ステファン教会前通りでパスタ・ボロネーゼを食べてから地下鉄に乗り、地下鉄から地上にあがって、自然史博物館の脇を抜けると、中庭にマリア・テレージア像が鎮座している。その目線はハプスブルク王宮に向けられている。王宮、新王宮、そして通りを隔てて自然史博物館と美術史美術館が並列する。
美術史美術館の全体を見る時間の余裕がないので、絵画だけ見てきた。絵画だけでも、ゆっくり見る時間がないので、2時間ほど駆け足でざっと見たにとどまる。ここはハプスブルク家が500年支配した中西欧の美術品の宝庫で、1781年にコレクションとして開設されたという。ルネサンス・イタリアの美術作品は少ないが、それ以外、ヴェネチア絵画、イタリア・バロック、オランダ・フランドル、ドイツ、そしてイギリス、フランスの近世近代の絵画が収められている。
ハプスブルク家にとっては、戦争など軍事力による支配ではなく、王家の間の政略結婚や美術品贈答を通じての友誼関係と外交交渉による支配がめざされていた。このため、美術品収集も、王家の必要に発したためもあって、長期にわたる西欧美術の傑作を多数集めているにも拘わらず、当初はかならずしも系統的ではないという。
ヴェネチア、マニエリスム、バロックでは、マンテーニャ、ジョルジョーネ、ティチアーノ、ヴェロネーゼ、ラファエロ、コレッジオ、パルミジャーノ、カラヴァッジョ、ルカ・ジョルダーノ、カナレットといった調子で、どこまでも並んでいる。カニャッチのクレオパトラの自殺。コレッジオのガニメデの誘拐、ティントレットのスザンナを見ることが出来たのは良かった。
オランダ・フランドルでは、ルーベンス、ヴァン・エイク、ボッシュ、ブリューゲル、アルチンボルド、フェルメールの絵画芸術、ライスダール、ファン・レインだ。ブリューゲルのバベルの塔、冬、農民の踊り、農民の結婚式。ルーベンスのメデューサ。
ドイツでは、デューラー、クラナハ、ホルバイン、ハイムバッハ、メングスなど。デューラーの1万人のキリスト教徒の殉教、ハイムバッハの夜宴。
他にも、プッサン、ゲインズボロ、ベラスケスのマルガリータもあった。
カフェで一息ついてから市立公園まで歩き、シューベルト、ブルックナー、ヨハン・シュトラウス像を見て、ベンチで読書。