Monday, November 05, 2012

差別表現の自由はあるか(1)


 

差別表現の自由はあるか(一)

 

『統一評論』560号(2012年6月)

 

 

一 本稿の課題

 

 本連載でこれまで、人種差別表現とヘイト・クライム規制の必要性について繰り返し言及してきた。ヘイト・クライム法や人種差別禁止法の必要性など、さまざまな形で論じてきたが、差別表現の禁止の法理について正面からの検討をしてこなかった。今回から、日本における差別表現の禁止について本格的な検討を加えたい。

 ここでの最大の関心は「差別表現を刑罰法規でもって禁止することは許されないのか」である。というのも、日本政府は長年にわたって、人種差別表現を処罰することは憲法違反であり、そのような立法は不可能であると繰り返してきた。

 日本政府だけではなく、憲法学や刑法学においても同様の見解が唱えられてきた。それは「通説」と言ってもよいであろう。第一に、差別表現は憲法第二一条の「表現の自由」の保障の範囲内にあり、それゆえ差別表現が表現にとどまる限りは、刑罰法規をもって規制することは憲法第二一条に抵触する、とされてきた。第二に、差別表現を規制する刑罰法規は必然的に言論表現を委縮させ、どこまでが刑事規制の対象となるかを明確に規定することができず、刑事法原則の一つである明確性の原則に違反するから、憲法第三一条にも違反する、とされてきた。

 右の憲法・刑法学説は長年にわたって形成されてきた思考であり、「通説」と呼ぶべき程度に確立していると言える。その意味で、日本政府見解は、憲法学・刑法学に支えられた圧倒的に正当な見解であると理解されていると言ってよい。

 「差別表現は表現の自由であり、刑罰で禁止することはできない」というのは、日本では絶対命題のごとき地位を獲得した思考である。

 果たしてこのような思考には本当に正当性があるのだろうか、というのが筆者の疑問であり、本稿の主題である。

筆者はすでに「ヘイト・クライム法研究の展開――人種差別撤廃委員会第七四会期情報の紹介」(第二東京弁護士会『現代排外主義と人種差別規制立法』二〇一一年)において、この問題を簡潔に検討したことがある。そこでは、表現の自由を特に強調するアメリカ合州国においてさえヘイト・クライム法が制定され、適用されていることを指摘した上で、「もともと、表現の自由の根拠は、第一に個人の人格権、第二に民主主義に求められてきた。表現の自由を個人の人格権として構成するならば、他者の人格権に対する侵害がその内容に含まれないことは当然のことであって、ヘイト・クライム法を一般的に否定する論理はどこからも引き出しえない。表現の自由を民主主義に関わらせてその重要性を論じる場合も、民主主義が単にマジョリティの決断を意味するものではなく、少数意見の尊重を内に含むものであり、同時にマイノリティの保護も民主主義に内在するというのが現代的理解である。それゆえ、表現の自由そのものから言っても、ヘイト・クライム刑事規制がただちに表現の自由に違反するという結論が出されるわけではない。以上の点から、ヘイト・クライム法と表現の自由問題は仮象問題』にすぎない疑いが強い」と述べた。

さらに、「これまで、なぜ人種差別表現の刑事規制は表現の自由に抵触すると即断してきたのだろうか。その一因は、人種差別表現による被害事実に目を閉ざしてきたことにあるのではないだろうか。被害に関する社会学的調査・研究が少ないため、とりわけ政府レベルの公的な調査が欠落しているため、人種差別被害と言っても、一般論でしか理解されず、議論の手がかりが不十分だったように思われる」と述べた。それゆえ、別途、ヘイト・クライムの被害論と保護法益論の必要性を指摘してきた(前田朗「ヘイト・クライムはなぜ悪質か(一)()」『アジェンダ』三〇~三四号、二〇一〇~一一年)。

このような問題意識に立って研究を継続しているが、表現の自由をめぐる検討はまだまだ十分とはいえない。

そこで本稿では改めて「差別表現」と「表現の自由」の関連を俎上にのせて、本格的に検討を行いたい。以下では、まずこの問題が国際人権法においてどのように規定されているかを確認する。次に、日本政府が国際人権法のフィールドでどのように主張し、どのような勧告を受けてきたかを確認する(以上、本号)。その上で、憲法学や刑法学が差別表現と表現の自由についていかなる議論を行ってきたかを整理・検討する(以下、次号)。

なお、ヘイト・クライムには「言葉によるヘイト・クライム」のみではなく、「暴行・殺人等の暴力を伴うヘイト・クライム」があるが、本稿での検討対象は、主に前者の「言葉によるヘイト・クライム」である。

 

 

二 国際人権法の枠組み

 

日本社会においては、朝鮮人、中国人、その他の来日外国人に対する差別表現が横行している。女性差別や障がい者差別の表現もいまなお続いている。ゲイやレズビアンや性同一性障害などの性的マイノリティに対する差別も目立つ。部落差別も解消されていない。つまり、人種差別撤廃条約第一条が定義する「人種」概念に関連して多様な差別と差別表現が社会に蔓延している。差別表現が横行・蔓延しているだけではない。日本政府は差別表現の多くを放置してきた。その下で、日本社会は「差別表現の自由」を唱えてきた。

このように言うと、言い過ぎだとの批判も出てくるかもしれない。「差別表現は許されるか」と問われれば、多くの人々が「差別表現はよくない」と答える。差別表現が名誉毀損にあたる場合には、民法や刑法の名誉毀損で対処してきた。日本社会が差別表現を容認してきたわけではない、と。

なるほど、「差別表現は許されるか」と問いを発すれば、「差別表現は許されない」という答えが返って来るだろう。しかし、「差別表現を刑事規制するべきか」と問いを発すれば、日本政府も憲法学・刑法学も一般の市民も「表現を刑罰で規制するのは行き過ぎだ」と答えるのが現実である。それどころか、筆者が「差別表現を刑事規制する必要がある」と主張すると、「ファシストだ」と罵声を浴びせられたことさえある。果たしてこのような状況が健全と言えるだろうか。「差別表現は許されるか」と「差別表現を刑事規制するべきか」の間の齟齬を分析することが求められる。

 

1 差別の禁止

 

国際人権法における差別の禁止は、一九四八年の世界人権宣言第二条では次のように表現されている。「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」。

この規定は、同第一条の「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と、第六条の「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する」と併せて理解されるべきであろう(世界人権宣言については、前田朗「世界人権宣言を読む」本誌五二二・五二三号、二〇〇九年)。

一九六六年の国際自由権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)第二〇条第二項は「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」と定めている。同条第一項は戦争宣伝の禁止を定め、第二項が差別の扇動の禁止を定めているが、「法律で禁止する」とあるのみで、いかなる法律でなければならないかまでは明示されていない。

 なお、マイノリティ権利宣言第二条第一項は「民族的、種族的、宗教的及び言語的マイノリティに属する者(以下、マイノリティに属する者)は、公私において、自由かついかなる干渉差別もうけることなく、自己の文化を享受し、自己の宗教を信仰しかつ実践し、自己の言語を使用する権利を持つ」とする。第二項は「マイノリティに属する者は、文化的、宗教的、社会的、経済的及び公的生活に効果的に参加する権利を持つ」とする。第三項は「マイノリティに属する者は、自己の属するマイノリティに関して、又は、自己の居住する地域に関して、全国レベル及び適当な場合には地域レベルの決定に効果的に、国内法と矛盾しない方法で、参加する権利を持つ」。第四項は「マイノリティに属する者は、自分たちの結社を設立維持する権利を持つ」。第五項は「マイノリティに属する者は、いかなる差別も受けることなく、自己の集団の他の構成員、他のマイノリティに属する者との自由かつ平和な接触、ならびに民族的もしくは種族的、宗教的又は言語的靱帯によって結ばれた他国の市民との国境を越えた接触を築き維持する権利を持つ」とする(前田朗「マイノリティ権利宣言と日本」本誌五四四号、二〇一一年)。詳しくは、元百合子「マイノリティ権利宣言の意義に関する一考察」『国際人権』第一〇号(国際人権法学会、一九九九年)、同「マイノリティ権利宣言コメンタリー(逐条解説)について」『アジア太平洋研究センター年報二〇〇三――二〇〇四』所収など参照。

他方、一九六五年の人種差別撤廃条約第一条第一項は次のように述べている。「この条約において、『人種差別』とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」。

 「人種差別」には、人種だけではなく、民族差別や世系差別も含まれる。なお、「世系」は、世界人権宣言第二条に「門地」とあるのと同じ語を、日本政府がこのように訳したものである。

 もっとも、条約第一条第二項は「この条約は、締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない」としているので、「市民(日本国籍者)」と「市民でない者(外国人)」の間の異なる取り扱いのすべてが差別となるわけではない。

 また、条約第一条第三項は「この条約のいかなる規定も、国籍、市民権又は帰化に関する締約国の法規に何ら影響を及ぼすものと解してはならない。ただし、これらに関する法規は、いかなる特定の民族に対しても差別を設けていないことを条件とする」としているので、ただし書きにいう差別のない限り、国籍や帰化に関する政策は政府の権限内である。

 以上が差別の禁止に関連する国際人権法の枠組みをつくる文書である。

 

2 差別扇動の刑事規制

 

国際自由権規約第二〇条二項は差別扇動を「法律で禁止する」としているが、いかなる法律であるべきかを明示していない。

これに対して、人種差別撤廃条約第四条(a)(b)は、差別扇動を犯罪とすることを明示している。

「締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。

a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。 」

このうち、第四条(a)(b)について、日本政府は適用を留保しているため、日本政府に直接適用されるのは、第四条本文と(c)である。

第四条(a)(b)を世界各国がどのように適用しているかについては、これまでに詳しく紹介してきたので、ここでは繰り返さない。前田朗「ヘイト・クライム法研究の課題」『法と民主主義』四四八・四四九号(二〇一〇年)「ヘイト・クライム法研究の展開」『現代排外主義と差別的表現規制』(第二東京弁護士会人権擁護委員会、二〇一一年)「ヘイト・クライム法研究の現在」村井敏邦先生古稀祝賀論文集『人権の刑事法学』(日本評論社、二〇一一年)「差別禁止法をつくろう! 差別禁止法の世界的動向と日本」『解放新聞東京版』七七九・七八〇号(二〇一二年)、「人種差別撤廃委員会第八〇会期」本誌五五八・五五九号(二〇一二年)参照。

 

 

三 日本政府の見解

 

1 自由権規約日本報告書

 

 二〇〇八年一〇月、国際自由権規約に基づいて自由権規約委員会に提出された第五回日本政府報告書は、次のように述べている。

「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、それが、特定の個人や団体の名誉や信用を害する内容を有すれば、刑法の名誉毀損罪(第二三〇条)、

侮辱罪(第二三一条)又は信用毀損・業務妨害罪(第二三三条)で処罰されるほか、特定個人に対する脅迫的内容を有すれば、刑法の脅迫罪(第二二二条)、暴力行為等処罰に関する法律の集団的脅迫罪(第一条)、常習的脅迫罪(第一条の三)により処罰され、また、その教唆犯(刑法第六一条)又は幇助犯(同法第六二条)として処罰され得る」。

 「法務省の人権擁護機関は、これまでも、いわゆる差別落書きや差別投書といった差別表現の流布や個人又は団体を誹謗中傷し、そのプライバシーを侵害するような行為については、これを看過することのできない問題としてとらえ、様々な機会を通じて人権尊重思想の啓発に努めるなど、その解消のため積極的に取り組んできたところであり、そのような事案を認知した場合には、行為者の特定に努め、行為者が判明すれば、その者に対して指導・啓発するなどして、人権侵害による被害の救済及び予防を図っている」。

 「近年、インターネット上での差別表現の流布等が大きな問題となっているが、このことは、法務省の人権擁護機関としても、人権擁護上看過することのできない問題であると考えており、具体的な事案を認知した場合には、表現の自由等に十分配慮しつつ、掲示板の管理者等に対して削除依頼を行うほか、事案に応じて、上記記載の各種取組を行っているところである」。

自由権規約に基づく日本政府報告書審査については、前田朗「自由権規約委員会が日本政府に勧告」(本誌五一九号、二〇〇九年)。

 

 

2 人種差別撤廃条約日本報告書

 

 日本政府は、人種差別撤廃条約第四条(a)(b)の適用を留保している。

二〇〇一年三月八・九日、人種差別撤廃委員会で最初の日本政府報告書が審査を受けた。人種差別撤廃条約に基づく第一・二回日本政府報告書は、次のように述べる。長いが引用する。

 「我が国憲法は第二一条第一項において、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障している。表現の自由は、個人の人格的尊厳そのものにかかわる人権であるとともに、国民の政治参加の不可欠の前提をなす権利であり、基本的人権の中でも重要な人権である。かかる表現の自由の重要性から、我が国憲法上、表現行為等の制約に当たっては過度に広範な制約は認められず、他人の基本的人権との相互調整を図る場合であっても、その制約の必要性、合理性が厳しく要求される。特に最も峻厳な制裁である罰則によって表現行為等を制約する場合には、この原則はより一層厳格に適用される。また、我が国憲法第三一条は、罪刑法定主義の一内容として、刑罰法規の規定は、処罰される行為及び刑罰について、できるだけ具体的であり、かつ、その意味するところが明瞭でなければならないことを要請している。
 本条約第四条(a)及び(b)は、人種的優越又は憎悪に基づく思想の流布や人種差別の扇動等を処罰することを締約国に求めているが、我が国では、これらのうち、憲法と両立する範囲において、一定の行為を処罰することが可能であり、その限度において、同条の求める義務を履行している。しかし、同条の定める概念は、様々な場面における様々な態様の行為を含む非常に広いものが含まれる可能性があり、それらすべてにつき現行法制を越える刑罰法規をもって規制することは、上記のとおり、表現の自由その他憲法の規定する保障と抵触するおそれがある。そこで、我が国としては、世界人権宣言等の認める権利に留意し、憲法の保障と抵触しない限度において、本条約第四条に規定する義務を履行することとしたものである」。

 「『人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布』に関して、我が国は、本条約を締結するに際し上述の留保を行っていることからも明らかなとおり、憲法で保障する基本的人権である集会、結社及び表現の自由等の重要性にかんがみ、人種的優越又は憎悪に基づく思想の流布にあたる人種差別的な表現類型を一般的に処罰の対象とはしていない。しかし、それが、特定の個人や団体の名誉や信用を害する内容を有すれば、刑法の名誉毀損罪(第二三〇条)、侮辱罪(第二三一条)又は信用毀損・業務妨害罪(第二三三条)で処罰されるほか、特定個人に対する脅迫的内容を有すれば、刑法の脅迫罪(第二二二条)、暴力行為等処罰に関する法律の集団的脅迫罪(第一条)、常習的脅迫罪(第一条の三)等により処罰される」。

 「本条項に関連して、一九九四年の春から夏にかけて、全国各地で、在日朝鮮人児童・生徒に対する嫌がらせや暴行等の事象が発生し、この中には、朝鮮学校に通う女子生徒らに対する、差別言辞・言動、駅構内トイレにおける差別落書、チマ・チョゴリ(朝鮮の民族衣装)を切るなどの暴行事件など人権擁護上、看過できないものも多く見受けられた。
 警察では、被害が予想される場所における警戒強化、登下校の時間帯における警戒強化、関係機関との連携及び学校側との協力などにより、この種の事案の未然防止及び早期検挙を図った」。

  二〇〇一年三月二〇日、人種差別撤廃委員会は日本政府に対して次のように勧告した。

「委員会は、本条約に関連する締約国の法律の規定が、憲法第一四条のみであることを懸念する。本条約が自動執行力を持っていないという事実を考慮すれば、委員会は、特に本条約第四条及び第五条に適合するような、人種差別を非合法化する特定の法律を制定することが必要であると信じる」。

「委員会は、本条約第四条(a)及び(b)に関し、『日本国憲法の下での集会、結社及び表現の自由その他の権利の保障と整合する範囲において日本はこれらの規定に基づく義務を履行する』旨述べて締約国が維持している留保に留意する。委員会は、かかる解釈が、本条約第四条に基づく締約国の義務と抵触することに懸念を表明する。委員会は、その一般的勧告七(第三二会期)及び一五(第四二会期)に締約国の注意を喚起する。同勧告によれば、本条約のすべての規定が自動執行力のある性格のものではないことにかんがみれば、第四条は義務的性格を有しており、また人種的優越や憎悪に基づくあらゆる思想の流布を禁止することは、意見や表現の自由の権利と整合するものである」。

「人種差別の禁止全般について、委員会は、人種差別それのみでは刑法上明示的かつ十分に処罰されないことを更に懸念する。委員会は、締約国に対し、人種差別の処罰化と、権限のある国の裁判所及び他の国家機関による、人種差別的行為からの効果的な保護と救済へのアクセスを確保すべく、本条約の規定を国内法秩序において完全に実施することを考慮するよう勧告する」。

 第一に、第四条(a)(b)の留保は条約の基本的趣旨を台無しにしてしまうことが指摘されている。

 第二に、日本政府は第四条(a)(b)の適用を留保しているが、第四条本文の適用を留保していない。にもかかわらず、第四条本文の適用も誠実に行っていない疑いがある。

 第三に、人種差別撤廃委員会では、表現の自由と人種差別扇動規制の両立が語られている。筆者も、人種差別撤廃委員会の審議において、委員による「人種差別扇動を処罰することこそが表現の自由の保障につながる」という趣旨の発言に目が覚める思いがした。この点は今後議論を深めるべき課題である。

 なお、この時の日本政府報告書審査については、前田朗「問われた日本の人種差別」『人権と生活』一二号(在日本朝鮮人人権協会、二〇〇一年)参照。

 二〇一〇年二月二四・二五日、同じく人種差別撤廃条約に基づく第三・四・五回日本政府報告書は、次のように述べている。

「第四条の定める概念は、様々な場面における様々な態様の行為を含む非常に広いものが含まれる可能性があり、それらのすべてにつき現行法制を越える刑罰法規をもって規制することは、その制約の必要性、合理性が厳しく要求される表現の自由や、処罰範囲の具体性、明確性が要請される罪刑法定主義といった憲法の規定する保障と抵触する恐れがあると考えたことから、我が国としては、第四条(a)及び(b)について留保を付することとしたものである。

また、右留保を撤回し、人種差別思想の流布等に対し、正当な言論までも不当に萎縮させる危険を冒してまで処罰立法措置をとることを検討しなければならないほど、現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動が行われている状況にあるとは考えていない。

我が国は、人種差別撤廃委員会より、第一回・第二回政府報告を受けて出された最終見解で、第四条(a)及び(b)に付した留保を撤回する方向で見直すことを検討するよう奨励する旨の勧告を受けたが、以上の理由により撤回することは考えていない。」

二〇一〇年三月(公式には四月六日)、人種差別撤廃委員会は日本政府に対して次のように勧告した。

「締約国による説明に留意するとともに、委員会は、締約国の本条約第四条(a)及び(b)への留保について懸念する。また、在日韓国・朝鮮学校に通う生徒を含むグループに対する不適切で下品な言動、及び、インターネット上での、特に部落民に対して向けられた有害で人種主義的な表現や攻撃という事象が継続的に起きていることに懸念をもって留意する(第四条(a)及び(b))。

委員会は、人種的優越や嫌悪に基づく思想の流布を禁止することは、意見や表現の自由と整合するものであるという意見を再度表明し、この点において、本条約第四条(a)及び(b)への留保の維持の必要性を、留保の範囲の縮小及びできれば留保の撤回を視野に入れて、検証することを慫慂する。委員会は、表現の自由の権利を行使することは、特別な義務と責任、特に人種主義的思想を流布しない義務が伴うことを喚起し、本条約の規定が自動執行力のない性格のものであることに鑑みれば、第四条は義務的性質があるとする一般的勧告七(一九八五)及び一般的勧告一五(一九九三)を考慮することを改めて要請する。委員会は締約国に以下を勧告する。

(a)本条約第四条の差別を禁止する規定を完全に実施するための法律の欠如を是正すること。

(b) 憎悪的及び人種差別的表明に対処する追加的な措置、とりわけ、それらを捜査し関係者を処罰する取組を促進することを含めて、関連する憲法、民法、刑法の規定を効果的に実施することを確保すること。

(c) 人種主義的思想の流布に対する注意・啓発キャンペーンを更に行い、インターネット上の憎悪発言や人種差別的プロパガンダを含む人種差別を動機とする違反を防ぐこと。」

日本政府は、二〇〇一年の審査結果を受けて、若干の修正を行ったものの、基本姿勢に変化はない。

第一に、日本には深刻な人種差別はないと述べて、NGOが指摘してきた多数の人種差別事例をひとまとめに否定した。人種差別がないとすることにより、人種差別禁止法を必要とする立法事実を全面否定したのである。

第二に、そのうえで、もし立法が必要であるとしても、「言葉によるヘイト・クライムのような事案については、表現の自由との関連から刑事規制はできないとする。

第三に、言論行為を処罰する立法は、明確性の原則にも反する疑いがあり、刑事規制ができないと主張している。

この時の審査の様子については、前田朗「人種差別撤廃委員会と日本」本誌五三四・五三五号(二〇一〇年)。

 

3 若干の検討

 

二〇〇一年と二〇一〇年の二回にわたる人種差別撤廃委員会における審議の結果、日本政府の見解がひじょうに明確になり、人種差別撤廃委員会からの勧告も繰り返された。つまり、人種差別撤廃委員会と日本政府の見解の相違も浮き彫りになった。

 審議の詳細に立ち入る余裕はないが、以上における日本政府の見解の特徴をまとめておこう。

 第一に、日本に人種差別はないか。二〇〇一年の審査で日本政府は人種差別の存在を否定し、人種差別撤廃委員会の顰蹙を買った。そこで二〇一〇年には「人種差別禁止法を必要とするような深刻な人種差別はない」と発言した。しかし、NGOによる多数の報告書が具体的に明示しているように、日本には多数の人種差別があり、ヘイト・クライム事件が生じている。

 第二に、「人種差別表現の自由」を主張するのかである。日本政府は「人種差別表現を刑事規制することは憲法違反であり、不可能である」と何度も強調した。二〇〇一年にも二〇一〇年にも、人種差別撤廃委員会の審査で、委員から「日本政府は人種差別表現の自由を主張するのか」と質問が出た。さすがに、日本政府も「人種差別表現の自由を主張しているわけではない」と弁明しているが、実質的に「人種差別表現の自由」を唱えていることは明らかである。このことは日本憲法学・刑法学の問題性にもつながる。

 第三に、表現の自由と差別禁止の両立である。日本政府や憲法学は「表現の自由があるから差別表現を刑事規制できない」と主張する。人種差別撤廃委員会は「表現の自由と差別扇動処罰は整合する。両立する」と述べる。委員によっては、「表現の自由を守るためにこそ、差別扇動を処罰するべきではないか」と述べている。この思考のギャップは大きい。

 第四に、日本における表現の自由の実態を考慮すると、デモや集会の自由は極端に制約されている。戦争反対のビラ配りをして逮捕され有罪になる事例まである。教科書検定も歴史研究と歴史教育を歪めている。これほど表現の自由を制限してきた日本政府が、人種差別問題になると、とたんに「表現の自由」を強調する。

 憲法学・刑法学は、日本政府による表現の自由の解釈の限界を厳しく批判してきた。ところが、人種差別問題になると、とたんに日本政府と憲法学・刑法学はスクラムを組む。実に奇妙な統一戦線が形成される。不健全な結託である。

 第五に、日本における明確性の原則である。徳島公安条例事件最高裁判決が典型であるが、日本における明確性の原則はさほど精密に守られていない。ところが、ヘイト・クライムに話が及ぶや突如として明確性の原則の大合唱が生まれる。これも奇妙な結託である。

そもそも、日本刑法は、条文を一見すれば明らかなように明確性の原則と同じ地平にはない。殺人罪の規定を見れば、手段・方法の特定もなく、実にあっけらかんとした規定ぶりである。にもかかわらず、司法も憲法学・刑法学も明確性の原則を持ち出すことはない。侮辱罪規定が明確性の原則に違反することがないのであれば、ヘイト・クライム法の規定が明確性の原則に違反することもないだろう。

 以上のような疑問点をも含めて、次回は憲法学・刑法学の状況に目を移すことにしたい。