。権力がテロを煽り、テロ予告脅迫が出たのを幸い、展示中止決定に持ち込むという卑劣なやり口を許してはならない。「現に脅迫予告がきたのだから、安全確保のために中止したのは当然で、テロに屈したわけではない」というのは、検閲を正当化するための欺瞞に過ぎない。
第2に、先に書いた主催者の安直さと無責任の件、直感的に思ったのは、カイロやメッカの美術館で「ムハンマド爆弾投下漫画」や「ムハンマドのポルノ漫画」展覧会を開催して、「作品の評価はしません。みなさん、とにかく自分で見て自分で判断してください」と嘯いた芸術監督が、暴動が起きた後に、「想定外でした」とコメントするシーンである。
ローマやパリの教会ホールで「イエスとマリアのポルノ漫画」展を開催して、「中止要請の脅迫電話はけしからん」と言いながら「安全のためやむを得ない」と中止するシーンである。
今回、津田大介監督がやったことは、同じではないが、同じレベルのことである。そのことを自覚していないのが、驚愕。
第3に、表現の自由は、本来的には国家権力との関係での表現の自由である。個人の人格権の発露である表現の自由に対する権力による介入の問題である。私人が森美術館に要請行動するのと、名古屋市長や官房長官がメディアを通じて権力的に恫喝するのとは全く異なる。
ただし、表現の自由の根拠には、人格権だけでなく、民主主義がある。表現の自由を保障しなければ民主主義は実現できない。それゆえ、博物館・美術館における展示の憲法的意味を考えるときは、人格権と民主主義に照らして考える必要がある。
平和を希求する少女像の芸術的価値と平和のメッセージを最初から、正面から掲げて、女性に対する暴力や武力紛争のない社会を目指す展示であることを、きっちり打ち出すべきであった。論争はこのレベルで行われるべきだった。制作者や「表現の不自由・その後」実行委員会はもちろん十分自覚し、そのためにずっと努力してきたのだ。
愛知トリエンナーレ会場で実際にどのような説明と配置の元に、どのように展示が行われたのか、知らないので、この点を具体的に深めた議論をすることができない。
第4に、先に「どのように準備・実施するべきだったのか」とし、「棲み分け」や「討論の場を設ける」と書いたことについて、より具体的にとの要望があった。これは簡単だ。
名古屋トリエンナーレは公的機関が主催する巨大イベントである。正確な金額は知らないが、予定されていた補助金だけでも数千万円だという。
私的団体が行う小規模展示とはレベルが違う。名分が立ち、権威があり、予算がある。ならば、話は簡単だ。女性に対する暴力や武力紛争のない社会を目指す展示であることを打ち出せば良いだけのことだからだ。そのために何が必要かを考えれば良い。
戦時性暴力を主題とするのだから、誰でもすぐに思いつくはずだ。例えば、2018年のノーベル平和賞のコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲさんか、イラクの少数派ヤジディー教徒の権利擁護を訴えてきた活動家のナディア・ムラドさんを招請して、講演してもらうのが一番だ。戦時性暴力に取り組んできた世界のNGOから講師を呼んでも良い。開会日に設定できればベストだ。
それが無理なら、戦時にこだわらず、性暴力問題を主題として、例えば、アメリカから#MeToo運動の関係者をお招きして、トークセッションを行う。世界各国から来てもらえる。日本からは例えば詩織さんに語ってもらえると良い。ついでに麻生太郎を呼ぶといい(これは冗談)。
会期中には、「慰安婦」問題も含めて、さまざまな性暴力問題のトークセッションを設定する。例えば、実行委員会に永田浩三さんがいるのだから、西岡力さんを招いて対話すると良い。あるいは、植村隆さんと櫻井よしこさんに対話をお願いする。その場合は、椅子に限りがあるから一定の規制は必要だが、櫻井よしこさんのお友だちのための席を半分確保する工夫をする。
少女像とは何であり、何を目指すのか。このことを打ち出して、そのための討論の場を設定するとは、こういうことだ。私一人でも10や20のアイデアが出てくる。みんなで準備すれば100も200もアイデアが出るだろう。その中から具体化していけば良い。