Thursday, February 25, 2021

スガ疫病神首相語録18 首相長男接待

2月24日、首相長男接待事件で総務省幹部の処分が公表された。形ばかりの減給処分である。同25日、山田真貴子内閣広報官は衆議院予算委員会に出席して陳謝した。給与の一部返上という。

同日、農林水産省も、「アキタフーズ」会食接待事件で事務次官らを減給や戒告とした。

強大な許認可権を持つ総務省と農林水産省の官僚たちが業界関係者から異常な接待を常習的に受けていたことが発覚したが、官僚制の腐敗について誠実な調査を行う姿勢は政権には見られない。早期の処分で臭いものに蓋の姿勢である。

なんで俺のせいにされるんだ。首相の息子だからって差別するなよな。ずっとこうだったんだ。昔は国会議員の息子と言って差別された。総務大臣の息子だ、親の七光りだ、官房長官の息子だって、いつもこうだ。俺の努力が認められたためしがない。何をやっても、どんなに頑張っても、どうせ父親のおかげ、だよ。

だいたい俺は総務大臣秘書官なんてやるつもりはなかったんだ。バンドを続けたかったのに、親父がうるさく、恩着せがましく秘書官になれって命令だよ。ぷよぷよ遊んでいたから秘書官にしてやったなんて吹聴されて、いい迷惑だ。

そりゃあ、大臣秘書官になった時は舞い上がったよ。こんな俺でも大臣秘書官だ、しっかり仕事をこなして、国家社会のために頑張ろうと思ったくらいさ。そんな俺をバカ者扱い、邪魔者扱いしたのがあいつらだ。総務省の官僚たちだよ。なにしろ総務省SOUMUSHOUだ。頭のSを取ればオウム省だよ。権力の亡者たるやすさまじいこと。それでもって、東大卒の我々の中に異質な奴が紛れ込んできたと言わんばかり。

俺には役人の世界なんてまったく経験がないから、手も足も出ない。何をやってもうまくいかない。奴らときたら陰でひそひそ、いや、わざと聞こえるように悪口のオンパレードさ。表向きはひたすら忖度、親父に取り入るために俺にぺこぺこするけど、陰では嘲笑ってやがる。山田真貴子なんてシンゾー首相と親父に取り入ろうと、なんでもやります、あなた様の命ずるままです。土下座して俺の靴をなめる有様だ。でも目つきではっきりとわかるんだよ。俺のことを見下して、後ろから唾を吐いてるんだ。

実は東北新社に就職させてもらった時に、秘かに考えたんだ。放送業界なら手も足も出ないってことはない。元バンドマンだからね。なんとか渡っていけそうだし、社長に気に入られたから、総務大臣秘書官経験を売り来んで、総務省幹部への接待攻勢を仕組んでもらったのさ。「ササニシキ送りますよ」はいつものセリフって訳だ。東北新社らしく、りんごとさくらんぼを餌にすれば奴らはがっついてくる。ろくに味も分からないくせに、ロマネコンティが飲みたい、ドンペリが飲みたいって、値段で決める連中だからあしらうのは簡単さ。

こっちは許認可権なんてどうでもいいんだ。そりゃ、社長は高級官僚に取り入って権限をもらいたいって考えてたさ。でも、俺はこの日のために、じっと我慢して連中に接待攻勢。だから、どこかで足が出るように振るまったって訳さ。週刊文春はさすがだね。足取りをつかんで、連中の写真までそろえてスクープだ。さすがの俺も、録音されてたとは知らなかった。

という訳で、ガースーSay Go!Go To Settai 、お楽しみいただけたようで。

あっ、これは事実ではありませんが、もちろん真実です。それでは今夜はこれにて。

Wednesday, February 24, 2021

奴隷制ノート01

ジェームス・M・バーダマン『アメリカ黒人史――奴隷制からBLMまで』(ちくま新書)

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480073587/

<奴隷制開始からブラック・ライヴズ・マターが再燃する今日に至るまで。アメリカ黒人の歴史をまとめた名著を改題・大改訂した新版。>

<奴隷制が始まって以来、黒人は白人による差別や迫害に常に遭ってきた。奴隷船やプランテーションでの非人間的な扱いを生き延び、解放され自由民になっても、「約束の地」である北部に逃れても、彼らが人種差別から解放されることはなかった。四〇〇年にわたり黒人の生活と命を脅かしつづけてきた差別と、地下鉄道、公民権運動、そしてブラック・ライブズ・マター(BLM)に至る「たたかい」の歴史を、アメリカ南部出身の著者が解説する。>

目次

第1章 アフリカの自由民からアメリカの奴隷へ

第2章 奴隷としての生活

第3章 南北戦争と再建―一八六一〜一八七七

第4章 「ジム・クロウ」とその時代―一八七七〜一九四〇

第5章 第二の「大移動」から公民権運動まで―一九四〇〜一九六八

第6章 公民権運動後からオバマ政権まで―一九六八〜二〇一七

第7章 アメリカ黒人の現在と未来

アメリカ南部出身の早稲田大学名誉教授によるアメリカ黒人通史である。新書1冊でアメリカ奴隷制の歴史を概観できる。読みやすく有益な本である。オバマ政権時代のことや、現在のBLMも取り上げている。バスケットボールの八村塁の「ブラックニーズ」(ブラック+ジャパニーズ)も紹介されている。

現在のアメリカにとって重要なテーマだが、世界じゅうの人種差別にも直接関係する。日本の人種差別にも関連するが、同時に日本軍性奴隷制のような奴隷制への視点としても重要である。著者は「慰安婦」制度等には言及していない。日本関連で著者が言及しているのは、第2次大戦中の在米日系人に対する収容所政策とアメリカの公式謝罪である。在米日系人に謝罪・補償したのなら、黒人奴隷制にも謝罪・補償が必要ではないかという文脈である。もっともだ。アメリカ黒人が受けた被害に対する賠償は最大24兆ドルとの推計があるという。

本書で一番引用したくなった箇所は次の1節である。

「『レイシズム』という言葉に中立性はない。『レイシスト』の反対語は『非レイシスト』ではない。その反対語は、『反レイシスト』であり、それは、権力や政策や個々人の態度のなかに問題の根幹を見出し、解体しようと行動する者のことである。『反レイシズム』は異なる『人種』の人びとを理解しようとする絶え間ない試みであり、レイシズムに向き合わない、ただの『人種にたいする受動的な態度』である『カラー・ブラインド』になることではない。だれかが他者を、生物学的に、あるいは民族性によって、身体の特徴によって、文化的背景、ふるまい、階級、もしくは肌の色によってジャッジする――そのとき『レイシズム』があらわれる。『レイシズム』は一人の人間をステレオタイプに押し込め、その個人を、対等に権利と機会を与えられた、対等な存在として認めない。」

日本ではこのことがなかなか理解されない。

「非レイシストのつもり」程度の論者が幅を利かせている。

そして「非レイシストのつもりの立場から、レイシストと反レイシストの間に立っているかのごとく錯覚して発言する論者」が少なくない。

「レイシズムは良くないと言いながら、レイシズムを容認する論者」があまりに多い。

「ヘイト・スピーチは良くないと言いながら、ヘイト・スピーチ規制には断固反対と唱えることによって、実際にはヘイト・スピーチを容認する論者」である。

多数の憲法学者やジャーナリストがこの立場である。この論者たちは、一転して「反レイシズム」を「過激だ」「極論だ」などと攻撃し始める。

それによって、自分が、「その個人を、対等に権利と機会を与えられた、対等な存在として認めない」立場に加担・協力していることに気づこうとしない。

本書はこうした論調に対する批判としても有意義である。

日本軍性奴隷制をめぐる議論が始まった1990年代から奴隷制について何度も何度も発言してきた。

前田朗「性奴隷とはなにか」荒井信一・西野瑠美子・前田朗編『従軍慰安婦と歴史認識』(新興出版社、1997年)

前田朗『戦争犯罪と人権』(明石書店、1998年)

クマラスワミ『女性に対する暴力』(明石書店、2000年)

マクドウーガル『戦時性暴力をどう裁くか』(凱風社、2000年)

1926年の奴隷条約、ILO強制労働条約、「醜業協定」「醜業条約」等の解釈が中心である。また、国連人権委員会の「奴隷制の現代的諸形態に関する作業部会」の議論を紹介してきた。2001年のダーバン会議の時も奴隷制をめぐる議論が中心だった。さらに、国際人道法における「人道に対する罪としての奴隷制」についても国際的議論を紹介してきた。

何度も発言してきたが、奴隷制について日本では今だに理解されていない。歴史的な奴隷制概念や、国際法における奴隷制概念を無視した議論が横行している。

最近では次の本で「慰安婦」問題との関連で奴隷制概念について論じておいた。

日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編『性奴隷とは何か』(御茶の水書房、2015年)

奴隷制、性奴隷制、性暴力概念について議論するための基礎知識として、今後時々、奴隷制に関連する勉強をして、ノートを書き留めていくことにする。

Monday, February 22, 2021

国際自由権委員会・平和的な集会の権利に関する一般的勧告第37号の紹介

「市民的政治的権利に関する国際規約(国際自由権規約)」に基づく国際自由権委員会は、第129会期(2020629日~724日)に「平和的な集会の権利に関する一般的勧告第37号」を採択した。

 

平和的な集会は国際自由権規約第21条に定めがある。

「平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。」

 

21条の解釈のために国際自由権委員会がこれまでの審議を踏まえ、現在の国際人権法の水準で確認したのが一般的勧告第37号である。一般的勧告第37号は全部で102のパラグラフから成る長文であるが、その中にヘイト・スピーチに関連するパラグラフがあるので、以下で紹介したい。

 

一般的勧告第37号は次のような構成である。

Ⅰ 序論

Ⅱ 平和的な集会の権利の射程

Ⅲ 平和的な集会の権利に関する当事国の義務

Ⅳ 平和的な集会の権利の制限

Ⅴ 届出制

Ⅵ 法執行機関の義務と権限

Ⅶ 緊急事態及び武力紛争における集会

Ⅷ 国際自由権規約第21条、その他の規定、その他の法制の関連

 

規約第21条は平和的な集会の権利の法律に基づく制限を次のように明示している。

公共の安全

公の秩序

公衆の健康若しくは道徳の保護

他の者の権利及び自由の保護

 

一般的勧告第37号によると、平和的な集会の権利は、規約第21条の他に、世界人権宣言第201項、欧州人権条約第11条、米州人権条約第15条、アフリカ人権憲章第11条、アラブ人権憲章第24条に規定されている。また、子どもの権利条約第15条、人種差別撤廃条約第5条(d)(ix)、アフリカ子どもの権利憲章第8条にも規定されている。さらに、欧州安全協力機構のワルシャワ・ガイドライン、アフリカ人権憲章に基づくバンジュール・ガイドライン、米州人権委員会・表現の自由特別報告者の社会的抗議の権利基準がある。欧州人権裁判所や米州人権裁判所の関連判例がある。加えて、国連加盟国193カ国の内184カ国の憲法に集会の権利が規定されている。これらの規定と解釈を参照する必要がある。

 

*上記の「ワルシャワ・ガイドライン」は、私が勝手に命名したもので、国際的にはこの名称ではない。

前田朗「デモの自由を獲得するために――道路の憲法的機能・序論」三一書房編集部編『デモ!オキュパイ!未来のための直接行動』(三一書房、2012年)120144頁。

[ここで紹介したのは2007年の第1版である。その後、同ガイドラインは改訂され現在は2019年の第3版となっている]

 

一般的勧告第37全体の紹介はここでは行わない。国際自由権委員会の一般的勧告については、これまで日弁連が精力的に翻訳・紹介を行ってきた。一般的勧告第37号はまだ掲載されていない。

https://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights/liberty_general-comment.html

 

一般的勧告第37号の「Ⅳ 平和的な集会の権利の制限」は、上記①~④についての解釈を提示している。「他の者の権利及び自由の保護」の中に、ヘイト・スピーチに関連する記述がある。

 

パラ47パラでは、「他の者の権利及び自由」の保護のために課される制限は、集会に参加していない他の者の規約やその他の人権の保護に関連することが確認される。

パラ48では、第21条で用視される制限のための一般的枠組みに加えて、追加の条件が重要であるとする。権利の実現の中心は、いかなる制限も、原則として、内容中立的であり、集会によって伝達されるメッセージに関連しないことが要請されるという。そうでなければ、まさに平和的な集会の目的が、人々に思想を前進させる政治的社会的参加の潜在的手段とすることができなくなる。

パラ49では、表現の自由に適用できるルールは、集会の表現的要素を扱う場合にも適用されるべきであるという。平和的な集会への制限は、明示的であれ黙示的であれ、政府に対する政治的反対者、政府の民主的転換のような当局への挑戦の表現を妨害するために用いられてはならないとする。公務員や国家機関の名誉や名声に対する批判を禁止するために用いられてはならない。

パラ50では、国際自由権規約第20条に従って、平和的な集会は、戦争の宣伝(第201項)、又は差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道(第202項)のために利用してはならないとされる。主なメッセージが第20条の範囲にある集会の参加者は、第19条及び第21条に示された制限のための要件に合致して対応されなければならないという。

パラ51では、一般論として、旗、制服、サイン及び横断幕の使用は、過去の苦痛を想起させるとしても、表現の合法的形式とみなされ、制限されてはならないとする。例外的場合、そのシンボルの使用が直接に及び主要に、差別、敵意又は暴力の煽動(第202項)と結びつく場合、適切な制限が適用されるべきである。

上記パラ50では、5つの文書が註に掲げられている。

    国際自由権委員会・意見表現の自由に関する一般的勧告第34号(パラ5052

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/data/HRC_GC_34j.pdf

    人種差別撤廃条約第4

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html

    人種差別撤廃委員会・人種主義ヘイト・スピーチと闘う一般的勧告第35

https://www.hurights.or.jp/archives/opinion/2013/11/post-9.html

    ラバト行動計画(パラ29

http://imadr.net/wordpress/wp-content/uploads/2018/04/9c7e71e676c12fe282a592ba7dd72f34.pdf

    権利のための信仰に関するベイルート宣言

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_19.html

 

上記パラ51では、2つの文書が註に掲げられている。

    OSCEとヴェニス委員会「平和的な集会の自由ガイドライン」(パラ152

[ワルシャワ・ガイドライン]

    欧州人権裁判所ファーバー対ハンガリー事件判決(20121024日)パラ5658

 

平和的な集会と言えるためには、ヘイト・スピーチを行ってはならないことが明確である。

 

これに対して、日本の議論では、どんなにヘイト・スピーチを行っても平和的な集会であるという異様な見解がまかり通っていることに注意。

 

なお、日本では「道路の交通機能」「道路の輸送機能」「道路の経済的機能」が圧倒的に優先される。私はデモやアートやお祭りパレード等の表現行為について「道路の憲法的機能」と呼んでいるが、憲法学者は誰も賛同してくれない。

Sunday, February 21, 2021

<被害者中心アプローチ>をめぐって(10)

日本国際法律家協会の機関誌『Interjurist』に、ウラディスラウ・べラヴサウ&アレクサンドラ・グリシェンスカ-グラビアス編『法と記憶――歴史の法的統制に向けて』(ケンブリッジ大学出版、2017年)に収録された論文を紹介しているさなかである。このテーマについて欧州を中心として、各国の状況を詳細に分析した研究書である。

日本国際法律家協会(JALISA

https://www.jalisa.info/

 

『救援』『部落解放』の論文なども含めて、法と記憶に関する比較法研究、及び国際人権法の論文の紹介を5年以上続けてきた。日本ではこれまで研究の蓄積がないためだ。まだまだ紹介しておかなくてはならない文献があまりに多い。基礎知識なしに、安直な議論に陥らないようにしたい。

 

前田朗「「法と記憶」をめぐる国際研究の紹介(1)」『Interjurist202号(2020年)では、編者による巻頭の序論「記憶法――比較法と移行期の正義における新たな課題」を紹介した。

前田朗「「法と記憶」をめぐる国際研究の紹介(2)」『Interjurist203号(2020年)では、アントン・デ・ベーツの論文「国連自由権規約委員会の過去についての見解」を紹介した。

前田朗「「法と記憶」をめぐる国際研究の紹介(3)」『Interjurist204号(2021年・予定)では、パトリシア・ナフタリの論文「国際法における『真実への権利』――最後のユートピアか?」を紹介した。

 

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デ・ベーツの論文「国連自由権規約委員会の過去についての見解」は、個人通報申立て、一般的勧告など自由権規約委員会の文書(1976年~2015年)を調査して、108件の事例を分析して、自由権規約委員会の過去に関する見解を分析している。そのための分析枠組みとして4つの指標(14項目)を掲げている。

 

 第1:基層としての時に関する見解

  ①時間を制約する要素(不遡及原則、個人請求原則等)

  ②時間を拡張する要素(継承原則、国家承継原則、侵害継続原理、合法性原則、過去の世代についての見解等)

 第2:権利としての記憶に関する見解

  ①喪に服する権利

  ②記念する権利

  ③記憶する権利

  ④歴史見解を禁止する記憶法の不存在

  ⑤自由な表現を制限しない伝統

 第3:権利としての歴史に関する見解

  ①過去についての真実への権利

  ②過去についての情報への権利

  ③過去の犯罪を捜査する国家の義務

 第4:技術職能としての歴史に関する見解

  ④歴史についての意見の保護

  ⑤間違える権利

  ⑥歴史教育における客観性、中立性、非差別の原則

  ⑦歴史研究における誠実さの原則

 

真実への権利、記憶する権利は、被害者の権利の正面玄関である。こうした認識自体、日本では共有されてこなかった。

 

デ・ベーツの4つの指標を参考にすることによって、日本軍性奴隷制に関する被害者中心アプローチを再考することができるだろう。

 

なお、上記の「技術職能」というのは翻訳が稚拙だが、要するに歴史研究者のことである。

 

<被害者中心アプローチ>とは何か。私はいまだに100字で説明することができないし、明確な定義はないだろう。とはいえ、その形成過程、議論の文脈、主要な概念装置は明確にできたと思う。

 

日本軍性奴隷制問題の解決のために努力してきた運動体の女性たち、男性たちは、被害者中心アプローチを一言で説明できなくても、被害者中心アプローチに立って運動してきたと言えるだろう。しかし、政治家やメディアは、被害者中心アプローチを身勝手な意味合いで用いている。真実への権利や和解や正義についても、わざと誤解しているのではないかと疑いたくなるような議論が多い。

 

まだ不十分だが、このシリーズは今回で終了。

Friday, February 19, 2021

スガ疫病神首相語録17 「透明性」

2月18日、世界で75カ国目という素晴らしい遅さで、新型コロナのワクチン接種が始まった。ワクチン国内生産を阻止し、輸入もできるだけ遅らせる政府方針が貫かれたが、その経緯は不明である。

「透明性」を掲げた東京オリンピック組織委員会の会長選考ができて、ようやく一段落。これで支持率回復、と思ったがそうはいかなかった。2月19日、セイコ新会長就任。シンキローと比べてぐっと若い女性でアスリート出身のため順当であり、幅広い支持を得た。もっとも、離党騒ぎでミソをつけ、キス強要事件は不問となった。男のセクハラは許されないが、女のセクハラは許されるという奇妙な先例ができた。ともあれ、女性理事4割の実現が期待される。

2月18日、自民党の白須賀貴樹衆院議員が緊急事態宣言下にもかかわらず、夜の麻布十番の高級ラウンジで女性と会食が発覚して、離党騒ぎ。マツジュン銀座3バカで懲りたはずが、何も考えていない4番目のおバカさん。

加えて、ガースー息子の総務省接待問題で、総務省局長「国会虚偽答弁」問題に発展。2月19日、国会虚偽答弁の総務省局長が更迭に追い込まれた。

それどころか、スガ自身が東北新社から政治献金を受け取っていたことが一部で報じられた。親子そろってウソとカネ。見事な「透明性」ゲームであるが、主要マスコミはこれを報じない。まだまだ御用マスコミの体質は変わらないようだ。

 

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一席二銚(一夕二銚とも言う)

*夜の会食で官僚や女性に接待すること。お銚子(酒)がどんどん進んで話が弾むが、後が怖い。ひたすら嘘でごまかすと録音記録がばれて一席二懲の懲らしめ、一席二凋の凋落につながるおそれが。

 

二人三脚

*議員と女性、又は父親と息子が、世間に知られないように接待三昧、できれば領収書不要の税金で二人三昧。東北新社の場合は、社長と息子が3人の官僚を接待した二人三客。

 

三寒四寒

*夜の銀座をはしご酒のマツジュン3バカのため震えた自民党だが、反省能力がないため、麻布十番ラウンジ事件の白馬鹿、もとい白須賀が4番目に登場し、ガースーの写真をはがして記者会見の寒々とした光景。

 

四書五経

*儒教の経典。

中国では、四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』のこと。

日本では――

黒川東京高検検事長の『ロン語』後付けアリ

加計学園は岡山理科『大学』シンゾーとバキューム文科大臣

自民党議員の反知性『虫様』はしご酒

ガースー政権の『申し』訳ございません

新型コロナの『疫経』対策遅延(なにしろ疫病神なので)

『書経』、書くのは大変だから、題目唱えるだけの南無なんとやら

コロナ患者は『死経』家族にも会えず

今年はだめでも『来季』はまともな政治をと叶わぬ願い

カネと利権の前では一切『逡巡』せず(ジミン魂)

 

五臓六腑

*ステーキ会食、パンケーキ、銀座クラブ、麻布十番ラウンジ、接待、接待が五臓六腑に染み渡る。だから政治家はやめられない。

 

六難七艱

*壁に耳あり、障子に目あり、供賄に密告あり、接待に録音あり。「放送業界の話題が出た記憶はありません」。

 

七転八倒

*廉恥と責任を忘れた政治家の末路。ただし、その前に国民が被害を受けて七転八倒。嘲笑いながら七転八起きするのは政治家の方が早い。七天抜刀の天罰はくだるか。

 

八卦九卦

*当たるも八卦とはよく言うが、当たり続ける「文春砲」。週刊誌ジャーナリズム、ここにあり。

権利のための信仰に関するベイルート宣言の紹介

201732829日、国連人権高等弁務官事務所が主催して、ベイルート(レバノン)で信仰と人権に関する会議が開かれた。会議の成果文書として「権利のための信仰に関するベイルート宣言」及び「『権利のための信仰』に関する18のコミットメント」という2つの文書が採択された。

 

私はこの会議に参加していない。201923月に開催された国連人権理事会第40会期で、「宗教又は信仰の自由に関する特別報告者」がプレゼンテーションした際に、2つの文書に言及したので初めて知った。2つの文書は、同特別報告者の報告書に付録として掲載された(A/HRC/40 /58. 5 March 2019)。

 

ベイルート宣言に宗教的ヘイト・スピーチに関連する記述があったので、日本に紹介しようと思ってメモを作成したが、そのままになってしまい、これまで紹介してこなかった。最近、PCの中にそのデータを発見したので、若干補充をしてブログにアップすることにした。他にどなたかが紹介又は翻訳しているかもしれないが、いまのところ、それらしきものを発見できていない。

 

ベイルート宣言の中で、ヘイト・スピーチ対策についてはラバト行動計画に言及している。ラバト会議を含めて、国連人権高等弁務官事務所が開催した一連の会議である。ラバト行動計画策定後も研究を続けて、宗教に関連してベイルート宣言となった。

 

ラバト行動計画は私たちの翻訳を公表している。

http://imadr.net/wordpress/wp-content/uploads/2018/04/9c7e71e676c12fe282a592ba7dd72f34.pdf

 

歴代の「宗教又は信仰の自由に関する特別報告者」は、アンジェロ・リベイロ(ポルトガル)、アブデルファタ・アモール(チュニジア)、アスマ・ジャハンギル(パキスタン)、ハイナー・ビーレフェルト(ドイツ)だが、2016年からアーメド・シャヒード(モルディヴ)である。シャヒード特別報告者はモルディブの元外交官であり、国際人権法を担当した。「イランの人権状況に関する特別報告者」を務めた。現在、エセックス人権センター事務局次長。

 

報告書及び宣言ではbelieffaithconvictioncreed等のさまざまな言葉が用いられているが、以下では、訳し分けていない。

 

なお、「権利のための信仰Faith for Rights」は、文中では「F4R」という略語で表現されているところがある。

 

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シャヒード報告書は次の構成。

Ⅰ 2018年以後の特別報告者の活動

Ⅱ 序論――思想、良心、宗教又は信仰、意見及び表現の自由

Ⅲ 国際人権枠組

Ⅳ 表現の自由への制限及び宗教又は信仰の自由へのその影響

Ⅴ 象徴的事案

A 冒涜及び宗教の誹謗

B 公共秩序措置

C 反背教法

D 反改宗法

E 宗教的憎悪と過激主義

Ⅵ オンライン・プラットフォームの影響と関連する制限

Ⅶ 結論と勧告

付録Ⅰ 権利のための信仰に関するベイルート宣言

付録Ⅱ 「権利のための信仰」に関する18のコミットメント

 

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権利のための信仰に関するベイルート宣言

 

宣言は22のパラグラフから成る。随所に聖典(聖書、クルアーン、ハディース、ブッダ)の言葉が引用されている。21か所。

例えば、「一人の命を守る者はすべての命を守る者に等しい」(クルアーン)といった引用形式。

 

以下、パラグラフごとに要約紹介する。

 

1. 信仰者及び人権活動家が2017年3月2829日、ベイルートで国連人権高等弁務官事務所主催の一連の会合に集まった。すべての人間の尊厳と平等の価値を支持し、宗教と信仰を尊重する。人間的価値と平等の尊厳は私たちの諸文化の共通の根である。信仰と権利は相互に補強し合う。人権は、宗教又は信仰から提供される倫理的精神的基礎に根差している。

2. 宗教又は信仰が生命、思想、良心、宗教、信仰、意見及び表現の自由から、欠乏と恐怖からの自由、暴力からの自由まで不可分の権利として保護される。

3. 宗教又は信仰は人間の尊厳、すべての個人と共同体の自由がいかなる理由でも差別されないことを保護する基本的な源泉の一つである。宗教、倫理及び哲学文献は、人類の唯一性、生命権の神聖性、信仰する者の心に基礎を持つ個人と集団の義務を支持することで、国際法を促進した。

4. 私たちを一つのものとする共通の人間的価値を広めることを誓約する。神学に関する相違はあるが、相違を利用して暴力、差別、宗教的憎悪を唱導することと闘うことを引き受ける。

5. 宗教又は信仰の自由は思想及び良心の自由なしには存在しない。人は全体としてすべての信仰の基礎であり、愛、赦し、尊重を通じて成長する。

6. 私たちはここベイルートから、ともに、利己主義、自己中心、人為的分断に反対する闘い、平和的だが力強い、最も気高い闘いを始める。

7. ベイルート宣言は、団結した、平和的で尊重溢れる社会の観点で、世界のすべての地域の宗教又は信仰に属する人々に及ぶ。ベイルート宣言は、「差別、敵意又は暴力の煽動に関するラバト行動計画(2012年)」と同様に、国連人権機関の協力の下で作成された。

8. これまで信仰と権利を結び付ける努力がなされてきたが、その試みは目標達成に及ばない。宗教活動家は、国内的にも国際的にも、憎悪の煽動に反対する人間性を擁護する責任を有する。ベイルート宣言によって、私たちすべての者の間の共通の根拠をもって、信仰が権利のためにあるその道を定義するために、手と心を一つにする。

9. ベイルート宣言をつくるために、私たちは多元的な連帯を通じて信仰を実践する。権利のための信仰のグローバルな連帯によって、それぞれの領域で具体的なロードマップを描くことになる。

10.      目標を達成するため、私たちは信仰者として5つの基本原則を遵守する。

(a)     伝統的な信仰間の対話を、地方レベルで具体的な「権利のための信仰」プロジェクトに変換する。対話は重要だが、対話に終わりはない。行動を通じて具体的な目標に到達できる。

(b)     神学的教条的分断を避ける。ベイルート宣言は宗教間対話の手段ではなく、すべての人間の尊厳を擁護する共通の活動のための共同プラットフォームである。

(c)     内省は私たちが大切にする美徳である。何よりもまず私たち自身の弱点を語り、行動につなげる。

(d)     特に、暴力、差別又は平等の尊厳の侵害を煽動する憎悪の唱道に反対して、一つの声で話す。宗教的理由による憎悪、不正義、差別の煽動を非難するだけでは十分でない。救済的な共感と連帯をもってヘイト・スピーチを矯正する義務が私たちにある。矯正という言葉は、宗教の境界を超えるべきである。煽動者、排外主義者、ポピュリスト、暴力的過激主義者の自由な土地を残してはならない。

(e)     私たちは良心のみに拘束され、完全に独立して行動する。

11.平等の尊厳を擁護する一つの声で語り、人間は完全に平等に尊重される。すべての信仰者に自らの責任で正義と平等を深く育むよう励ます。

12.世界中の草の根レベルの人々のために具体的な方法で目標を達成したい。お互いに活動を支え合い、毎年1210日に多様性の中の連帯の表明として、「権利のための信仰の歩み」を行う。

13.2012年のラバト行動計画を基礎に、暗闇の力を武装解除し、恐怖と憎悪の間で揺れ動く心を解体する。宗教の名による暴力は宗教の基礎としての慈悲と共感を台無しにする。慈悲と共感のメッセージを多元的社会の連帯活動に変換する。

14.普遍的に承認された価値としての国際人権を受け入れる。すべての者が人間人格の自由で完全な発達を可能にする共同体に義務を有している。

15.宗教と現行国際法規範は宗教活動家に責任を帰する。宗教活動家を支援することは立法、制度改革、支援的公共政策の領域における活動を必要とする。国際条約はジェノサイド、難民、宗教差別、宗教の自由を法的用語で定義している。これらの概念はさまさまざまな宗教に根差している。

16.私たちは人間としてすべての人間に責任を有する。私たちは行動するべき時に適切に行動しないことについても責任を有する。

17.すべての人権の促進と保護にまず責任を有するのは国家であるが、私たちは宗教活動家として又は個人の信仰者として人間性と平等の尊厳のために立ち上がるそれぞれの責任を有する。

18.宗教共同体、その指導者及び信者には、国内法や国際法の下での公的人物とは独立にそれぞれの役割と責任がある。1981年の「宗教又は信仰に基づくすべての形態の不寛容と差別の撤廃に関する国連宣言」第21項に従って、国家、制度、集団、個人による宗教差別に従ってはならない。

19.紛争時における非国家活動家の責任について、宗教指導者にはつねに同様の法的倫理的正当性が求められる。

20.言論は個人および共同体が繁栄する基礎である。言論は人間の善と悪の両面にとって決定的なメディアである。戦争は心に隠された憎悪の唱道を呼び覚まし、燃料をつぎ込む。

積極的言論は和解と平和構築のための癒しの手段となる。言論は私たちがコミットしようとするもっとも戦略的な領域の一つである。

21.国際自由権規約第202項の下で、国家は差別、敵意又は暴力の煽動となる国民的人種的宗教的憎悪の唱道を禁止する義務がある。これには宗教の名による宗教指導者への憎悪の煽動が含まれる。発話する者の地位、文脈、その程度により、宗教指導者の発言は憎悪の煽動の導入になることがある。こうした煽動の禁止だけでは十分ではない。和解のための救済の唱道が等しく義務である。

22.この領域で最も重要なガイダンスは2012年のラバト行動計画によって提供されている。(a)宗教指導者は暴力、敵意又は差別を煽動する不寛容のメッセージや表現を用いないようにすべきである。(b)宗教指導者には不寛容、差別的ステレオタイプ、ヘイト・スピーチに確実かつ迅速に反対する発言をする重要な役割がある。(c)宗教指導者にとって、憎悪の煽動に呼応して暴力に寛容であってはならない。

 

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引用されている言葉の例

 

There are as many paths to God as there are souls on Earth. (Rumi)

Rumiはアフガニスタン出身のペルシャの詩人?

 

Whoever preserves one life, is considered by Scripture as if one has preserved the whole world.(Talmud, Sandhedrin,37,a)

 

Ye are the fruits of one tree, and the leaves of one branch. (Baha’u llah)

 

On the long journey of human life, Faith is the best of companions. Buddha

Thursday, February 18, 2021

<被害者中心アプローチ>をめぐって(9)

<被害者中心アプローチ>の中核は、被害事実認定、謝罪、賠償、加害者処罰、再発防止、被害者救済(補償、リハビリテーション)等々だが、真実と記憶をめぐる議論はいまも継続中である。

「慰安婦」問題では、記憶の問題を「記憶する側」「研究者」に引き付けて理解する傾向が増えてきたが、原点を見失った議論はいつ二次加害に転化するかわからない。「アウシュヴィツの嘘」「ホロコースト否定」「歴史修正主義」の犯罪に向き合う必要がある。

不正義を美化・称賛するメモリアルへの批判と、真実を残すメモリアルとの「論争」が作り出されることになる。

旧ソ連東欧圏でレーニン像が破壊されたこと、イラクでフセイン像が倒されたこと、アメリカで南北戦争の英雄像が社会問題となったことが想起される。

ルーマニアでは、ファシズム・シンボル法が制定され、ファシストのシンボル(旗、紋章、バッジ、制服、スローガン、公式・決まり文句のあいさつを、公共の場で用いると犯罪になることがある(前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』三一書房、608頁)。

他方、被害者側の真実への権利、記憶してもらうこと、語りを聴いてもらうこと等の関連では、「平和の少女像」も重要な位置にあるし、「慰安婦」メモリアルデーも同様の意味を持つ。真実への権利の欧州での議論では、博物館、記念館、歴史教育にも言及がある。

<被害者中心アプローチ>をめぐって(5)において次のように書いた。

「私たちは新しい国際メモリアルデー運動を始めた。金学順さんがカムアウトした八月一四日を記念して、先月、東京その他世界各地で最初のメモリアルデー行事をもち、八月一四日を国連メモリアルデーにしようと宣言した。」

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_96.html

忘れかけていたが、私が国連人権理事会にこの報告をしたのは2013912日のことだ。前年12月に台北で開催された第11回アジア連帯会議で、814日を「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とすることが決まった。そこで春頃に、メモリアルデーを作る運動を立ち上げるための学習会で国際メモリアルデーについて話した。その内容を基に、たしか日本の戦争責任資料センターの『Let’s』に一文を書いたはずだが、データがみつからない。さがしてみると、学習会のために準備したメモがあったので、その一部を紹介する。

 

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(1)一月二七日 ホロコースト犠牲者の記憶記念デー

  一九四五年一月二七日、ナチス最大のアウシュヴィツ強制収容所がソ連軍によって解放された日をもとにしている。国連で承認されたのは比較的新しく、二〇〇五年のことであった。それ以前に一九九六年、ヘルツォーク・ドイツ連邦共和国大統領が提唱してドイツなどで記念式典が催され、二〇〇一年からはイギリスやイタリアなど各国に広がった。それを受けて、ナチス収容所解放六〇周年を機に、二〇〇五年一月二四日、国連総会決議が採択され、一月二七日が国連デーとなった。イニシアティヴをとったのは、シルヴァン・シャローム・イスラエル外相だった。決議は、ホロコーストの歴史教育の発展、ホロコーストの否定を拒否すること、人種的不寛容や、民族的出身や宗教的信念に基づく煽動や暴力を非難することを明示している。その後、毎年、国連本部で記念行事が行われている。

(2)三月二一日 人種差別撤廃デー

  一九六〇年三月二一日、南アフリカ共和国においてシャープビル事件が起きた。アパルトヘイト法に反対するデモが行われたが、デモ隊は平穏に行進していたにもかかわらず、警察が発砲して大混乱となり、六九人の市民が殺害された。南アフリカではかなり以前から、子の火がパブリック・ホリデーとなっていた。一九六六年一〇月二六日、国連総会決議によりこの日が国際デーとなった。その後、毎年、国連本部でも南アフリカでも記念行事が行われている。

(3)四月七日 一九九四年ルワンダ・ジェノサイド反省デー

  一九九四年四月七日、ルワンダにおいてツチ民族に対する迫害と虐殺が始まり、八〇万と言われる虐殺が行われた。二〇〇四年四月七日、国連総会で決議が採択された。キガリ(ルワンダ)、ニューヨーク(アメリカ)、ダルエスサラーム(タンザニア)、ジュネーヴ(スイス)で記念行事が行われ、一分間の黙祷が行われた。

(4)五月八・九日 第二次大戦時に生命を失った者の記憶と和解の時

  一九四五年五月八日、ナチス・ドイツが無条件降伏をし、アドルフ・ヒトラーの第三帝国が終焉した。二〇〇四年一一月二二日、国連総会で決議が採択された。決議は、各国、国際機関、NGOに、第二次大戦犠牲者に敬意をささげるように呼びかけている。

(5)八月二九日 核実験反対デー

  一九九一年八月二九日、セミパラチンスク核実験場が閉鎖された。二〇〇九年一二月二日、カザフスタンが提案した国連総会決議が全会一致で採択された。決議は、核実験爆発の影響に言及し、核兵器のない世界という目標を達成する手段の一つとして核実験中止の必要性を訴えている。

(6)一一月二五日 女性に対する暴力撤廃デー

  一九六〇年一一月二五日、ドミニカ共和国で、政治活動家であるミラバル三姉妹が、トルヒーヨ独裁政権によって暗殺された。一九八一年、主にラテン・アメリカの活動家たち、NGOが、女性に対する暴力と闘う日として記念行事を行ってきた。一九九三年五月、ウィーン世界人権会議で女性に対する暴力のテーマが正式に取り上げられ、一二月には国連総会で女性に対する暴力撤廃宣言が採択された。翌年から国連人権委員会の議題となり、その後、現在にいたっている。一九九九年一二月一七日、国連総会決議によって国際デーとなった。その後、毎年、国連、列国議会同盟、UNIFEMが記念行事を行っている。

(7)一二月二日 奴隷廃止デー

  一九四九年一二月二日、国連総会は人身売買禁止条約(人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約)を採択した。国連は一九八六年以来、この日を国際デーとして記念してきた。

Wednesday, February 17, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(162)人として認められる権利

若林三奈「集団に対する差別的言動と不法行為――人間の尊厳と平穏生活権」『法律時報』93巻2号(2021年)

入会拒否のような拒否型差別行為と異なり、不当な差別的言動は人間の尊厳の否定と評価しうるが、それが個人ではなく、「特定の属性(集団)のみを攻撃対象とする場面では、その言動を直ちにその属性を有する個々人の名誉毀損と捉えることは、対象の特定性を欠くことから妥当でない、という理解が一般的である」とされてきたが、近時いくつかの裁判事例が出たことから、さらに検討を要するとして書かれた論文である。

京都朝鮮学校事件判決をもとに「集団へのヘイトスピーチと個人の現実の損害発生の可能性」について見た上で、「集団へのヘイトスピーチと個人の保護法益」として、第1に「名誉」について、「特定人の社会的評価の(現実の)低下」という通説的な不法行為上の名誉概念を相対化することにより、個人の「名誉」侵害と捉える可能性を指摘する。

2に平穏生活権(住居における平穏生活する人格権)について、川崎市ヘイトデモ差止仮処分命令を素材に検討し、次のように述べる。

「人間の尊厳を否定するヘイトスピーチは、人間の生活に不可欠な人間の生物的・社会的生存条件(環境)を侵害するものであるから、たとえそれが集団に向けられたものであったとしても、そこに属する個人の人格権を侵害するおそれのあるものとして(=現実化すれば絶対権の侵害となる)平穏生活権侵害の問題として捉えうる。ヘイトスピーチは、他者を『人間として適切に承認されること』(私法上の権利能力平等原則)を否定する行為であり、個人が権利主体として権利を平等に享受する前提(社会的生存条件・環境)を客観的に侵害する行為である。その意味で、絶対権の侵害であるから、たとえそれが直接に特定個人の人格に向けられたものではなく、その個人が属する集団に向けられたものであっても、因果関係を補充・拡張し、特定個人の『平穏生活権侵害』として保護することが必要ではなかろうか。」

ただ、著者は最後に「かかる救済を常に事後的に、しかも私人のイニシアティブのもとにのみ期待することが適切であるかは疑問である」とし、「果たして法は自らの権利のために闘う強い個人の登場を期待するだけで良いのか。併せて、言論市場における対等平等性が当事者に真に確保されているのかも問われるべきであり、これを保障できない場面では、経済市場と同様に、何らかの公法的な規制――適正手続によるデモや集会の道路・施設利用の規制等を含む――を検討すべきではないか。このことは『誰一人取り残さない』社会の実現からも不可欠となろう。」として、パリ原則に準拠した国内人権機関や、SDGsにも言及している。

ヘイト・スピーチの民事不法行為に関する解釈を前進させる論文であり、賛同できる。著者に感謝。

「人間として適切に承認されること」について、私は長年、世界人権宣言第6条の「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。」に依拠して、これを主張してきた。ところが、従来、賛成してくれた研究者はほとんどいない。研究会の場で賛成してくれる者はいたが、研究論文レベルでは皆無である。

上記のように「ヘイトスピーチは、他者を『人間として適切に承認されること』(私法上の権利能力平等原則)を否定する行為」と書いてくれるとありがたいが、さらに踏み込んで書いてくれないものか。

Sunday, February 14, 2021

ヘイト・クライム禁止法(196)バーレーン

バーレーンがCERDに提出した報告書(CERD/C/BHR/8-14. 11 June 2019

憲法は私権とその行使を人種や性の区別なしに保障し、信仰の自由の原則を採用している。憲法第18条は「人々は人間の尊厳の尊重において平等であり、公的な権利と義務において市民は法の前に平等である。性、言語、宗教又は信条に基づいて差別してはならない」とする。

刑法第172条は共同体間の憎悪や侮蔑の煽動を、刑法第309条は宗教宗派の公然中傷や侮辱を犯罪とする。刑法第310条は、承認された宗教の意味を改ざんし、その原則を貶める書物を印刷出版すること、教授すること、宗教シンボルを侮辱すること、宗教儀式を嘲笑する意図をもって嘲ることを犯罪とし、刑法第311条は故意に宗教儀式を妨害し、宗教行事の実行のための建築や宗教シンボルを損壊、摩耗又は汚すことを犯罪とする。

ハマド国王の平和的共存グローバルセンターが設置されており、文明と文化の価値観の共有、寛容の文化、平和的共存を目指している。新しい啓蒙運動として道徳的価値と人権の価値を基礎に、暴力や憎悪を導く過激主義イデオロギーと闘い、多元主義を推進している。

2002年の印刷・出版に関する法令第47号は、表現の自由を保障しつつ、宗教を中傷する出版物を犯罪化する。2006年のテロリズムから社会を保護する法令第58号は、宗教に対する犯罪がテロ活動の過程で行われた場合に刑罰を加重する。刑法第75条は、民族、宗教、性別、又は皮膚の色を根拠に差別的動機で犯罪が行われた場合に刑罰加重事由とする。

2015年、公共情報省はバーレーン・ジャーナリスト協会と協力して、プレス行動綱領を策定し、人種的優越性、人種憎悪、煽動を助長する報道を行わないことを掲げた。

情報省は、最近のグローバルな発展に対応して、人種差別や憎悪を刑罰加重事由とするプレスと電子メディアに関する法案を作成中である。

2015~17年、59のワークショップを開催し、主にメディア関係者ら461人が参加した。差別唱道、憎悪煽動、その助長について55の書物と出版物の捜査と没収が行われた。3つの地方新聞に対して法に従うよう求める7つの警告を発した。

法令の適用状況、裁判事例は不明である。

バーレーンの審査は20208月予定だったが新型コロナのため延期となった。

<被害者中心アプローチ>をめぐって(8)

前回、真実和解委員会や真実和解特別報告者について紹介したところ、いくつか質問をいただいた。1つは、真実和解委員会のそのものについて具体的な内容をもっと知りたいという趣旨である。もう1つは、日本軍性奴隷制(慰安婦)問題における和解についてである。

1の真実和解委員会については、次の著書が有益である。

歴史的記憶の回復プロジェクト『グアテマラ虐殺の記憶――真実と和解を求めて』(岩波書店、2000年)

プリシナ・ヘイナー『語りえぬ真実――真実委員会の挑戦』(平凡社、2006年)

阿部利洋『紛争後社会と向き合う――南アフリカ真実和解委員会』(京都大学学術出版会、2007年)

阿部利洋『真実委員会という選択――紛争後社会の再生のために』(岩波書店、2008年)

アレックス・ボレイン『国家の仮面が剥がされるとき――南アフリカ真実和解委員会の記録』(第三書館、2008年)

アンキー・クロッホ『カントリー・オブ・マイ・スカル――南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩』(現代企画室、2010年)

杉山知子『移行期の正義とラテンアメリカの教訓』(北樹出版、2011年)

真実和解委員会は1980年代からラテンアメリカで始まった一方、南アフリカのアパルトヘイトに関する真実和解委員会が有名であるので、その両方を見ればおおよそのことはわかる。日本でも2000年代に上記のような研究が進んだ。

 

2の日本軍性奴隷制(慰安婦)問題における和解については、2つの論点がある。

(1)   和解と裁きの関係――真実和解委員会と刑事裁判の関係

(2)   朴裕河著『和解のために』をどう見るか

 

(1)    和解と裁きの関係――真実和解委員会と刑事裁判の関係

この点は必ずしも明確ではないと思う。真実和解委員会と刑事裁判を矛盾すると捉える見解もあるが、並列的と見る見解もあるし、刑事裁判には真実発見機能や和解機能もあると見る立場もあるからだ。

また、真実和解委員会は198090年代に多かったが、1998年の国際刑事裁判所規程により2002年に国際刑事裁判所が発足して以後、真実和解委員会から刑事裁判への流れができたと言えるかもしれない。

慰安婦問題について、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書は、責任者処罰という形での裁きを勧告した。同時に、両報告書は国際的レベルで真実発見機能を持ったといえよう。

慰安婦問題について政治権力レベルでは国際裁判も国内裁判も行われなかったが、2000年女性国際戦犯法廷が実施された。女性法廷は判決宣告・有罪認定にとどまり、刑罰負荷も量刑もなかったが、「民衆法廷という形態をとった真実和解委員会でもあった」。

ただ、慰安婦問題では、すでに30年に及ぶ議論がなされてきた中で、誰と誰の和解なのかが混乱してきた面がある。本来なら加害者と被害者の間の和解が語られるべきだが、加害者には中曽根康弘のような慰安所設置に関与した個人と、日本軍という組織及び日本政府の加害性が問題となる。個人の法的責任とは別に、国家の法的責任と道義的責任が浮上する。日本政府は法的責任を否定しつつ、道義的責任をとると称してきたが、実際には道義的責任も否定する言動が目に付く。アジア女性基金や日韓合意は、道義的責任のための措置ともいえるが、道義的責任を解除するためのトリックでもあった。

日韓合意について、

前田朗編『「慰安婦」問題・日韓「合意」を考える』(彩流社、2016年)

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784779122132

 

(2)    朴裕河著『和解のために』をどう見るか

『和解のために』及び『帝国の慰安婦』については、すでに何度もコメントした。要するに、「和解」概念を身勝手に改竄して、被害者に「和解」を押し付ける議論はセカンドレイプに等しいということだ。

前田朗編『「慰安婦」問題の現在』(三一書房、2016年)

https://31shobo.com/2015/10/16001/

 

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以下は、前田朗「真実・正義・補償に関する特別報告書(一)」『統一評論』577号(2013年)より

 

三 日本軍慰安婦問題の場合

 

 デ・グリーフ報告書の紹介は次回も続けるが、以上に紹介した前半部分について、日本軍慰安婦問題に照らして、最低限必要なコメントを付しておこう。

 第一に、真実への権利である。慰安婦問題が浮上した一九九〇年代、何よりも真実発見が重要であったことは言うまでもない。日本政府は事実を否定しようとしたが、歴史学者や支援団体の調査によって次々と事実が明るみに出て、韓国のみならずアジア各地から被害者が名乗り出ることによって、事態が一気に明らかになっていった。そのことが河野談話や村山談話につながった。

 しかし、九〇年代後半から現在に至るまで、真実を闇に葬り去るための策動が続いていることは言うまでもない。

 第二に、国際社会では四〇を超える真実和解委員会の実例があるという。日本軍慰安婦問題については、研究者、被害者団体その他の民間団体による多くの調査があるが、公的な真実和解委員会は設置されなかった。日本政府は内部的な調査を行い、事実を否定できなくなったために河野談話と村山談話を出さざるを得ず、あとは「アジア女性基金」で幕引きを図った。本格的な調査は行われず、しかも情報公開も不十分であった。国家責任を逃れるためのアジア女性基金政策は欺瞞的であり、破綻せざるを得なかった。ただし、アジア女性基金関係者の調査によって一定程度の事実が明らかにされた。いずれにせよ、日本軍慰安婦問題については公的な真実和解委員会が設置されなかった。

 他方、国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告書」及び人権小委員会のゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制特別報告書」が、国連人権機関レベルにおける真実発見機能を果たしたと言えよう。

 また、民間における調査・研究は今日に至るまで長期的に行われている。特に、二〇〇〇年に東京で開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」は、民衆法廷という形態をとった真実和解委員会でもあったと言えるだろう。

 第三に、委員会の期間である。初期の真実和解委員会はいずれも短期間であったという。日本政府もごく短期間の内部調査しか行わず、重要な関連資料を明らかにすることさえしなかった。形式的に調査したアリバイだけを残して、真相を闇に葬るための「調査」というしかない。民間における調査・研究は長期にわたった。九〇年代における調査は女性国際戦犯法廷に取り入れられて、大きな前進となった。

 第四に、調査するべき対象の期間である。アルゼンチンが七年、ケニアの場合は四四年という。日本軍慰安婦問題は一九三〇年代から一九四五年までの一五年と言えよう。もっとも、軍慰安婦以前からの近代日本における性奴隷制という観点ではもっと長期にわたる調査が必要ということになる。

 他方、デ・グリーフ報告者は言及していないが、対象期間と調査機関との間の時間の隔たりを見ておく必要もある。南アフリカ真実和解委員会は、アパルトヘイト体制終了後に比較的短期間で開始された。東ティモールも同様である。これに対して、日本軍慰安婦問題は、被害女性が半世紀の沈黙を破ったことから調査が始まったという点で大きな特徴がある。旧ユーゴスラヴィアやルワンダの悲劇と異なり、被害時期と調査時期の間の大きな隔たりが調査を困難にした面がある。もっとも、軍による犯罪のため、数多くの証拠が隠蔽されたとはいえ、それでも一定程度の証拠が残されていた。

 日本軍慰安婦問題について、いかなる形態の機関によって真相解明が行われるべきだったのか、一九九〇年代初期の議論では、必ずしも十分な議論がなされなかったと言えよう。日本政府にどのような調査をさせるべきかという議論も不十分であったかもしれない。

内閣部局が調査に当たるのは当然だったかもしれないが、朝鮮総督府、内務省、陸軍・海軍などの全体的な資料調査は十分に行えなかった。また、法務省や裁判所も調査に協力していないため、国外移送目的誘拐罪の判決があることさえ、いまだに日本政府は認めていない。被害女性と支援団体が東京地検に告訴・告発しようとした時にも、東京地検は何ら捜査することなく、告訴・告発を不受理とした。

当時、研究者や支援団体の中で真実和解委員会という発想はなかったように思う。ラテンアメリカ諸国における真実和解委員会の実践に関する知識がほとんどなかったためであろう。グアテマラ真実和解委員会の成果が紹介されたり、南アフリカ真実和解委員会が動き出したニュースが流れたのは、やや後の事だったように思う。韓国の過去事整理委員会の活動もやや後に始まった。現在では、そうした多くの成果を基に考えることが出来るが、九〇年代初頭にそのような発想を持てなかったのは、やむを得なかったのかもしれない。

Saturday, February 13, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(161)

「特集:インターネット上の誹謗中傷問題――プロ責法の課題」『ジュリスト』1554号(2021年)

◇インターネット上の誹謗中傷問題――特集に当たって…宍戸常寿

◇媒介者の責任――責任制限法制の変容…丸橋 透

◇発信者情報開示手続の今後…垣内秀介

◇名誉毀損(信用毀損)に当たる誹謗中傷とは…北澤一樹

◇誹謗中傷と有害情報…上沼紫野

◇匿名表現の自由…曽我部真裕

◇総務省の取組…中川北斗

総務省の「プラットフォームサービス研究会」座長の宍戸論文は特集の趣旨説明。

垣内論文は、総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会」のとりまとめ見解の解説で、新たな裁判手続き案の概要を示す。

北沢論文及び上沼論文はオンラインの名誉毀損に関する判例、現状を整理する。

いずれの論文も、個人見解と称しているが、総務省の方針を提示しているので重要。

理論的に重要なのは、総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会」の座長である曽我部論文である。匿名による誹謗中傷表現にいかに対処するかという現実的、かつ難しい問題の検討がなされている。匿名表現の価値に関する理解は、海野敦史「匿名表現の自由の保障の程度」『情報通信学会誌』37巻1=2号(2019年)に依拠している。曽我部は本論文では比較法研究を行っていないが、先行研究として毛利透、岩倉秀樹、大島義則、岡根好彦、高橋義人らの論文を挙げている。

本論では、「匿名表現の自由の保障が、表現の自由の一般的な保障構造の中でどのように位置づけられているのかについては明らかにされていないように思われる」という。曽我部自身は「顕名だろうが匿名だろうが、表現であれば表現の自由の保障を受けるのである。また、表現者にとっても、匿名によって『自由に表現できる』という点が重要なのであって、匿名であること自体に意味を見出しているわけでは必ずしもないだろう」と結論付ける。匿名表現者の主観を根拠にする議論である。違憲審査の在り方については「委縮効果が特に懸念される場合には、匿名性を剥奪しようとする制約の合憲性は慎重に審査されるべきである」とする。匿名であること自体を憲法上の保障に含める議論である。

その上で、曽我部は、発信者情報開示制度と匿名表現の自由について論じ、「発信者情報開示は、民事掲示責任を追及する前提として住所・氏名等の開示がなされるものであり、発信者に対する委縮効果は大きい。…正当な表現を委縮させることがあってはならない」とし、その手続きについても検討する。

曽我部の議論の特徴は、もともと、近代市民法においては「自由・平等・対等の主体としての市民の表現の自由」を論じていたはずなのに、自由・平等・独立という前提を完全に投げ捨てて、匿名表現者による闇討ち的差別表現を規制することによる委縮効果を論じていることである。誰のどのような表現であるのかという具体性は消去される。なぜなら抽象的市民法を仮設しているからである。自由・平等・独立の論理を用いて不自由・不平等・非対等を擁護する理論枠組みである。

それがすべてではなく、曽我部なりの悩みが見え隠れするが、実質的には、マジョリティの表現の自由を擁護するためにマイノリティの表現の自由を犠牲にしてもやむを得ないという立場が鮮明になる。だが、この論理を乗り越えるのはなかなか容易ではない。日本国憲法にはマジョリティやマイノリティという言葉がなく、国民概念(市民)の平等性が仮構されているからだ。

スガ疫病神首相語録16 「若い人、女性はいないか」

若い人、女性はいないか」

 

2月4日のシンキロー森喜朗「女性蔑視」事件は謝罪会見が言い訳会見になり、ずぶずぶ、ぐちゃぐちゃの混迷。

スガは他人事で、ヤマシタやユリコも間抜けな対応しかできなかったが、なんとか途中で立ち直った。

ようやくシンキロー辞任と思ったところ、2月11日、なんと「密室人事」でブッチー登場。だが、一夜にしてブッチー退場。

2月12日、スガの「若い人、女性はいないか」発言によりブッチー退場の流れができて、12日のシンキロー辞任、候補者検討委員会の設置になった。

――と伝えたのは今や「スガ忖度ステーション」と揶揄される報道ステンショ。

もっともらしく並べたが、これでは、2月11日夜にブッチーが「シンキローさんがスガさんと話してブッチーならいいねとなった」と話したことと整合性がない。

学術会議任命拒否事件で、スガは「若い人、女性が少ない」と任命拒否を正当化しようとしたが、

実際に拒否されたのは若い人と女性だった。

スガの「若い人、女性はいないか」とは「83歳のブッチー」のことだった。

 

スガ流ことわざ・しりとり

 

若い人、女性はいない

*言葉と中身が全く逆であっても、その気がないのに、いつでもどこでも使えるセリフ。

 

れき(枯れ木)も瓦礫も山の賑わ

*80を過ぎても枯れることのできない老害集団がわいわい世間を騒がせること。

 

ぬ(犬)の遠吠

*弱い犬が勝ち目がないのに吠えることを言うが、みんなで吠えたらシンキロー辞任。

 

び(海老)で鯛を釣

*小さな投資で大きな収穫を得ることだが、「モリが辞任すればそれで終わりではない」と大改革の社会変革を実行できるか。

 

い(類)は悪友を呼

*シンキロー、ガースー、ブッチー、バッハ。

 

ッチーの一人芝居(しば

*説明不要。

 

しばし(石橋)をたたいて渡ら

*今どきの石橋は崩れる危険があることのたとえ。

 

ずめ(雀)の涙(なみ

*くじらのダンス、ありんこの涙、政治家の良心。

 

ざん(他山)の石(い

*「モリの振り見て我が振り直せ」とも言う。

 

(知)らぬがほっと

*学術会議任命はオレの権限だが、オリンピック組織委員会はオレの権限ではないからと、ご都合主義で使い分ける介入主義と不介入主義。

 

いぞく(継続)は力なり、83年のシンキロー

*無能な首相で短期政権でも、失言暴言を続けて君臨できた日本社会。

 

うへい(老兵)は死なず、消え去らず

*役目の終わった者は表舞台から立ち去ることだが、なかなか実現しない。老兵はしがみつく。



Wednesday, February 10, 2021

スガ疫病神首相語録15 医療崩壊

緊急事態宣言によってかどうかはともかくとして、新規感染者数が落ち着いてきた。ぎりぎり「医療崩壊」の危機を逃れたようである。

もっとも、政府とマスコミが「新型コロナのために医療崩壊の危機になった」という大宣伝を繰り返したので、国民の多くが妄信している。

しかし、医療崩壊したのは、新型コロナのためというよりも、それ以前に医療崩壊政策が推進されてきたためである。犯人はアベとスガである(後述する)。

 

 

「待ちぼうけ」のメロディで

 

待ちぼうけ 待ちぼうけ

ある日せっせと ウイルス対策

そこへアベが 飛んで出て

ころなころげた 病院廃止

ころなころげた 保健所廃止

 

待ちぼうけ 待ちぼうけ

それでもせっせと ワクチン開発

そこへスガが 飛んで出て

COVID広げて 医療費削減

COVID広げて 学者を拒否

 

待ちぼうけ 待ちぼうけ

東大、阪大 ワクチン開発

国産ワクチン つくれない

頼る 輸入は 2か月遅れ

頼る 輸入は 2か月遅れ

 

待ちぼうけ 待ちぼうけ

東北新社は 映像会社

 そこへ息子が 飛んで出て

 ころなころげた 役人接待

 ころなころげた タクシー券

 

待ちぼうけ 待ちぼうけ

延期延期の 五輪だが

そこへモリが 飛んで出て

 女性理事は 時間がかかる

 女性理事は 話が長い

 

 

以下は、斎藤貴男・前田朗『新にっぽん診断』(三一書房)より

 

斎藤――客観的かつ十分なデータを積み上げた上で、議論されるべきは、国の医療政策や衛生政策をどうするかです。

前田――そこがきちんと問われないといけない。SARSMERSといった呼吸器症候群の大流行時以来の政策展開ですよね。

斎藤――1990年代以降、保健所の数をどんどん減らしてきた。保健所の数は2019年時点で全国にわずか472カ所しかないんです。

前田――基礎自治体の数より少ない。

斎藤――市町村の数は現在1724ですから、3割以下ですね。まるっきり少ない。90年代前半はそれでも850カ所以上あったんですよ。保健所再編で半分に減らされた。それから、1996年には9716床あった感染症病床が、2019年は1758床です。2割以下になっているんですね。新自由主義に基づく構造改革でどんどん切り捨てが進みました。人口10万人当たりのICU(集中治療室)のベッド数も、日本は7.3床で、たとえば米国の34.7床の5分の1ほどしかありません。ヨーロッパ各国と比べても、日本は異様に少ないのです。さらには公立病院、公的な病院の数を四分の一に統廃合するという方針が昨年秋に示されていたのですが、このコロナ禍にあっても加藤勝信厚労大臣は国会でこの計画を変えないと表明しています。何もかもがビジネス最優先で、近年は医療についても生産性のなくなった病人には延命治療を避け、さっさと“死なせる医療”にばかり熱心なのがこの国の政府です。国民の生命を守る姿勢なんてまるでない。感染症対策が大事だということが再確認され、誰もが言っているのに、政府・厚労省はそうは考えていない。成功すればカネになり、利権になり得るワクチン開発は重要視しますが、医療政策は後ろ向きです。

前田――医療の公共性を忘れて、ビジネスに丸投げしている。

<被害者中心アプローチ>をめぐって(7)

ここ数年、在日本朝鮮人人権協会の年2回発行の機関誌『人権と生活』に「差別とヘイトのない社会をめざして」という連載をさせてもらっている。

 

その8回目に「差別と闘う教育・文化・情報――人種差別撤廃条約第七条の解釈」という文章を書いた。その構成は次の通り。

一 はじめに――国連人権理事会発言

二 人種差別撤廃条約第七条

三 欧州諸国における実践

四 おわりに

 

「一 はじめに――国連人権理事会発言」では、国連人権理事会で日本におけるヘイト・スピーチの状況を報告したことを書いた。東京メトロポリタン放送による辛淑玉さんへの差別、及び李信恵さんの反ヘイト裁判のことを取り上げた。

 

「二 人種差別撤廃条約第七条」では、元人種差別撤廃委員のイオン・ディアコヌの著書『人種差別』Ion Diaconu, Racial Discrimination, Eleven International, 2011.の条約第7条に関する記述を紹介した。

 

条約第6条が要請する個別の被害者の救済に加えて、条約第7条は、被害を受けやすい集団への差別を抑止するための教育や文化政策を要請している。

 

************************************

 

 人種差別撤廃委員を務めたイオン・ディアコヌは、人種差別の克服には実行者に制裁を科す法や制度だけでは不十分であるという(ディアコヌ『人種差別』イレブン国際出版、二○一一年)。全住民に包括的な教育を行い、人種偏見と闘い、異なる人々や民族的出身者への寛容と理解を形成する必要がある。そのためにはすべての段階の学校、生涯教育、美術的創作、文化的創作のあらゆる段階、及び古典的な印刷(報道・出版)、ラジオ、テレビから、インターネットその他の技術に及ぶ広範な措置が含まれる必要がある。

 ディアコヌによると、条約第七条の目的のために、人種差別撤廃委員会は各国の状況を分析し、勧告をまとめてきた。教育、文化、情報の分野でなすべきことを各国に提案してきた。例えば次のような勧告である。

①社会全体に条約の諸規定を教育するキャンペーンを組織すること。

②民族的マイノリティに対する偏見と闘う教育と啓発の強化。

③人々に反ユダヤ主義に関する問題に敏感になるようにすること。

④すべての住民に人権の精神を教育すること。

⑤マイノリティに対する否定的態度や偏見と闘うこと。

⑥人種主義や排外主義を生み出すすべての傾向を監視すること。

⑦すべての者に多文化教育を行うこと。

⑧すべての段階の教科書に多様性と多文化主義を導入すること。

⑨民族的集団が調和の内に生きることができるように措置を講じること。

⑩世俗的学校や多宗教学校の普及。

⑪現行法の枠組みを差別が起きないように修正すること。

⑫カースト差別や人種的偏見の社会的容認を根絶する努力の強化。

⑬多文化的寛容、理解、尊重を促進する努力の継続。

⑭マイノリティ、外国人、難民申請者に対する敵意の予防努力。

⑮反人種主義キャンペーンの継続と強化。

⑯民族的マイノリティ、移住者、難民申請者の積極的イメージの促進。

またディアコヌによると、人種差別撤廃委員会は、メディアにおけるマイノリティ、先住民族、非市民に対する人種主義、排外主義、不寛容の現象に関心を表明してきた。各国には、メディアが人種的偏見やステレオタイプと闘うのを支援し、異なる集団の間の理解と共存の雰囲気を促進することが求められる。メディア倫理綱領の採択、条約に合致するインターネット規制法の制定が求められる。欧州諸国にはサイバー犯罪欧州委員会条約の批准が推奨された。人種差別を克服するため国連人権高等弁務官事務所との協力が助言された。

Sunday, February 07, 2021

<被害者中心アプローチ>をめぐって(6)

前回書いたように、これまで「真実・正義・補償に関する特別報告者」「真実和解特別報告者」の報告書を何度か紹介してきた。どのようなテーマが取り上げられてきたかを簡潔にまとめておきたい。

 

*前田朗「真実・正義・補償に関する特別報告書(一)(二)」『統一評論』577号、579号(2013年)

この特別報告者は2011年の国連人権理事会決議によって設置され、最初の特別報告者にパブロ・デ・グリーフが任命された。その最初の報告書(A/HRC/24/42. 28 August 2013)は、真実への権利、真実和解委員会の諸問題(設置形態、任務、真実発見機能、予防、被害者救済、和解、委員会の選出、スタッフと財政、記録保管、美術展等)について論究している。デ・グリーフは、以上をまとめて結論を示し、最後に勧告を列挙している。

 真実和解委員会の適切な機能を実現するため、委員会設置構想段階から国際的視点を導入すること。被害者追跡・確認のために最新の医学を利用すること。委員会が女性の権利に注意を払い、ジェンダーに基づいたアプローチを採用すること。委員会のために利害紛争に関する国際ガイドラインを策定すること。委員会が適切に機能できるようにスタッフと財政を確立すること。そのために国際社会が財政的、人的支援を行うこと。これまでの真実和解委員会のノウハウにアクセスできるようにすること。委員会勧告を履行する責任に政府が誠実に向き合うこと。委員会が十分に機能できるように市民社会が委員会にアクセスし、協力すること、等々。

 

*前田朗「移行期の正義としての刑事訴追――デ・グリーフ真実・正義特別報告書の紹介」『Let’s』第87号(2016年)

テーマとして「包括的な移行期の正義としての刑事訴追」を掲げ、不処罰との闘い、捜査・訴追の義務、訴追優先戦略による責任、効果的な優先戦略の要素、その基準、被害者参加を論じている。

被害者参加では、次の5点を整理している。

(1)被害者を権利主体として認知することである。

(2)真実への権利の強化につながる。

(3)手続き開始だけでなく、証拠収集や立証においても被害者が参加できる。

(4)被害者を単に証人としてだけではなく、より重要な役割を与える。

(5)移行期の正義において真実追求と補償の過程で大きな役割を果たせる。

(6)被害者参加から被害者自身が再発防止のメリットを得ることができる。

最後に特別報告者は数多くの結論と勧告をまとめている。主な勧告を紹介しておこう。

(1)各国に、人権侵害と人道法違反について捜査と訴追を行う義務を果たすように促す。

(2)各国に、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪その他の重大人権侵害について恩赦を与えないように促す。

(3)各国に、重大人権侵害について管轄権を設定する法律を採択するよう促す。

(4)各国に、補足性の原則を最小限の許可にとどめないように促す。

(5)優先戦略を責任への応答を強化する手段とするよう促す。

(6)訴追戦略を慎重に検討し、責任追及や被害者参加を実現するよう促す。

(7)訴追戦略を検討し、重大侵害の組織的構造的局面、侵害のパターン、指揮命令系統の連鎖を解明できるようにするように強調する。

(8)各国に、訴追を実現するために制度的社会経済的改革を行うよう促す。

(9)訴追戦略を重要な第一ステップとし、戦略を実施する意思を明確にするように呼びかける。

(10)検察官の独立性と公平性を確保する憲法や法律の改正を促す。

(11)検察官に公共の利益のために責務を果たし、政府や政党の利益擁護をしないように促す。

 

*前田朗「移行期の正義における被害者参加――デ・グリーフ真実・正義特別報告書の紹介(二)」『Let’s』第88号(2017年)

国連人権理事会第34会期に提出された報告書(A/HRC/34/62. 27 December 2016)。テーマは「移行期の正義における被害者参加」である。被害者参加の必要性、法的枠組み――国際人権法、真実委員会、刑事司法(国際刑事裁判所、カンボジア特別法廷、国内法廷)、補償、再発防止保障、被害者参加成功のための条件について論じたうえで、最後にデ・グリーフ特別報告者は勧告を列挙している。

(1)    国連、その他の関係者(医療機関、国際協力機関、研究所等)に、移行期の司法研究の空白を埋める被害者参加の経験の比較分析を行うよう促す。

(2)    移行期の司法を設計する責任者に、被害者参加を周縁的なものではなく、移行期の司法政策形成にとって本質的要素と考えるように促す。そうすることによって、移行期の司法の日程、職員、活動、実施措置、監視に影響を与える。

(3)    被害者参加成功のための条件から、各国政府や紛争当事者に、すでに被害を受けた者だけでなく、移行期の司法に貢献すべく甚大なる努力を傾けている家族等も含めて安全性を保障するよう勧告する。コロンビアやスリランカのような紛争後の諸国は特にこの点を考慮するべきである。刑事法廷で重大な証言を行った証人が二〇〇六年に失踪したアルゼンチンも同様である。

(4)    被害者への心理学的支援のためにより多くの系統的な関心が払われるべきである。真実和解委員会や刑事法廷での証言のような形態の参加に基礎的かつ迅速な支援がなされる必要がある。被害者には長期にわたる支援も不可欠である。十分な被害者支援を行っている国はごくわずかである。

(5)    移行期の司法に参加する被害者の能力形成プログラムを設計するために多くの努力がなされるよう勧告する。

(6)    特に女性被害者やしばしば被害を受ける周縁化された集団の参加を促進するための方策を設計する必要がある。

 

*前田朗「移行期の正義の諸局面――サルヴィオリ真実・正義特別報告書の紹介」『Let’s』第91号(2018年)

国連人権理事会第39会期にファビアン・サルヴィオリ「真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告者」の報告書が提出された(A/HRC/39/53. 25 July 2018)。サルヴィオリはラプラタ大学の国際人権法教授。報告書は「不処罰との闘い」を中心に、再発防止、ジェンダー視点、非国家行為者、被害者参加について論じたうえで、最後にサルヴィオリ報告者は結論と勧告をまとめている。

 第一に、前任者の研究成果と結論を踏まえて、さらに研究を深めたい。移行期の司法の領域で直面している挑戦に対応し、これまで各地の移行期の司法の努力が相互に結び付けて議論されてこなかったので、相互の結びつきを意識しながら進める。

 第二に、移行期の司法の研究を人権システムと調和させ、ヘルメノイティク的方法(解釈論的方法)としての人間中心アプローチで研究を進める。

 第三に、開かれた対話の精神をもって関係諸機関と協議し、移行期の司法に関する国際的、地域的、国内的諸機関の情報を共有していく。

第四に、特別報告者の任務を明確に定義づけ、移行期の司法の中核的諸問題を解明していく。

第五に、不処罰との闘い及び信頼の再確立という移行期の司法の横断的目標に焦点を当て、司法手続きの実効性の強化に努める。

第六に、移行期の司法に関連する諸要素について人権に基づいたアプローチで各国及び地域レベルの経験や実践を共有していく。

第七に、特に再発防止の観点で、積極的アプローチを採用し、重大侵害を行った機関に限らず、より幅の広い射程で防止、特に教育について検討する。

第八に、移行期の司法のもう一つの鍵となる観点としてジェンダー視点を重視する。ジェンダー視点に関連する多元的な観点を射程に入れて検討する。

第九に、非国家行為者問題について、武装集団の影響と、多面でその他の非国家行為者が有する構築的役割に注意を注いでいる。企業、宗教団体、メディア、アーティストは移行期の司法のために役割を果たせる。

第一〇に、特別報告者は被害者の参加に重要な意義を見出している。公式にも非公式にも、参加の手立てが重要である。

 

*前田朗「被害者の権利と歴史記憶化過程」『部落解放』799号(2020年)

最新のサルヴィオリ報告書を202012月の『部落解放』に紹介したばかりである。そこでは歴史の記憶問題が被害者の権利として論じられている。

 

以上の報告書を通覧すれば、<被害者中心アプローチ>とは何かがよくわかる。日本ではこうした思考そのものが拒否されてきた。

歴史修正主義者だけではない。法学者やジャーナリストが基礎知識なしに、とんでもない議論をしてきた。一例をあげると「真実への権利」が理解されていない。上記でデ・グリーフ報告者が最初に論じたのが「真実への権利」であることを示した。日本の法学には存在しない概念であるが、一見するとわかりやすいので、特に疑問を持たないだろう。そこで日本の法律家やジャーナリストは「知る権利」に引き付けて考える。似ているからだ。

確かに似ている。欧州人権裁判所での議論でも、真実への権利を表現の自由に引き付けて議論が行われたことがある。その意味では真実への権利を知る権利と表現の自由の文脈で理解することがまったく間違っているわけではない。

ただし、この概念の中心は表現の自由ではない。もともと真実への権利は米州人権裁判所の判例法理に始まった。欧州人権裁判所ではない。出発点は強制失踪や拷問の被害者の権利である。行方不明者の遺族の権利である。拷問されない権利、強制失踪されない権利、つまり人間の生命と身体の自由と安全にかかわる概念であり、人間の尊厳の範疇に属する。そこから始まって、被害者や遺族だけでなく、コミュニティも真実への権利を持つと議論され、より一般化していく中で表現の自由との関係も意識されるようになった。

概念には固有の由来があり、文脈がある。概念に込められた法理がある。このことを忘れた議論に陥らないことが必要だ。