Monday, August 06, 2012

抵抗における暴力と非暴力


法の廃墟(10)



『無罪!』2007年2月号



アイルランド独立戦争


 映画『麦の穂をゆらす風』は、独立戦争から内戦にいたる一九二〇年代のアイルランドを舞台に描いた二〇〇六年度カンヌ映画祭パルムドール受賞作である(以下のデータはカタログ『麦の穂をゆらす風』発行シネカノン、による)。

 映画前半の主題は、イギリス(大英帝国)による植民地支配に抵抗し、自由と独立を求めるアイルランドの戦いである。侵略と抵抗の一断面を、ダブリンやベルファストではなく、アイルランド南部の小さな町コークを舞台に描いている。

 ロンドンの病院に就職が決まっていたデミアンだったが、兄テディが指揮する地元の独立闘争に加わり、戦うことになる。悲惨な戦いが続き、敵も味方も命を失う。密告者を処刑しなければならない。村人は彼らの戦いを助け、シネードたち女性も闘争に加わり、戦いを支えた。デミアンは、独立闘士で列車運転士のダンに出会う。ダンは、この戦いがアイルランドの貧しい人々を救うためのものであるべきだと力説する。

 独立軍は各地でゲリラ戦を展開し、イギリス軍を苦しめた。ついにイギリスは停戦を申し入れ、戦いは終結する。ようやく自由と平和を手にする時が来たと人々は喜ぶ。アイルランドの音楽とダンスで、村の人々が自由を祝う。

 ところが「独立」の喜びはつかの間だった。一九二一年一二月、イギリスとアイルランドは講和条約を結んだ。内容はアイルランドを本当に自由にするものではなかった。「アイルランド自由国」が認められたが、大英連邦の自治領としてだった。イギリス国王が総督として権限を持ち、しかも北の六郡はイギリス領となり、アイルランドは分断されてしまう。

 今度は、講和条約の内容をめぐってアイルランド人同士が対立し、やがて内戦に突入する。ともに戦ってきたデミアンとテディの兄弟は、独立軍と自由国軍とに分かれて敵対することになる。

 激動のアイルランドを素材に、ケン・ローチ監督が描いたのは歴史的英雄ではなく、名もなき市民の物語だった。『ケス』『SWEET SIXTEEN』などで少年たちを、『レイニング・ストーンズ』『マイ・ネーム・イズ・ジョー』などで社会の底辺に生きる人々を、そして『大地と自由』や『カルラの歌』で自由のために闘う人々を描き、過酷な現実を前に希望を模索する人々を提示してきたイギリス映画界の巨匠ケン・ローチならではの傑作である。

 二〇〇六年五月、カンヌ映画祭では、客席はローチ監督への尊敬と熱い感動の涙に包まれ、スタンディング・オベーションは一〇分以上もつづいた。審査員全員一致で最高賞に選ばれた。

 イギリスでは論争が起きた。今なお「北アイルランド問題」を抱えるイギリスにとって、ケン・ローチ監督が、イギリス支配時代のアイルランドを描くことが何を意味するのか。『タイムズ』や『デイリー・メール』紙は「これは反イギリス映画だ」「ローチはなぜ自分の国を嫌うのか?」と批判した。『ガーディアン』紙はローチの「(批判と戦う)準備はできている」という言葉を掲げて擁護にまわった。論争はアイルランドやオーストラリアにも飛び火した。



侵略・抵抗/暴力・非暴力



 ところが、日本では論争は起きなかった。「すぐれた反戦映画である」とか「戦争の本質を描ききった」として単純に賞賛する映画評が少なくなかった。しかし、これでは肝心のことが見えなくなってしまう。

 前半の主題は「反戦」ではなく、他民族による植民地支配に対する抵抗闘争である。後半の主題は内戦の悲劇である。これを「反戦」一般に抽象化してはならない。何が問題か。

 第一に、ケン・ローチ監督自身が繰り返している。「この映画は英国とアイルランドの間の歴史を語るだけでなく、占領軍に支配された植民地が独立を求める、世界中で起きている戦いの物語であり、独立への戦いと同時に、その後にどのような社会を築くのかがいかに重要かを語っている」と。カンヌ映画祭では「私は、この映画が、英国がその帝国主義的な過去から歩み出す、小さな一歩になってくれることを願う。過去について真実を語れたならば、私たちは現実についても真実を語ることができる。英国が今、力づくで違法に、その占領軍をどこに派遣しているか、皆さんに説明するまでもないでしょう」と語った。

 監督がこれほど明確に反植民地主義と反帝国主義の思想を語っているのに、日本の映画評は「すぐれた反戦映画」などと抽象的に述べる。占領や植民地ではなく、戦争一般を語ることによって加害と被害の区別を消してしまう。悪質な映画評と言ったほうが正しい。

 第二に、映画のタイトルは、独立戦争に身を投じる青年の悲劇を歌ったアイルランドの伝統歌「麦の穂をゆらす風」から取られている。
「二人の絆を断ち切るつらい言葉は、なかなか口にできなかった/しかし外国の鎖に縛られることは、もっとつらい屈辱」。

 歌は早くも冒頭シーンに登場する。ハーリングのゲームの後、デミアンは別れの挨拶のためぺギー一家を訪れた。両親を早くに亡くしたデミアンにとって家族のような存在だった。ところが、そこへイギリスの治安警察隊「ブラック・アンド・タンズ」があらわれ、侮辱的な尋問を始める。ぺギーの孫で一七歳のミホールは「マイケル」という英語名を使おうとせず、アイルランド名を言ったばかりに、ブラック・アンド・タンズによって殺されてしまう。葬儀の時に、女性がミホールの死を悼んで「麦の穂をゆらす風」を歌う。

 植民地帝国の英語を拒否して自国語を使ったために殺される若者――一九二〇年の「麦の穂をゆらす風」は「アリラン」なのだ。このことを指摘しない映画評が多いことには驚くしかない。

 第三に、英蘭条約成立後、アイルランドは悲惨な内戦に突入した。ここでは内戦の悲劇を描くとともに、アイルランドの自由と独立を目指して闘ったはずの若者たちが敵対しあってしまうのはなぜか。独立闘争が勝利した瞬間に挫折に転じるのはなぜかを問う。

 それゆえ全編の主題は「抵抗における暴力と非暴力」となる。焦点は、物理的暴力による抵抗が精神の暴力を生み出してしまうメカニズムである。兄テディによって処刑されることになる主人公デミアンの「遺書」の最後のセリフ「ぼくは何のために戦ってきたのかわかった」の意味を理解できるかどうかは、映画の主題を理解できたかどうかによって決まる。

 本作品を「反戦映画」と抽象化する見方では、このセリフの意味はまったく理解できない。前半のアイルランド独立闘争と後半のアイルランド内戦を一緒くたにして、無内容な「反戦映画」を語ろうとするからだ。