原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島
原爆投下は人道に対する罪
七月一七日、広島平和公園のメモリアルホールで「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」の判決公判が開かれた。二〇〇六年七月に開廷された広島法廷の終幕である。
レノックス・ハインズ裁判長が判決公判開廷を宣言した。ハインズ裁判長は、アメリカのラトガーズ大学教授(国際法・刑法)、国際民主法律家協会終身国連代表であり、二〇〇一年六月のコリア戦犯民衆法廷検事や、二〇〇五年八月のフィリピン国際民衆法廷判事もつとめた。カルロス・ヴァルガス判事は、コスタリカ大学教授(国際法)、国際反核法律家協会副会長である。家正治判事は姫路独協大学教授(国際法)であり、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)およびイラク世界民衆法廷(WTI)広島公聴会の証人であった。
三人の判事が交替で朗読した判決は、原爆投下に至る政策決定過程を確認したうえで、戦争犯罪や人道に対する罪の成立要件をめぐる法解釈を展開し、「共同謀議」についても検討を加えた。
判決は、①一八六八年のセント・ペテルスブルグ宣言、②一八九九年と一九〇七年のハーグ諸条約、③特にマルテンス条項、④一八六四年、一九〇六年、一九二九年、一九四九年のジュネーヴ諸条約を検討しつつ、⑤一九九六年の国際司法裁判所の核兵器使用・威嚇に関する勧告的意見を引用して、次のように述べた。
「以上の原則を考慮して、被告人らが広島と長崎に核兵器を使用したことは、武力紛争に適用される国際人道法の原則および諸規定に照らして違法であると判断する。すなわち、両都市への原爆投下は、民間人を攻撃対象としており、民間人と軍事目標を区別できない核兵器を使用し、その結果生き残った民間人たちに不必要な苦痛をもたらしたのである」。
判決は、人道に対する罪についても、①一八九九年のハーグ毒ガス宣言、②一九〇七年のハーグ第四条約、③一九二五年のジュネーヴ毒ガス議定書、④極東国際軍事裁判所憲章第五条(c)を検討した上で、次のように述べている。
「広島と長崎への原爆投下は、即死者のほかに、多くの民間人に深刻で長期にわたる身体的精神的苦悩と苦痛を与えた。原爆投下の実行者たる被告人らは、民間人に対するこうした深刻で壊滅的な損害が原爆投下によって生じるであろうと理解していた。即死者のほかに、損傷を受けたり、放射性物質にさらされた結果に苦しめられる民間人がいることを、被告人らは知っていたし、知っているべきであった。・・・それゆえ、被告人らの違法行為は、人道に対する罪にあたる」。
広島判決を踏まえて
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」実行委員会は、二〇〇四年一二月に、民衆法廷開催を呼びかける文書を公表した。実行委員会共同代表には佐々木猛也(弁護士)、田中利幸(広島市立大学広島平和研究所教授)、坪井直(被爆者)が名を連ねた。広島と長崎の市民が協力して民衆法廷実現に漕ぎ着けた。
呼びかけ文は、<被爆者の高齢化が近年急速に進み、「被爆体験の風化」が憂慮されている今、この六〇年近くの核兵器開発・実験をめぐって発生してきた様々な問題と、ますます悪化する現在の世界状況に強力で有効な警告を発するため、あらためて広島・長崎への原爆投下の犯罪性を徹底的に追及する必要がある。原爆投下の犯罪性追及は、恒久的平和を願う広島・長崎の精神を再び活性化させ、どのような理由であろうと暴力と戦争を絶対に否定するメッセージを日本から世界に向けて発信することである>とする。
単に被害者の立場から法廷を開いたわけではない。アジアへの侵略戦争を行い、その結果、敗北は明白であったのに全面降伏することに躊躇したため、結局は原爆投下を招いた日本政府と昭和天皇にも被爆者に対する責任を強調している。被爆者の中には、朝鮮や台湾から日本での労働を余儀なくさせられていた多くの人々、占領地であった中国や東南アジアの人たちも含まれていたからである。
二〇〇六年七月一五日・一六日、広島法廷が開かれた。検事団は次の構成である。足立修一、井上正信、下中奈美、秋元里匡(以上、弁護士)、崔鳳康(韓国、弁護士)。
被告人は次の一五名である。ローズヴェルト大統領、トルーマン大統領、バーンズ国務長官、スティムソン陸軍長官、マーシャル陸軍参謀総長、ハンディ陸軍参謀総長代行、アーノルド陸軍航空隊総司令官、スパーツ陸軍戦略航空隊総指揮官、ルメイ第二〇爆撃郡司令官、ティベッツ中佐(エノラゲイ機長)、パーソンズ大佐(エノラゲイ爆撃指揮官)、スィーニー大尉(ボックスカー機長)、アシュワーズ中佐(ボックスカー爆撃指揮官)、グローヴズ少将(マンハッタン計画・総司令官)、オッペンハイマー(ロスアラモス研究所所長)。起訴状にはそれぞれが関与した事実と果たした役割が個別に記載されている。
アミカス・キュリエ(法廷助言者)として大久保賢一(弁護士)がついた。大久保弁護士は、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷やイラク国際戦犯民衆法廷(ICTI)でもアミカス・キュリエをつとめた。
検事団はこれまでの科学研究や歴史研究を踏まえて証拠提出を行なった。ヒバクシャ証言は、高橋昭博(広島)、下平作江(長崎)、郭貴勲(韓国)である。また、李実根(広島県朝鮮人被爆者協議会)が特別証言をした。さらに、被曝の影響について鎌田七男(広島大学名誉教授)、投下に至る事実関係について荒井信一(茨城大学名誉教授)、国際法から見た違法性について前田朗が証言した。
二〇〇六年七月一六日、広島法廷判事団は仮判決を言い渡した(以上について、前田朗『民衆法廷入門』耕文社、二〇〇七年)。
最終判決は一年後の二〇〇七年、最初の原爆実験から六二年目の七月一六日に言い渡された(朝日新聞・広島版七月一八日、毎日新聞・広島版、読売新聞・広島版、中国新聞同日)。
判決後に開かれたシンポジウムでの提案で、判決を「広島判決」と呼ぶことになった。また、将来に向けての広島判決の宣伝と活用、長崎における取り組み、核兵器禁止モデル条約案の試み、国際司法裁判所に勧告的意見を求める新しい取り組みなどが語られた。ニューヨークやコスタリカでの報告会の開催もめざしたい。原爆投下は「しょうがない」出来事ではなく、戦争犯罪と人道に対する罪であることを世界にアピールし続ける必要がある。
*追記:2012年8月13日、カルロス・ヴァルガス教授の訃報に接した。ヴァルガス教授は、軍隊放棄のコスタリカ平和憲法と日本国憲法の重要性を世界にアピールし、平和、反核、人権の憲法学を理論的かつ実践的に追及されてきた。2008年の「9条世界会議」にも参加され、前田がコーディネートした「分科会・軍隊のない国家」でコスタリカ憲法12条についてレクチャーされた。原爆投下民衆法廷でも、ハインズ裁判長、家判事とともに、精力的に活躍された。ご冥福を祈りたい。