Sunday, September 16, 2012

見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』


見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』(太田出版)


 

<「これからの千年を人類はどう生きるべきか?」

千年の射程で人類のビジョンを示す、日本を代表する社会学者による奇蹟の対談集。>

 

◆目次◆

 まえがき 見田宗介

 第一章 現代社会の理論と「可能なる革命」

 第二章 名づけられない革命をめぐって

 第三章 「自我」の自己裂開的な構造

 第四章 未来は幽霊のように

 あとがき 大澤真幸

 

見田宗介の著作をよく読んだのは四半世紀も前のことだ。真木悠介名義の『気流の鳴る音』『現代社会の存立構造』も熱心に読んだ。問題意識、シャープな分析、そして文体、いずれをとっても、まさに気鋭の社会学者であり、優れた理論家である。もっとも、昨年、『定本見田宗介著作集・全10巻』(岩波書店)が刊行され始めたが、迷いつつ、買ってさえいない。

 

見田の弟子である大澤真幸の初期の理論社会学の大著を読んでいないが、この10年ほどに何冊か新書本などを読んできた。やはり優れた理論家であり、感銘を受けることもしばしばである。もっとも、最近はあまり読まなっていた。

 

その二人の対談本で、タイトルが大仰なので、つい手に取り、購入してしまった。

 

日本を代表する理論社会学の二人の対談だけあって、随所に学ばされ、考えさせられるところがある。鋭い分析には唸らされることもある。買って、損はない。

 

しかし、鋭い分析、というところに二人の難点があることも、よくわかる。この二人だけではなく、社会学者の論文の魅力と限界が、鋭い分析だ。現場での調査を中心とする実証的社会学と違って、理論社会学は論理が命であり、論理展開の鮮やかさが魅力である。だが、彼らの鋭い分析の要因は、同時に「単純化」である。

 

本書の対談でも、二項対立図式、三段階論、四象限論が大活躍する。二項対立図式を受容した読者にとって、見田の論理は明晰で説得的である。三段階論に納得する読者にとって大澤の分析はカミソリでありつつナタでもあり、あまりの見事さに感動する。四象限論を共有する読者にとって二人の対談は知恵の宝庫である――ただ、それだけ、でもある。

 

理論にとって単純化は不可避である。適切に単純化して、現実の諸側面を浮き彫りにすることは大切な理論的営為である。とはいえ、単純化が鼻につくこともある。一面的であり、あまりに平板になることもある。

 

一例だけあげると、チンパンジーとの対比で語られる二人の人間認識は、次のようなものだ(146~147頁)。

 

見田――チンパンジーは、血族ではないチンパンジーの赤ちゃんが、どうなろうと全然平気らしいんです。木から落ちようが、ほかの動物に食べられようが、なんの感情ももたない。でも、人間は、親戚でもなんでもない、それどころか外国人の赤ちゃんだって、木・・・はめったにないですね(笑)、ビルから落ちそうだったら、なんとなく可哀そうだと思うじゃないですか。だから、人間の共同性が異質なものとのあいだでも可能だということのベースは、人間の種のなかにあるのかもしれない。

大澤――よその赤ちゃんが落ちても平気なほうが、遺伝子の利己性にかなっているとふつう思うんですが、ただ、別の観点から考えると、遺伝子にとっても人間のような特徴のほうがむしろいいのかもしれない。現にチンパンジーよりもわれわれのほうが成功しているわけだから(笑)。
 

誰もが驚く単純さだ。これほど平板な人間認識でモノを語ることのできるのが社会学者なのだろう。
 

「人間は、血族ではない広島や長崎の赤ちゃんが何万人も死んでも、全然平気」だ。いまだに原爆投下の正当性を唱え続けている。
 
 
「人間は、血族ではない人間のイラクの赤ちゃんが50万人死んでも、全然平気」だ。「(イラクに対する経済制裁を)やった甲斐があった」と自画自賛したほどである。
 
 
人間はもっと多面的である。
 

第4章「未来は幽霊のように」で、大澤は、原発をめぐる日本社会の意識を問い、原発廃止に至るために、将来の人間との連帯をいかにリアルにイメージできるかを問う。趣旨に賛成である。
 

ただ、大澤が、リスク社会論を振り回して、原発事故のリスクについて「1000年に一度」と何度も何度も繰り返すのを読まされると、苦笑せざるを得ない。「日本列島には50基あるのだから、1000年に一度とは、正しくは20年に一度ではないか」というのは、運動の現場ではずっと語られてきたことである。正しい統計の読み方がどうなのか、リスク論とはいかなる理論なのかは、ここでは問わない。ただ、市民の常識を馬鹿にするのはやめたほうがいい。




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以上の本文に関連して、 市民のML[CML]で、熊田一雄さんから情報提供がありました。

 

>「大澤真幸氏の言論活動について」
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20120917/p2

 

これに対して、私は下記の返信を出しました。

 

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熊田さん

 

情報ありがとうございます。

 

大澤真幸のセクハラ疑惑はちらっと耳にしたことがありましたが、関西のことですし、畑違いでもあるので、事実関係を知りませんでした。私は刑法が専攻なので、法律関係教員のセクハラ問題だと比較的よく情報が入りますが。

 

ネットで調べてみましたが、2009年に大澤真幸が京都大学を辞職したこと、直後に京都大学が社会学教員のセクハラ事件を公表したこと、その時期に辞職した教員は大澤真幸しかいないこと、などがわかります。

 

ただ、情報が錯綜していて、事実がわかりません。お付き合い説、強姦説、愛人説など乱れ飛んでいますね。社会学会ではどのような話になっているのやら。また、妻であるという立教大学教授の吉澤夏子は沈黙しているようです。夫婦のことはプライバシーなので、とやかく言うことではありませんが、フェミニズム理論家のはずですし。

 

ネット上では、大澤真幸がすみやかに辞職して、次はどこに再就職するのか、といった話題になっているようです。ウィキペディアでみると、辞職後、以前にも増して多くの著作を出版しています。講談社、河出ブックス、弘文堂、NHK出版、朝日出版、岩波書店の編集者や経営者たちは、いったい何を考えているのか。その程度の編集者ばかりなのか。

 

それ以上に、見田宗介はいったいどういうつもりなのか。セクハラ弟子と一緒に本を出すのが、見田の理論社会学なのか。

 

やはり、人間認識がどうしようもなく薄っぺらだ。

 

ありがとうございました。