Wednesday, August 15, 2012

沈黙する人権、沈黙させられる人権、そして・・・


グランサコネ通信120815

Grand-Saconnex News. 120815



14日、人種差別撤廃委員会CERDは、セネガル政府報告書の審査。セネガル報告書の英語版が配布されていないので、人権高等弁務官事務所のウェブサイトを確認したが、フランス語版が掲載されていた。事務局に聞いたところ、英語版はまだ翻訳できていないという。やむを得ず報告書なしで傍聴。セネガル政府は大使と法務次官が報告。ほかに6人のスタッフ。傍聴NGOは30人弱だが、なぜか東アジア系らしき人間が10名、西欧白人系が数名、セネガルのNGOがいたかどうか不明。CERD委員は、民族構成の詳しい統計が出ていないので知りたい。刑法が条約第4条に合致していない(ヘイト・クライムの処罰問題)。人種差別への対処の法的措置について知りたい。などの質問をしていた。



夕食はコルナバン駅前のレバノン料理アルアリでクスクス、ひよこ豆のサラダ。



15日午前、セネガル政府報告書審査の続き。傍聴は10名ほど。セネガルの民族構成がいまひとつよくわからない。



*石﨑学・遠藤比呂通編『沈黙する人権』(法律文化社、2012年)




<人権の定義・語り自体が、人間を沈黙させる構造悪であることを指摘し、根底にある苦しみによりそい、その正体に迫る。日本社会の差別の現状を批判的に分析。人権〈論〉のその前に。>



9人のうち4人が知り合いで、2人から送られてきたので2冊ある。せっかくだから勉強しようとジュネーヴに持ってきた。



編者による自薦文




<現在の日本では、多かれ少なかれ、誰しも人権を行使している。しかし人権を行使しているのはどのような人であろうか。また、どのような場面においてあろうか。ある人が本当は人権を主張すべき苦境に立たされたときに、肝心な時に、人権の主張はできなくなってしまうのではないか。そうだとすると、その原因は何であろうか。>



このような問題意識で書かれた諸論文をまとめている。下記に引用した目次だけをざっと見ると、「よくある本」に見えるかもしれない。人権教育、セクシュアリティ、家族、「障害者」、ホームレス、在日朝鮮人、アイヌ、被差別部落などに即して、人権の大切さを解説するスタイルの本は珍しくない。



しかし、本書は「よくある本」ではない。それどころか、これまでの人権論に鋭い批判を浴びせかける意欲的で挑戦的な本である。



<人間は、人間の価値、尊厳をいくら言葉にもたらそうとしても、自分に相応しい表現をみつけることができないのと同じように、それが傷つけられた状態を表現することができないのです。まさに人間存在の美しさと残虐さは。『言葉にできない』のです。にもかかわらず、人間は絶望のなかから、苦しみのなかから、自らの存在の意義、価値、尊厳について『声』をあげ、他者の理解を求め、自分の居場所を求め、そのことで自分の『居場所』を発見しようとする営為をあきらめることもできない存在なのです>(本書274頁)



なるほど人権は大切だ。人権擁護が必要だ。しかし、人権論を唱えれば唱えるほど、人権が沈黙してしまう事態が生じているとすれば、人権論とはいったい何なのか。



本書では「沈黙する人権」という表現が採用されているが、各論文は、それぞれ違った意味でこの言葉を用いている。本書には「学問的体系性」がないことを編者が認めているが、「学問的体系性」がないだけではなく、「用語の統一性」さえない。しかし、それは本書のマイナスではなく、人権と人権論の現実を反映しているのだ。人権が沈黙する。人権が沈黙させられる。人権が沈黙のかなたに押しやられる。そこから這い上がろうとする営為も困難にでくわしてしまう。時には善意が人権を妨げる。・・・そうした事態を、さまざまな観点で取り上げているのが本書だ。



編者は、<この叙述が示す人間の「美しさと残虐さ」に正面から向き合った諸論文からなる本書には、読者のイメージする人権なるものの再考を促そうとする企図がある。その企図に基づく本書の出来具合は読者の批判を仰ぐほかはない>と述べている。



しかし、<読者>とは誰か。本書を読みこなしうる読者は、果たしてどれだけいるだろうか。とりあえず、自分のことを棚に上げて言うと、本書の真価をすぐに「理解」できる読者はあまりいないのではないか。人権論者や人権活動家にとっては、本書を肯定することは、それまでの自分を徹底批判することになる可能性が高いからだ。おそらく著者たちの問題提起は、本書を出発点とした長い闘いの歴史を刻むことになるだろう。歩むべき歴史であり、刻まれるべき歴史だ。



個人的には榎澤論文と熊田論文に感銘を受けた。また、金論文が取り上げている在特会による京都朝鮮学校事件については何度も書いてきたが、被害当事者による分析だけに、視点の違いを再確認し、それが<「人権」「論」>にとって持つ意味を考えさせられた。本書は、一読では、十分な感想を書ききれない。ジュネーヴから日本に持ち帰って、繰り返し読むことにする。



<目次>

プロローグ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石埼 学



第1章 ユートピアと人権

     ―従来の人権論の意義と限界

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石埼 学

 はじめに/人権とユートピア/理念・ファランステール・アサイラム/「調和人」の人権?/むすびに



第2章 人権教育再考

     ―権利を学ぶこと・共同性を回復すること

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・阿久澤麻理子

 日本における人権教育をめぐる問題提起/ポスト冷戦期における人権教育の「制度化」・世界と日本/人権教育の対象者は誰か/欠ける「責務の保持者」への視点/「市民」を対象とした人権教育/もう一つの方向性



第3章 セクシュアリティと人権

     ―「沈黙する主体」と「沈黙の権力」       

・・・・・・・・・・・・・・志田陽子

 沈黙と演技のなかで生きる状況/「沈黙する主体」/「沈黙の権力」/人権の問題として考えることの意味/もうひとつの「沈黙する主体」/真の私的領域尊重のために



第4章 家族と人権

     ―「家族」神話からの解放

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・若尾典子

 私たちの家族観と憲法24条/「家」制度と憲法18条/前借金無効最高裁判決と民法90条/尊属殺規定と憲法14条/家族の歴史性と憲法24



第5章 スティグマと人権

     ―精神保健福祉法批判・・・・・・石埼 学

 はじめに/スティグマ/精神保健福祉法/精神疾患は本当に「病気」なのか/むすびに



第6章 「原理論の語り」と人権

     ―フィンランドの無住居者政策

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・遠藤美奈

 政策と原理論/フィンランドにおける無住居者への対応/『ドアに名前』/中間目標の達成とピア・レビュー/「ドアに名前」の意味/広場の賢人たち



第7章 ヘイトクライムと人権

     ―いまそこにある民族差別・・・金 尚均

 人権が沈黙させられるとき/表現の自由の重要性とその限界/ヘイトスピーチに対する規制/ヘイトスピーチ規制は何を保護するのか



第8章 記憶の記録化と人権

     ―各々の世界の中心からみえる

      さまざまな憲法観を考えるために

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・榎澤幸広 

アイヌ民族に送られた手紙をきっかけに考える/1946129GHQ覚書から考える/二つの憲法観/多様な憲法観からみえてくるもの/多様な憲法観から考えるべきいくつかの方向性



第9章 「語り」をめぐる権力と人権

     ―被差別部落女性と発話の位置の政治

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・熊本理抄

 強いられる「沈黙」・強いられる「語り」/部落解放運動が内包していた「語り」をめぐる権力構造/「語り」をめぐる権力構造の解体を求めて



エピローグ 人権・その根源を問う…遠藤比呂通