「自動的な死刑執行」(鳩山法相発言)
『無罪!』2007年11月号
法相発言
九月二五日、鳩山邦夫法務大臣が、安倍内閣総辞職後の記者会見で「自動的な死刑執行」という見解を述べた。
「鳩山邦夫法相は二五日、内閣総辞職後の記者会見で、死刑制度について『判決確定から半年以内に執行するという法の規定が事実上、守られていない。法相が絡まなくても、半年以内に執行することが自動的、客観的に進む方法がないだろうか』などと述べた。法相の信条や宗教的理由で左右される現状に疑問を呈した形だ。/鳩山法相は『(執行命令書を出す)職責から逃げようというのではなく、「次は誰を執行」という話題になることがいいとは思えない。(確定の)順番なのか、乱数表なのか分からないが、自動的に進んでいけば「次は誰」という話にならない』と続けた。また、法務省が執行の対象者を公表しない現状については、『遺族感情や他の死刑囚の心情などがある』と、公表になじまないとの見解を示した。」(毎日新聞二〇〇七年九月二五日)
鳩山発言は 「ベルトコンベヤーの死刑」「法務大臣に責任をおっかぶせない死刑執行を」などの扇情的な表現で騒がれ賛否両論を呼んだが、法治国家における死刑論議としては最低の水準であった。マスコミでは、さすがに批判が強かったが、ネット上では「早く執行しろ。税金がもったいない」といった感情的な意見が溢れ、ある掲示板では賛成意見が八割を超えたという。
マスコミによる批判を受けて、鳩山法相は『週刊朝日』(一〇月二六日号)誌上のインタヴュー「私が死刑を執行する理由」で、「あれはいろいろ誤解もあって真意が伝わっていない」と弁明をしているが、一国の大臣が記者会見において思うままに話しながら、真意を伝える能力すらないことを自白したにすぎない。
鳩山法相は、死刑執行が慎重でなければならないこと(再審・恩赦等の可能性、心神喪失等)は「百も承知」であり、その上で「誰かがタブーを破って問題提起しなければ、物事は先に進め」ないと述べる。「私の発言については世論の八割が支持してくれている」と開き直り、日本と西欧とでは文明論的に違うのだという幼稚な文明論を持ち出している。
「自動的」という言葉については、「言葉が独り歩きしてしまっているところがあります。やはり最終的には大臣の署名が必要でしょう。ただ、大臣のところに回ってくる前の段階で、専門家集団というか、そういう人たちがきちっと検証なり判断なりができないかと考えています」という。
鳩山法相は、死刑執行の現状について「法務省が違法状態をつくっていいんだったら、法治国家とはいえないでしょう」と述べて、法務省が違法状態をつくってきた事実を認めている。
俗情への阿り
法相発言には多くの問題点があるが、少なくとも次の点は確認しておきたい。
第一に、歴史の無視である。現状の問題点を根拠にして、突然、思いつきの「解決策」を持ち出しているが、なぜ現在に至ったのかをまったく論じようとしない。
たとえば、法律上は死刑確定後六ヶ月以内に執行することになっているのが守られず、執行まで平均七年半となっている。この点だけを取り上げて「違法状態」だから改善せよという主張をすれば、法律通り速やかに執行せよということにしかならない。しかし、なぜ六ヶ月の規定が守られないようになったのかの検証がなされていない。法相がまずなすべきことは、現在に至るまでの歴史的経過を検証することである
また、執行しない法相と、執行する法相がいるのは「絶対おかしい」から、「法相におっかぶせない」ようにしろと言う。しかし、執行する法相と執行しない法相がいるのは、いったいなぜなのか。いつからそうなったのか。きちんと明らかにする必要がある。生命権の理解が十分でなかった時代と、理解が進んだ時代の違いはないのか。免田事件をはじめとする死刑再審無罪事件の影響はどうなのか。こうした点も検証するべきだ。単に法相個人の趣味の問題に引き下げるべき問題ではない。
第二に、人権の無視である。生命を奪う死刑のあり方を論じるにはあまりに粗雑であり、執行を待たされている死刑囚への配慮もない。日本国憲法が定める基本的人権が、六〇年を超える憲法史の中でどのように変遷してきたのか。特に生命権、個人の尊重、人間の尊厳は国家によってどのように扱われてきたのか。社会においてどのように意識されてきたのか。調査し、議論するべきことは数多い。
第三に、特異な文明論を振り回しているが、およそ学問的根拠がない。法相は次のように述べる。「日本人はすごく命の大切さを尊ぶがゆえに命を奪うような行動については死をもって償うべき、という考えがある。ところが欧州は、力と闘争の文明なんです。だから逆に死刑を廃止してもいい、という方向になるんです」。これほど低レベルの文明論を根拠に物を語る人物が法相というのだから呆れるしかない。日本人だけが命を大切にするかのような人種差別的発言であるし、およそ非科学的な内容である。日本人が、ある局面では、いかに命を粗末にしてきたかは歴史的に明らかである。また、なぜ日本と欧州だけが対比されるのか。アジア各地でもそれぞれ法意識は違う。アフリカやラテンアメリカはどうなのか。「欧米」のうち「欧州」は死刑廃止で、アメリカは存置であることの説明がつかない。ご都合主義的な日本人論は、血液型占いや、犬型人間・猫型人間といったお笑いネタと変わらない。
第四に、職責の軽視である。本人の弁明にもかかわらず、「解決策」は法相発言とは到底考えられない、その場の思いつきである。「真意が伝わっていない」とか「言葉が独り歩きして」いるなどと弁明する前に、法相の権限を持って調査・検証させるべきことが数々あるはずだ。
第五に、そもそも「問題提起」になっていない。凶悪犯罪キャンペーンに乗って闇雲に厳罰を要求する世間の処罰感情をあおっただけで、死刑に関する冷静な議論にはなっていない。俗情に阿ることしかできない大臣だ。
死刑そのものの正義が疑われているのと同時に、死刑執行手続きや確定者処遇における公正さも疑われているのに、法相自身が公正さをかなぐり捨てて単なる思いつきの評論に走ってどうするのか。