Tuesday, November 13, 2012

オカルト・ノンフィクション


今日の授業で部落差別問題を取り上げた。当然、素材の一つは『週刊朝日』の橋下徹・大阪市長に関する記事だ。12日に発表された朝日新聞「報道と人権委員会」見解も資料として配布した。

 

文章であれ絵画であれ、表現行為に携わる人間がいかなる表現を行うのか。他人を傷つけ、貶めたり、偏見や差別を助長する表現ではなく、自らの偏見を問い直すような表現こそ意義がある。とはいえ、差別表現が問題になったからと言って、臭いものに蓋では困る。社会の中の差別に向き合って、自らを問い続けることを強調した。

 

さて、佐野眞一というルポライターについては、前から疑問に思うところがあったので、そのことも少し話した。

 

ちなみに、週刊朝日事件が起きた直後に、いくつかのMLに、私は佐野眞一を評価していないことを表明したが、「今回ミスをしたからといって急に批判するのはおかしい」という意見が寄せられた。

 

しかし、「今回ミスをしたから」言うのではない。

 

『年報・死刑廃止2012』の前田朗「死刑廃止関係文献」に次のように書いた。

 

佐野眞一『別海から来た女――木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判』(講談社、12年5月)は、二〇一二年春に再審開始決定の出た東京電力OL殺人事件のゴビンダさんの裁判を追跡した『東電OL殺人事件』の著者によるノンフィクションである。百日裁判で裁かれた埼玉・O殺害事件、東京・T殺害事件、千葉・A殺害事件。そしてこれらに続くさまざまな犯罪を、死刑判決に至るまでフォローしている。「これまでまったくなかったタイプの殺人事件」であり、「それはネットを使った殺人事件ということに、おそらく関係している」という著者は、「こうした新しい情報環境の中では、痴情や怨恨といった人間の『素朴な劇場』は、電子信号が激しく行き交う情報の激流に押し流されて、人を殺す動機の王座からすべりおちてしまったのではないか」といい、単なる印象批評ではなく、事実を客観的に伝えることに力を注ぐ。また、事件は木嶋佳苗という「超弩級の女犯罪者」の事件とされるが、「木嶋に殺され、金をだまし取られ、冒瀆され、手玉に取られた情けない男達の群像劇」として、悲劇ではなく「喜劇」として描こうとする。「悲劇より喜劇の方がずっと真実に近く、お涙頂戴の悲劇より格段に恐ろしい」とも述べる。もっとも、木嶋佳苗の故郷である別海町に取材に訪れた折に、「かつて感じたことのない胸苦しさを急に感じた」、「木嶋佳苗の巨体が胸の上にのしかかってくる悪夢に何度もうなされ」たといい、「いまでも時折、別海のホテルで体験した恐怖の一夜を思い出して生きた心地がしなくなる。そして、あれが木嶋佳苗の呪いではなかったかと思うと、いまさらながら背筋が寒くなっている」とし、木嶋佳苗は「生まれついての犯罪者の素質を持った女だ」と言うのでは、オカルト・ノンフィクションに分類されかねないのではないか。>『年報・死刑廃止2012』158~159頁。

 

『年報・死刑廃止2012』は本年10月25日付の発行であり、私が上記の文章を書いたのは9月前半である。問題の『週刊朝日』は10月26日号である。

 

『年報・死刑廃止2012年』

 

私の上記の文章は「死刑関係文献案内」の一節である。佐野眞一の本を他の本よりも多めのスペースを取って紹介しようと考えていたが、一読して考えが変わった。つまらないし、疑問があるからだ。この本でも、佐野眞一は、出自や血統に重きを置いて事件を取材し、そして「生まれついての犯罪者の素質を持った女」を断罪する。

 

最初はもっと厳しい批判を書いたのだが、さすがに佐野眞一ほどの作者に対して失礼かと思ったので、いったん全部削除した。しかし、最後に「オカルト・ノンフィクション」という言葉を復活させた。

 

「オカルト・ノンフィクション」は言いすぎかもしれないが、佐野眞一には、自らの根深い差別と偏見を自己検証してほしい。『週刊朝日』の記事だけでなく、自分の作品の総点検をするべきだろう。そのうえで、しばらくお休みの後に、名誉挽回の本格ルポルタージュを世に送り出してほしいものだ。

 

なお、金曜日に「部落問題啓発講座・差別犯罪と部落問題」で話をする機会をいただいている。ヘイト・クライムについて話すのだが、私自身も、自らの差別と偏見を洗い直し、反省しながら、次の一方を踏み出そうと思う。

http://maeda-news.blogspot.jp/2012/10/blog-post_27.html



追記:

『週刊金曜日』920号(11月16日)は、特集「部落差別を考える」を組み、角岡伸彦「『週刊朝日』問題の本質」を掲載している。著者は、元『神戸新聞』記者で今はフリーライター。

角岡は、「連載記事をめぐる騒動を見るにつけ、部落問題に対する書き手、メディア、読者、政治家のあまりの代わり映えのなさに暗澹たる気持ちになった」と、論述を始めている。

佐野眞一については、「愛読者で、ほとんどの著作を読んでいる」が、「氏独特の思い込みや先入観をそのまま文章にしたものもあ」るという。

具体的には、佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社、2005年)を取り上げ、ある女性について「レズ三昧の生涯を閉じた」「畜生道に堕ちた女」「人倫に悖ると批判するのもおこがましいような怪物ぶり」「淫奔と猟色の人生」などと書いているとし、「差別的な視線を感じる」と述べている。

上に紹介した『別海から来た女』とよく似ている。ここまで女性蔑視思想を持ち、しかもそれを繰り返し表現してきたことに驚かされる。

また、角岡の知り合いの2人の編集者が、佐野に「出自と人格や性格を結び付けて書くのは問題ですよ」と懇切丁寧に忠告したが、佐野は「聞く耳を持たなかった」という話を紹介している。

やはり、佐野は根深い優生思想と差別観を抱いていることがわかる。自分の差別意識を対象化することもできず、噂話も含めて他人を論難することに熱中したのは、そのためだろう。

朝日新聞報道と人権委員会の報告書や佐野のコメントを見る限り、根本的な反省はなされていない。

今回は、橋本大阪市長が公然と反撃に出て、佐野批判がなされ、佐野自身の差別意識を検証するよい機会になったはずだ。

『阿片王』の女性は歴史的人物だから、反論することはない。『別海から来た女』の木島佳苗も殺人者として囚われの身であり、死刑判決を言い渡されている立場なので、佐野の文章に反論することもできそうにない。反論できない相手に対して居丈高に差別的レッテル貼りを繰り返してきたのが佐野眞一である。

佐野には、自分の差別意識を検証することともに、今回のことから逃げずに、むしろ、これから本格的に部落差別問題の徹底取材・追及をしてもらいたい。それだけ能力のある作家のはずだから。