Saturday, November 24, 2012

原発訴訟における司法官僚の無責任


新藤宗幸『司法よ! おまえにも罪がある』(講談社)


 

<国民の常識と乖離した、行政への「ものわかりのよすぎる判決」はなぜ出されるのか?
この国に真の三権分立を打ち立てるための警世の書>

 

<行政学の第一人者として日本政治における「過度の行政化」の問題に警鐘を鳴らしつづけてきた新藤氏が、これまでの原発訴訟の判決を仔細に、わかりやすく検討し、市民の常識からあまりにも浮き上がっている「ものわかりのよすぎる司法」の現状を徹底的に批判すると同時に、あるべき司法への具体的提言を記します。>

 

目次

序章 裁判所は“最後の砦”だろうか

Ⅰ章 原発訴訟と司法の論理構造

Ⅱ章 志賀原発二号機訴訟を分岐させたもの

Ⅲ章 司法の責任と司法改革

終章 福島原発事故が突きつけたもの

 

著者は立教大学教授、千葉大学教授を経て、東京都市研究所研究担当常務理事。著書に『行政指導』『技術官僚』『司法官僚』(岩波新書)『日本の予算を読む』『政治主導』(ちくま新書)など多数。

 

日本民主法律家協会の機関誌『法と民主主義』459号(2011年6月)の「特集・原発災害を絶対に繰り返さないために(パートⅠ)」に書いた論文が出発点となって、本書が執筆された。


 

原発絶対安全神話で国民をだましたのは、政府や東電だけでなく、これにお墨付きを与えた司法も共犯である。
 
1990年3月20日の仙台高裁判決に至っては「我が国民が、原子力と聞けば、猛烈な拒否反応を起こすのはもっともである。しかし、反対ばかりしていないで落ち着いて考える必要がある」などと信じがたい無責任ぶりである。
 
元最高裁判事・園部逸夫は「最高裁には、行政庁の言うことは基本的に正しいという感覚があるのです」と堂々と語る。こうした異常で無責任な司法が原発政策を容認してきた。原発推進に歯止めをかけた判決は2つしかない。それも上級審で覆されている。

 

本書はこうした司法官僚の犯罪的無責任を洗い出し、特に志賀原発二号機訴訟を素材として、司法の論理の異様さを暴露している。

 

原発訴訟の全体動向については、海渡雄一『原発訴訟』(岩波新書)があるが、本書も併せ読むことで理解が深まる。
 
 
 
 

第11回「歴史認識と東アジアの平和」フォーラム・東京会議


第11回「歴史認識と東アジアの平和」フォーラム・東京会議

市民からはじめる東アジア平和共同体~~領土ナショナリズムを超えて


 

初日に参加した。内容充実の素晴らしいフォーラムだ。



多摩センターのイルミネーション

映画『希望の国』は多摩センターで観た。日本は11月半ばからクリスマス・モード、早すぎると思うが。

堕ちるときは堕ちるしかない--じゃんけんハシモト


「漫画以下」という言葉がある。

 

「北斎漫画」の話ではない。手塚治虫、ちばてつや、少年マガジン、少年サンデー、なかよし、少女フレンド以来の漫画ファンとしては、夢と希望、笑いと悲しみ、スポーツと青春――こうした言葉に代表される漫画を思い起こす。

 

しかし、あまりにくだらない漫画が多いこと事実だ。

 

「漫画以下」という言葉は実態をもって、予測され、実感される。野田とか前原とか枝野とか玄葉とかいう名前がその典型だが、安倍とか石破も文字通り「漫画以下」だ。

 

それでも、野田にしても石破にしても、それなりの節度を意識はしているはずだ。節度も何もないのが石原とか橋下という名前だ。

 

橋下が「選挙候補はじゃんけんで決める」と言ったニュースが流れている。なるほど、と思う。堕ちるところまで堕ちるしかない、日本という愚劣が自ら姿を現している。

 

それでは、これでインチキ「維新」の支持率が落ちるだろうか。それなら、まだしも、ということになる。

 

おそらく、ここまで悲惨で愚劣な話になっても「維新」の支持率は下がらないだろう。日本政治のメルトダウンには歯止めがきかない。

 

ここに低落あるのみの日本が、よく見える。

今中哲二『サイレント ウォー 見えない放射能とたたかう』


今中哲二『サイレント ウォー 見えない放射能とたたかう』(講談社)


 

目次

序章 “フクシマ後の世界”を生き抜くために

1章 放射能を「正しく恐がる」ための基礎知識

2章 被曝にともなう影響、これからどうなる?

3章 外部被曝にどう対処するか

4章 内部被曝にどう対処するか──食品の放射線量を知る

5章 さらにくわしく知りたい人へ

 

<放射線に「安全」「安心」はない。持つべきは、「リスクをどこまで我慢できるか」の基準!>

 

<小出裕章助教とともに京都大学原子炉実験所の「熊取六人組」と呼ばれ、長年にわたり原子力の専門家の立場から原子力発電所の危険性を訴えてきた著者。チェルノブイリの事故の事後のウクライナ・ベラルーシの調査などから、今後フクシマそして日本で何が起きるかを具体的に解き明かします。

2011315日に初めて飯舘村を訪れて以来、政府や行政が情報を隠す中、継続して放射能の測定をし、発表してきました。半減期を考えるとおよそ3年間、十分な対策をすることで、チェルノブイリのような長期の人的健康被害を避けることができます。逆に、事故から1年半がたって風化しつつあるいま現在の対策が鍵を握ります。

圧倒的なデータと研究に裏打ちされ、かつ、いっさい偏りのない真の専門家の立場から、これからの除染、食べ物の選択、暮らし方の知恵まで、個別具体的な指針を示します。

「放射線と共存する時代」に、一家に一冊の必読書です。>

 

この宣伝文句の通り、原発の危険性を訴え続けてきた著者による平易な解説である。同じような内容の本が数十冊出回っている現状では珍しくないし、新規性はあまりないが、この著者の本なら読んでおこうと思い、購入した。放射能の危険性や内部被曝について特に新しい情報が書かれているわけではないので、読者としては裏話やエピソードを期待することになる。だが、原発問題についてそうした記述もあまりない。たんたんと福島事故以後の状況を語り、注意点を整理している。それでも、読みどころはたくさんある。みんなが知っていることでも、「熊取六人組」の今中哲二がどう述べているかは知りたいところだからだ。

 

3.12に菅直人首相が福島原発事故現場にいったことについて、「災害対策本部のトップである首相が持ち場を離れた」「大将がノコノコ最前線に出ていけば、指揮系統はメチャクチャになり、だれが危機管理をしているのか、わけがわからなくなってしまいます」「日本政府の中枢も、メルトダウンしていたようです」と評価している。この評価に異論があるわけではないが、一般論であって、具体的な評価になっているとは言えないように感じる。東電はまともな情報を上にあげず、首相周辺にいた「科学者」がまったくトンデモなインチキ科学者で事実も論理もすでにメチャクチャであり、首相は情報から疎外されていた。今中は、首相は「本陣から動かず、さまざまな情報を集約して状況をつか」むべきだと言うが、それが不可能だったから菅直人は動いた。この点は評価のわかれるところだろうが、今中の主張は、つまるところ、菅首相は動かず、何も知らず、何もしなくてよかった、ということにしかならないのではないか。そうでないとすれば、どうするべきだったのか。

 

放射能を「正しく怖がる」ための基礎知識はわかりやすい。類書は多数あるが、「数学のマジック」に要注意、「すぐには健康に影響はありません」の真意、「わずかな被曝でもリスクはある」が世界の常識、など再確認できた。

 

ニコニコ山下俊一(福島県立医科大学副学長)について、「ご本人がそう思うのは自由ですが、このような社会的発言をするのなら、お孫さんも含めて家族で飯舘村に移住してからにすべきでしょう」と述べている。さらに、NHKラジオでの山下俊一インタヴューを聞いて「“嘘はいっていないけれども、嘘つきのような発言だった”と思っています」とも述べている。

 

本書には、今中の母親の「私の原爆体験記」が収録されている。8月6日、21歳の今中茂子は「入市被曝」した。今中が原子力工学研究者になったことと、被曝2世であることの間には関係がないそうだが、それでもこの手記を収録している。静かに瞑目して本書を閉じたい。

Friday, November 23, 2012

国境問題----元外交官による領土外交批判

孫崎享『日本の国境問題』(ちくま書房)


 

雨の休日はうっとうしいので、うっとうしさを追い払うため、BGMKYAN MARIE & MEDUSABURNING BLOOD。沖縄ロック史に燦然と輝くマリーとメデューサの快適なサウンド。1990年。

 

『日米同盟の正体』『アメリカに潰された政治家たち』に続いて、新刊『戦後史の正体』がベストセラーとなった著者の領土・国境論。

 

外交官出身で、元防衛大学校教授だが、対米追随の日本に反省を迫る孫崎の議論は、左右両翼に賛同者を見出すとともに、一部には激しい反発を呼んでいる。

 

<海に囲まれた島国・日本にあっても、周辺には解決が困難な国境問題を抱えている。尖閣・竹島・北方領土。領土は魔物である。それが目を覚ますと、ナショナリズムが燃え上がる。経済的不利益に、自国の歴史を冒涜されたという思いも重なり、一触即発の事態に発展しやすい。突き詰めれば、戦争はほぼすべて領土問題に端を発する―。中ソ国境紛争やイラン・イラク戦争の現場に外交官として赴任、情報収集にあたり、その後、防衛大学校教授として日本の安全保障を研究・分析した外交と国防の大家が論点を腑分け。平和国家・日本の国益に適った戦略を明かす。>

 

目次

第1章 血で血を洗う領土問題―私がみた現代世界の国境紛争

第2章 尖閣諸島をめぐる日中の駆け引き―戦後の尖閣諸島史

第3章 北方領土と米ロの思惑―大国の意図に踊る日本

第4章 日米同盟は役に立つのか―米国にとっての日本領土

第5章 領土問題の平和的解決―武力を使わせない知恵

第6章 感情論を超えた国家戦略とは―よりよい選択のために

 

本書の特徴は、次の3点だろうか。

 

1.   外交官出身らしく、領土紛争の国際比較の視点を提示し、国際法における領土解決方策の実例を紹介し、その枠組みの中でベターな戦略を考えようとする。

2.   対米追随の戦後史がたどった過ちが領土問題にも典型的にあらわれているとし、一歩身を引いて冷静に考えるように提案している。

3.   北方領土、竹島、尖閣諸島のいずれにせよ、武力紛争につながることは日本の国益に反しているとし、国益維持のためにこそ平和的解決を模索するべきとして具体策を提示している。

 

以上の意味では、学ぶに足りる1冊だ。

 

新書1冊で北方領土、竹島、尖閣諸島を扱い、しかも上記の3点を備えている。このため一つ一つの論争に関する記述は決して十分とは言えないが、それはやむを得ないだろう。

 

領土問題では、ポツダム宣言、サンフランシスコ条約などの基本理解さえできていない著作が次々と出ているだけに、本書の意義は大きい。同じく外交官出身の浅井基文とは立場がかなり違うようだが、領土問題の法的な議論としては似ている。

Sunday, November 18, 2012

絶望の国and/but希望の国


映画『希望の国』を観た。

http://www.kibounokuni.jp/

 

日曜日、新宿ピカデリーは前日から予約満席だったため、多摩センターのマイカルへ。

 

原発事故を素材として、どうやって「希望」を見せるのかが関心事。『見えない雲』のように、どんなに悲惨な物語でも「生命」の希望を語ることはできる。暗闇のはるかかなたに明かりを灯すことはできる。園子温監督はどんな「希望」を提示するのか。

 

「それでも世界は美しい」

 

「突然おとずれた不安、痛み、苦しみ、別れ・・・ただ愛するものを守りたい」

 

宣伝文句でおおよその見当はつくが、思いがけない展開を期待してみた。

 

監督の言葉。

 

「原発には復興のめどがたたないという問題があるからです。原発は誰にとっても重要な課題だと思います。誰もが知っている事柄を深く掘り下げたかったんです。原発事故によって一家離散した方の話や、酪農家の方が自殺した話はいろいろなところで報道されましたよね。ニュースやドキュメンタリーが記録するのは“情報”です。でも、僕が記録したかったのは被災地の“情緒”や“情感”でした。それを描きたかったんです。」

 

「シナリオを書き始めたときに、結末が絶望へ向かおうが希望へ向かおうが構わないと思ったんです。だから、わざわざ希望を見せようとは思いませんでした。実際、取材した中で希望に届くようなものはあまりありませんでした。ただ、目に見えるものの中に希望はないかもしれないけど、心の中にはそういったものが芽生える可能性があると思っています。」

 

地震、津波、原発事故、自主避難、強制退避。政府とメディアによる情報隠し。引き裂かれた家族。放射能の不安。そして、自殺。――すべて福島の現実をもとにしている。観客にとって、すべて「既知の事実」でさえある。そうした現実を前に、家族の物語を通じて、希望を語らせるしかないことも、容易に想像がつく。愛と生命の誕生だ。

 

おおむね予想通りに映画は進む。ただ、監督は最後まで絶望を提示し続ける。あえて「希望」を打ち出すのではなく、絶望の積み重なりのかなたに、可能性としての希望をわずかだけ提示して、映画は終わる。なるほどと思う。無理に希望を提示しようとしても空しくなるだけだ。

 

福島の現実という点では、映画はそれなりに現実を映し出している。監督は善戦していると思うが、やはり福島の現実のほうが途方もなく巨大で深刻で、はるかに悲惨だ。こればかりはやむを得ないだろう。

Saturday, November 17, 2012

北方領土4島だけでなく、という過激な主張

中名生正昭『尖閣、竹島、北方領土』(南雲堂、2011年)


 

著者は元読売新聞記者で、東京読売サービス取締役企画制作本部長。著書に『常識のウソ』『歴史を見直す東北からの視点』『北方領土の真実』などがある。

 

本書は『北方領土の真実』などをもとに加筆訂正したものということで、実際、竹島や尖閣諸島に関する記述は手薄である。あまり勉強していないので、見るべきところはない。日本に不利な事実についてはほとんど言及せず、ともかく日本領であると唱える「お題目本」。

 

北方領土については、専門研究書がすでに多数あるのと比べると見劣りするとはいえ、一般向けの小さな本としては比較的よくできている。資料として条約も収録されている。

 

平時に締結された千島樺太交換条約を基本として、北方領土4島のみならず、北千島、中千島も本来は日本領なので日ロ共同管理、南樺太も日ロ共同管理、北千島のみロシア領という過激な主張である。

 

現実的な立場は2島返還論であるが、それすら困難なのが現実である。4島返還論、3島返還論もあり、某国共産党のように全千島返還という、これまた過激な主張があるが、本書はそれをはるかに超える。南樺太の面積は、北海道の半分弱に匹敵する。これを日ロ共同管理にという、欲望の塊。

 

とはいえ、著者は、これらを非武装化し、平和地帯にし、共同管理で乱開発を抑制し、環境保護をはかりつつ、日ロ住民が平等に暮らせる土地とすると、独自の提案をする。

 

本書でおもしろいのは、第五部の「日露――北を彩った人たち」で、ベーリング海峡の名前のもとになったベーリング、マミヤ海峡を発見した松田傳十郎と間宮林蔵、占める守島で結婚し常住した別所佐吉などの物語である。もう少し詳しいといいのだが。

 

ただ、千島や樺太が無人の地で、日本人とロシア人がやってきて住んだのだという立場に貫かれている。アイヌ民族を完全に無視している。アイヌ民族の大地、アイヌモシリに日本人とロシア人が勝手に線を引いただけの物語を美しく描いているにとどまる。千島樺太交換条約では、アイヌ民族は「土人」と蔑視され、後に「北海道旧土人保護法」という差別法が制定されるのだが。

Tuesday, November 13, 2012

オカルト・ノンフィクション


今日の授業で部落差別問題を取り上げた。当然、素材の一つは『週刊朝日』の橋下徹・大阪市長に関する記事だ。12日に発表された朝日新聞「報道と人権委員会」見解も資料として配布した。

 

文章であれ絵画であれ、表現行為に携わる人間がいかなる表現を行うのか。他人を傷つけ、貶めたり、偏見や差別を助長する表現ではなく、自らの偏見を問い直すような表現こそ意義がある。とはいえ、差別表現が問題になったからと言って、臭いものに蓋では困る。社会の中の差別に向き合って、自らを問い続けることを強調した。

 

さて、佐野眞一というルポライターについては、前から疑問に思うところがあったので、そのことも少し話した。

 

ちなみに、週刊朝日事件が起きた直後に、いくつかのMLに、私は佐野眞一を評価していないことを表明したが、「今回ミスをしたからといって急に批判するのはおかしい」という意見が寄せられた。

 

しかし、「今回ミスをしたから」言うのではない。

 

『年報・死刑廃止2012』の前田朗「死刑廃止関係文献」に次のように書いた。

 

佐野眞一『別海から来た女――木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判』(講談社、12年5月)は、二〇一二年春に再審開始決定の出た東京電力OL殺人事件のゴビンダさんの裁判を追跡した『東電OL殺人事件』の著者によるノンフィクションである。百日裁判で裁かれた埼玉・O殺害事件、東京・T殺害事件、千葉・A殺害事件。そしてこれらに続くさまざまな犯罪を、死刑判決に至るまでフォローしている。「これまでまったくなかったタイプの殺人事件」であり、「それはネットを使った殺人事件ということに、おそらく関係している」という著者は、「こうした新しい情報環境の中では、痴情や怨恨といった人間の『素朴な劇場』は、電子信号が激しく行き交う情報の激流に押し流されて、人を殺す動機の王座からすべりおちてしまったのではないか」といい、単なる印象批評ではなく、事実を客観的に伝えることに力を注ぐ。また、事件は木嶋佳苗という「超弩級の女犯罪者」の事件とされるが、「木嶋に殺され、金をだまし取られ、冒瀆され、手玉に取られた情けない男達の群像劇」として、悲劇ではなく「喜劇」として描こうとする。「悲劇より喜劇の方がずっと真実に近く、お涙頂戴の悲劇より格段に恐ろしい」とも述べる。もっとも、木嶋佳苗の故郷である別海町に取材に訪れた折に、「かつて感じたことのない胸苦しさを急に感じた」、「木嶋佳苗の巨体が胸の上にのしかかってくる悪夢に何度もうなされ」たといい、「いまでも時折、別海のホテルで体験した恐怖の一夜を思い出して生きた心地がしなくなる。そして、あれが木嶋佳苗の呪いではなかったかと思うと、いまさらながら背筋が寒くなっている」とし、木嶋佳苗は「生まれついての犯罪者の素質を持った女だ」と言うのでは、オカルト・ノンフィクションに分類されかねないのではないか。>『年報・死刑廃止2012』158~159頁。

 

『年報・死刑廃止2012』は本年10月25日付の発行であり、私が上記の文章を書いたのは9月前半である。問題の『週刊朝日』は10月26日号である。

 

『年報・死刑廃止2012年』

 

私の上記の文章は「死刑関係文献案内」の一節である。佐野眞一の本を他の本よりも多めのスペースを取って紹介しようと考えていたが、一読して考えが変わった。つまらないし、疑問があるからだ。この本でも、佐野眞一は、出自や血統に重きを置いて事件を取材し、そして「生まれついての犯罪者の素質を持った女」を断罪する。

 

最初はもっと厳しい批判を書いたのだが、さすがに佐野眞一ほどの作者に対して失礼かと思ったので、いったん全部削除した。しかし、最後に「オカルト・ノンフィクション」という言葉を復活させた。

 

「オカルト・ノンフィクション」は言いすぎかもしれないが、佐野眞一には、自らの根深い差別と偏見を自己検証してほしい。『週刊朝日』の記事だけでなく、自分の作品の総点検をするべきだろう。そのうえで、しばらくお休みの後に、名誉挽回の本格ルポルタージュを世に送り出してほしいものだ。

 

なお、金曜日に「部落問題啓発講座・差別犯罪と部落問題」で話をする機会をいただいている。ヘイト・クライムについて話すのだが、私自身も、自らの差別と偏見を洗い直し、反省しながら、次の一方を踏み出そうと思う。

http://maeda-news.blogspot.jp/2012/10/blog-post_27.html



追記:

『週刊金曜日』920号(11月16日)は、特集「部落差別を考える」を組み、角岡伸彦「『週刊朝日』問題の本質」を掲載している。著者は、元『神戸新聞』記者で今はフリーライター。

角岡は、「連載記事をめぐる騒動を見るにつけ、部落問題に対する書き手、メディア、読者、政治家のあまりの代わり映えのなさに暗澹たる気持ちになった」と、論述を始めている。

佐野眞一については、「愛読者で、ほとんどの著作を読んでいる」が、「氏独特の思い込みや先入観をそのまま文章にしたものもあ」るという。

具体的には、佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社、2005年)を取り上げ、ある女性について「レズ三昧の生涯を閉じた」「畜生道に堕ちた女」「人倫に悖ると批判するのもおこがましいような怪物ぶり」「淫奔と猟色の人生」などと書いているとし、「差別的な視線を感じる」と述べている。

上に紹介した『別海から来た女』とよく似ている。ここまで女性蔑視思想を持ち、しかもそれを繰り返し表現してきたことに驚かされる。

また、角岡の知り合いの2人の編集者が、佐野に「出自と人格や性格を結び付けて書くのは問題ですよ」と懇切丁寧に忠告したが、佐野は「聞く耳を持たなかった」という話を紹介している。

やはり、佐野は根深い優生思想と差別観を抱いていることがわかる。自分の差別意識を対象化することもできず、噂話も含めて他人を論難することに熱中したのは、そのためだろう。

朝日新聞報道と人権委員会の報告書や佐野のコメントを見る限り、根本的な反省はなされていない。

今回は、橋本大阪市長が公然と反撃に出て、佐野批判がなされ、佐野自身の差別意識を検証するよい機会になったはずだ。

『阿片王』の女性は歴史的人物だから、反論することはない。『別海から来た女』の木島佳苗も殺人者として囚われの身であり、死刑判決を言い渡されている立場なので、佐野の文章に反論することもできそうにない。反論できない相手に対して居丈高に差別的レッテル貼りを繰り返してきたのが佐野眞一である。

佐野には、自分の差別意識を検証することともに、今回のことから逃げずに、むしろ、これから本格的に部落差別問題の徹底取材・追及をしてもらいたい。それだけ能力のある作家のはずだから。



 

国連人権理事会選挙結果


昨日、国連人権理事会の選挙(2013-15年)があった。前回、お休み(*)で、はずれた日本が今回は当選。どれだけ裏金を使ったことやら。


 

(*)お休みと書いたのは、2期連続して選ばれると、その次は立候補できず、1回お休みとなるから。

 

国連人権理事会は国連加盟国のうち47カ国で構成される。安全保障理事会のような常任理事国はなく、47カ国すべて選挙によって選ばれる。任期は3年。

 

選挙は地域別である。アフリカから13カ国、アジア太平洋から13カ国、東欧から6カ国、ラテンアメリカ&カリブ海から8カ国、西欧その他から7カ国。

 

今回は18カ国が選出された。当選は、アルゼンチン、ブラジル、コートジボアール、エストニア、エチオピア、ガボン、ドイツ、アイルランド、日本、カザフスタン、ケニア、モンテネグロ、パキスタン、韓国、シエラレオネ、アラブ首長国連邦、ヴェネズエラ。

 

これでアジアは次のようになった。

2013まで:マレーシア、モルディヴ、カタール、タイ

2014まで:インド、インドネシア、クウェート、フィリピン

2015まで:日本、カザフスタン、パキスタン、韓国、アラブ首長国連邦

 

今回、中国がはずれたので、次回の選挙となる。

Sunday, November 11, 2012

琉球独立論の新たな地平


松島泰勝『琉球独立への道――植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社)


 

琉球/沖縄に関心のあるすべての人に薦めたい。

 

沖縄独立論には長い歴史がある。本書は、それらにも学びつつ、新しい議論を展開する。議論の立て方は目次を一瞥すればすぐにわかる。

 

 はじめに

第1章 琉球コロニアリズムの歴史
 植民地としての琉球/琉球におけるコロニアリ
 ズムの歴史/琉球の開発とコロニアリズム/軍
 事植民地としての琉球

第2章 太平洋島嶼国・地域の脱植民地化と琉球
 琉球と太平洋諸島との関係/太平洋諸島の独立
 /ハワイの脱植民地化運動/ニューカレドニア
 と仏領ポリネシアの独立運動/グァムの脱植民
 地化運動

第3章 南アジア地域とスコットランドの独立と
    琉球
 南アジア地域の独立/南アジア地域と太平洋諸
 島の独立過程の比較/イギリスからの独立を目
 指すスコットランド

第4章 国連と琉球
 人民の自己決定権行使による琉球の脱植民地化
 /琉球人の自己決定権と国際法

第5章 琉球ナショナリズムの形成
 琉球とエスニック共同体、ネイション、ナショ
 ナリズム/琉球ナショナリズムの形成―琉球独
 立運動の課題と可能性/「2・1決議」の意味
 ―国際法と琉球ナショナリズム

第6章 「琉球自治論」の批判的検討
 日本国頼みの自治論の何が問題か/「本土並み
 自治論」からの脱却

第7章 琉球自治共和国連邦の将来像
 なぜ琉球は独立を求めるのか/琉球独立のため
 の前提条件/琉球自治共和国連邦の将来像

 
 

著者:「1963年琉球・石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。那覇高校、早稲田大学政治経済学部卒業後、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。博士(経済学)。在ハガッニャ(グァム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館において専門調査員として勤務。東海大学海洋学部准教授を経て、現在、龍谷大学経済学部教授、NPO法人ゆいまーる琉球の自治代表。単著として、『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年、『琉球の「自治」』藤原書店、2006年、『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年がある。編著として西川潤・松島泰勝・本浜秀彦編『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』藤原書店、2010年がある。」


第1に、重要なのは、日本とアメリカとの関係の下での琉球の歴史と現在を踏まえつつ、同時に広い世界史的視野で琉球独立論を展開していることである。まず、植民地独立付与宣言や先住民族権利宣言の法理論を採用している。さらに、太平洋諸国や、南アジアと欧州における小国の独立に関する研究が背景となっている。
 

第2に、小国は経済的にやっていけるのか、自立できるのかというよくある問いに対する応答の仕方が重要である。小国独立不安論は、実は「大国からの経済援助論」とセットになっている。しかし、実態を見れば、大国からの経済援助は大国の資本のためになされるのであって、投下資本は大国に還流し、小国の自立を一層破壊する。小国の独立はその地域の内発的発展として構想される必要がある。日本のニセ援助に頼る思考では、独立以前に、そもそも沖縄の発展と市民生活が阻害される。この点は非常に重要である。
 

第3に、先住民族の連帯と協働が組み込まれている。米軍基地のない沖縄を目指す平和と自律の思想は、グアムの米軍基地にも反対し、琉球民族とチャモロ族の連帯を必要とする。あるいは、海に沈む島ツバルについて、ツバル国民1万人に琉球移住の可能性を提供して、共に生きる太平洋の先住民族の連帯をめざす。
 

太平洋には軍隊のない国家が11カ国ある。『軍隊のない国家』執筆のために11カ国に訪問した。本書の筆者は、グアムとパラオに住んだ経験があるという。現地滞在で得た知識と知恵が本書に活かされている。何しろ『ミクロネシア』の著者だ。
 

琉球独立のために、国際的に何をするべきか(国連先住民族作業部会、脱植民地化特別委員会、太平洋諸島フォーラム、非同盟諸国会議党)。国内で何をするべきか(琉球自治共和国連邦の具体像)が明確に論じられている。
 

琉球独立論に新たな地平を切り開いた本書をもとに、徹底討論が行われるべきである。
 

琉球人民の自己決定権を中核に。

リヒテンシュタインの非武装憲法(2)

旅する平和学(23)

リヒテンシュタインの非武装憲法()

 

『月刊社会民主』2009年10月号

 

 リヒテンシュタインの首都ファドゥーツの中心には美術館が位置する。リヒテンシュタイン家が数百年かけて収集した世界有数の美術品が順次公開されている。美術館周辺の遊歩道にはいくつもの彫刻が並んでいる。

 

憲法の歴史

 

 リヒテンシュタイン憲法史は六段階にまとめることができる。

第一に、一八一八年憲法である。一八一五年、ナポレオン軍の支配から独立を回復して、ドイツ連盟に加盟した。ドイツ連盟条約は各国に憲法制定を義務づけていたので、一八一八年憲法を制定した。この憲法には基本的人権の規定がなかった。

続いて、一八四八年革命の嵐がファドゥーツに押し寄せた。侯爵の地位が脅かされる心配が取りざたされたが、人民の要求を討議するために設置された議会は侯爵個人に対する敵意は持たなかった。侯爵、政府と人民の協力体制で憲法が作成され、「国家の権威は侯爵と人民に共同帰属する」という、当時は珍しい考えが導入された。

第三に、一八六二年憲法である。一八五八年に侯爵についたヨハン二世は、啓蒙絶対君主的な傾向を持っていた。一方で神権の絶対性を奉じ、他方でカトリック信者として社会改革をめざし、一八六二年憲法を制定した。リベラルな性質を持ち、主権は侯爵に帰属するとしながら、侯爵の権限は議会の召集・解散、公務員の任命・解雇、国際関係における国家代表などに限定された。他方、議会は完全な立法権を獲得した。個人の信仰の自由、人身保護令状、請願権、集会の自由、恣意的捜索からの自由などが盛り込まれた。司法制度も整備された。

第四に、前回紹介したように、ヨハン二世は、一八六八年に軍隊を廃止した。

 第五に、一九二一年憲法である。第一次大戦期、リヒテンシュタインは中立を選択した。実際にはオーストリアの影響下にあったので、中立は見かけだけとも言われる。経済は崩壊し、クーデタ策動も発生したが、一九一八年からスイスとの良好な関係を取り結ぶとともに政治経済改革を推進した。土地改革を断行し、国際連盟に加盟するなど新しい国家づくりが急速に進められ、一九二一年憲法が制定された。

第六に、現在の二〇〇三年憲法である。ハンス・アダム二世が、一九九三年議会で憲法改正の方針を示した。議会は憲法改正委員会を設置し、改正作業に着手した。侯爵の権限をめぐって侯爵と議会の間に対立が生じたが、長期にわたる憲法論争を経て、侯爵家と政府の承認を得た上で、国民投票が行われ、二〇〇三年憲法が制定された。

 

非武装憲法の意義

 

 軍隊廃止を明記したのは一九二一年憲法である。

 ルペルト・クヴァデラーによると、一九二一年憲法への道は、一九一四年、進歩的市民党やキリスト教社会人民党など政党の結成と民主化運動に始まった。一九一八年の一一月危機を受けた同年一二月の「九項目綱領」が大きな一歩であった。一九二〇年には憲法委員会で審議が行われ、一九二一年に憲法が採択された。

 ヘルベルト・ヴィレによると、最大の争点は君主制と民主制の調和をどこに求めるかであった。民主化運動も侯爵家打倒や排除を求めたわけではなく、侯国であることを前提としつつ、侯爵の権限と人民の権限をいかに配分するかが議論された。

軍隊を廃止した憲法第四四条(条文は前号参照)は、第一項で人民の防衛奉仕責務を述べ、第二項で、この緊急事態以外の軍隊の廃止を定めた。常備軍の廃止である。この条文が国家機構の章ではなく、市民の権利義務の章に置かれていることに注目する必要がある。第一項は、市民の防衛に関する義務規定であるが、むしろ人民の自決権の文脈で解釈するべきではないか。

 現在、世界には五つの非武装憲法がある。一九二一年リヒテンシュタイン侯国憲法第四四条(二〇〇三年憲法も同じ)、一九四六年日本国憲法第九条、一九四九年コスタリカ共和国憲法第一二条、一九七九年キリバス共和国憲法第一一二条、一九九四年パナマ共和国憲法第三〇五条(現行第三一〇条も同じ)である。

 リヒテンシュタイン憲法の世界史的意義について、確認しておこう。

 第一に、リヒテンシュタイン憲法は平時の非武装(常備軍不保持)を定めた、もっとも古い非武装憲法である。日本国憲法第九条より二五年前である。

 第二に、憲法第九条は、有事平時を問わず、いかなる軍隊も保持しないとしている。本来は完全非武装憲法である。この点で憲法第九条のほうが徹底している。憲法の条文に記されている言葉が重要だという形式主義的理解に立てば、憲法第九条がもっとも重要である。

 第三に、憲法典の言葉だけではなく、運用実態を見るとどうか。憲法第九条の日本政府による公式解釈によると、自衛のために必要最小限の実力を保持することができ、現に自衛隊を保有し、予算は世界第五位争いを演じ、イージス艦など最新鋭装備を備え、遥か遠くインド洋やイラクで戦争協力を行っても合憲とされている。つまり、憲法第九条は世界有数の「重武装憲法」であり「侵略憲法」である。

一方、リヒテンシュタインは一八六八年に廃止して以来一四〇年間、軍隊を保有したことがない。緊急事態には軍隊を保有することができるが、ナチス・ドイツが隣国オーストリアを併合してもリヒテンシュタインは武装しなかった。第二次大戦が勃発して欧州全域が戦争に突入しても軍隊を編成しなかった。

第四に、それではナチス・ドイツの台頭や第二次大戦に際してリヒテンシュタインは何をしたか。侯爵の権威と判断によってナチス勢力の台頭を抑止した。侯爵はナチス・ドイツと直接交渉して、自国の安全を維持した。そして、マウトハウゼン強制収容所が設置されたオーストリアから逃げてきたユダヤ人を救済した。ナチス政権一二年間に約四〇〇人のユダヤ人がリヒテンシュタインに逃げ、その内二五〇人は定住し、一五〇人はスイスに出国した。一九四五年四~五月、戦争末期の混乱時に八〇〇〇人の難民がリヒテンシュタインを経てスイスに逃れた。このことが、その後のリヒテンシュタインの「国際社会における名誉ある地位」を保障し、軍隊を不要とした。

 リヒテンシュタイン憲法は、形式的にも実質的にも、世界最初の非武装憲法である。完全非武装ではないが、限りなく完全非武装に近い。条文それ自体ではなく、実践が重要である。

「憲法第九条の重武装憲法化」を阻止し得なかった私たち日本の平和運動が考え、学ぶべきことは多い。

リヒテンシュタインの非武装憲法(1)

旅する平和学(22)

リヒテンシュタインの非武装憲法()

 

『月刊社会民主』2009年9月号

 

 リヒテンシュタイン侯国は最初に非武装憲法をつくった国だが、日本の憲法学の著作では完全に黙殺されてきた。憲法第九条よりも前に非武装憲法があっては困るからだろうか。

 一九二一年リヒテンシュタイン憲法第四四条は次のように規定する。

「第一項 武器を保有するすべての者は、六〇歳に達するまでは、緊急事態における自国の防衛に奉仕する責任がある。第二項 この緊急事態以外に、警察部隊および国内秩序の保全の条項に必要な限りを除いては、軍隊を編成または保持しない。本件に関する詳細な規制は法律をもって決定される」。

第二項は常備軍の廃止を定めたもので、一九四九年コスタリカ憲法よりも二八年も古い。自衛隊と在日米軍を容認していると解釈されている憲法第九条は実態として「世界有数の重武装憲法」と化しているが、リヒテンシュタインは憲法を守って軍隊を保持していない。

 

ラインのおもちゃ箱

 

スイス東部の田舎町ザルガンスの駅前から郵便バスに乗る。あっという間にライン川を渡ってリヒテンシュタインに入る。一九九六年と二〇〇五年にリヒテンシュタインを訪れたが、非武装憲法第四四条に気づいたので、二〇〇八年八月に三度リヒテンシュタインを訪れた。

リヒテンシュタインは、スイスとオーストリアの間、アルプスとライン川の間にある。面積は一六〇平方キロで、小豆島とほぼ同じ。人口は約三万二千人だが、三分の一は外国人だ。人種はゲルマン人で、ドイツ語を話す。宗教はカトリックが八〇%、プロテスタントが七%である。

 リヒテンシュタイン家はもともとオーストリアのウィーン在住の一族で、ウィーンとチェコのモラビアに領地を保有していたが、一六九九年にヨハン・アダム・アンドレアス侯が現在のリヒテンシュタイン北部低地部にあたるシェレンベルク男爵領を購入し、一七一二年に南部高地部のファドゥーツ伯爵領を購入した。一七一九年、神聖ローマ帝国がアントン・フローリアン侯に両領の自治権を認めたので、リヒテンシュタイン侯国となった。数多くの領邦国家とともに神聖ローマ帝国の一員であった。

フランス革命後、ナポレオン軍が一時期支配したが、一八一五年に独立を回復して、ドイツ連盟に加盟した。しかし、一八六八年にドイツ連盟が解体したので、単独の主権国家の道を歩むとともに、軍隊を廃止して永世中立を宣言した。

 歴代侯爵は長年ウィーンに在住していた。リヒテンシュタインはオーストリアと関税協定を結び、オーストリア貨幣を使用していた。しかし、第一次大戦の結果、オーストリアが弱体化したため、民衆がスイス・フランを使用するようになり、さらに一九二三年にはスイスと関税協定を結んだ。

第二次大戦中は、政治にナチスの影響が及んできた。次の選挙ではナチス勢力の議会進出が予想されたが、侯爵は選挙を延期することによってナチス勢力の議会進出を阻み、リヒテンシュタインは中立を守った。侯爵はヒトラーと直接交渉して中立を守ったといわれる。一九三八年、フランツ・ヨーゼフ二世がウィーンから首都ファドゥーツに移転して名実ともにリヒテンシュタイン侯国となった。オーストリアがドイツに併合されていたからである。

侯爵家の城からライン川の手前に広がるファドゥーツの町を見下ろすと、小さなおもちゃ箱のように見える。小さいが豊かな美食の国であり、切手でもよく知られる。

 

軍隊の廃止

 

 一八六八年、明治維新の年にリヒテンシュタイン軍隊を廃止したのは、ヨハン二世である。

 ビスマルクのプロイセンはドイツ統一をめざして、ハプスブルク・オーストリアと主導権争いを演じた。プロイセン・オーストリア戦争の結果、オーストリアを排除してドイツ帝国が成立した。この時、リヒテンシュタインは中立を守った。ドイツ連盟解体後、ビスマルクは統一ドイツを確立したが、リヒテンシュタインはドイツと国境を接していないため編入されることもなく、単独の独立国家となった。

 歴史家ピエール・ラトンによると、ヨハン二世はこの機会に軍隊を解散しようと考えたという。軍役は一八六八年に廃止され、その後、再導入されていない。

 他方、イギリスの元リヒテンシュタイン大使だったデイヴィッド・ビーティの『リヒテンシュタイン現代史』によると、一八六六年七月二日、法王一六世がドイツ連盟総会を告知したので、ヨハン二世は、ティロルを守るために軍隊を派遣した。部隊は、オーストリアと戦争していたイタリアによる攻撃から守るためにステルヴィオ峠に駐留した。侯爵は国庫を節約するために、個人的にその費用を払った。幸い敵が来なかったので、部隊は戦闘することなく帰国した。ところが、ドイツ連盟の解体により、もはや軍隊を保有する国際的義務がなくなった。議会は、軍事予算を拒否する機会と見て取った。しかし、侯爵はこれには反対した。というのも、軍隊の保持は侯爵の憲法上の特権にかかわるからである。だが、侯爵は譲歩して、一八六八年二月一日、軍隊を解散した。

 廃止の理由は、ドイツ連盟が解体したので軍隊を保有する国際的義務がなくなったことと、軍事予算が負担となったことによる。

 この点では、ラトンが紹介している、ナポレオン軍からの再独立時のエピソードも参考になる。一八一五年の人口は約六千人にすぎなかった。主要産業は農業なのに、大半が山岳地帯のため生産量は乏しい。戦争のため収穫がなくなった。一八一七年には深刻な飢饉に見舞われた。神聖ローマ帝国の一員として軍隊保有の義務があったが、人民が軍隊税の廃止を要求した。そこで侯爵が支出を引き受けることになった。これによって人民を納得させつつ、国際的義務を果たすことができた。

 小国ゆえに軍隊保有が負担となり、人民が軍隊廃止を要求したのである。振り返ってみれば、明治維新期の日本においても、徴兵制に対して人民が反対した歴史がある。軍隊は人民の生活にとって何の役にも立たない。税負担が増えるだけである。徴兵制によって家族を軍隊にとられる。人民が軍隊廃止を要求するのはむしろ当然のことである。

いったん軍隊が設立され、軍国主義イデオロギーが浸透すると、軍隊が人民のためにあるかのような倒錯した意識がつくられる。軍隊があるのが当たり前と言う錯視が浸透する。そうなると軍隊廃止という要求が登場しにくくなる。しかし、もともと人民にとって軍隊とは何であるのかに気づけば、社会意識は変容する可能性がある。

 一八六八年に解雇された兵士のうち最も長生きした兵士の晩年の写真が「リヒテンシュタイン最後の兵士」として絵葉書になっている。一九三九年に九五歳で亡くなったという。

いちいちいちいち文化の日


今朝は国立新美術館でリヒテンシュタイン展だった。


 

リヒテンシュタイン家が収集した、「個人」としては世界指折りの美術品の数々。ナポレオン戦争から逃れ、ヒトラーの魔手からも逃れて、守り抜いた話は有名。長い間秘蔵されていた作品群が公開され、ついには来日。ルネサンス、バロック、フランドル、新古典主義の名画。ルーベンスはとびっきり。

 

リヒテンシュタインの首都ファドーツのリヒテンシュタイン国立美術館には2度行って企画展をみたが、今回来日したのはウィーンのリヒテンシュタイン美術館と夏の離宮の所蔵。圧倒される。

 

リヒテンシュタインは軍隊のない国家で、調査のために2度行った。それ以前にも2度行ったので合計4回。1回目の調査内容は『軍隊のない国家』(日本評論社、2008年)に書いた。調査不足だったので、その後再訪して追加調査した。

 

国立新美術館で販売していたカタログにも、1868年軍隊廃止と、書いてある。しかし、1921年の非武装憲法には言及していない。日本の憲法学者もリヒテンシュタイン憲法には言及したがらない。憲法教科書を20冊は見たが、1冊も言及していない。1946年の日本国憲法が世界最初の非武装憲法でないと困るからだろう。

 

午後は渋谷のシアターコクーンで、こまつ座&ホリプロ公演、井上ひさし・作、蜷川幸雄・演出『日の浦姫物語』。


 

大竹しのぶと藤原竜也の熱演も素晴らしかったが、何と言っても、木場勝己だ。凄い役者だ。感銘。

 

井上ひさしの中期作品という書き方がされていたが、初期から中期といったところか。近親姦をテーマとした、重く、シリアスな作品だが、もちろん随所にお笑いが入る。とはいえ、爆笑に次ぐ爆笑、微笑、苦笑、そして爆笑という井上ひさしの世界とはやや異なる。

 

今日は11.11で、脱原発のため、みんな頑張っているが、一休みさせてもらった。