映画『希望の国』を観た。
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日曜日、新宿ピカデリーは前日から予約満席だったため、多摩センターのマイカルへ。
原発事故を素材として、どうやって「希望」を見せるのかが関心事。『見えない雲』のように、どんなに悲惨な物語でも「生命」の希望を語ることはできる。暗闇のはるかかなたに明かりを灯すことはできる。園子温監督はどんな「希望」を提示するのか。
「それでも世界は美しい」
「突然おとずれた不安、痛み、苦しみ、別れ・・・ただ愛するものを守りたい」
宣伝文句でおおよその見当はつくが、思いがけない展開を期待してみた。
監督の言葉。
「原発には復興のめどがたたないという問題があるからです。原発は誰にとっても重要な課題だと思います。誰もが知っている事柄を深く掘り下げたかったんです。原発事故によって一家離散した方の話や、酪農家の方が自殺した話はいろいろなところで報道されましたよね。ニュースやドキュメンタリーが記録するのは“情報”です。でも、僕が記録したかったのは被災地の“情緒”や“情感”でした。それを描きたかったんです。」
「シナリオを書き始めたときに、結末が絶望へ向かおうが希望へ向かおうが構わないと思ったんです。だから、わざわざ希望を見せようとは思いませんでした。実際、取材した中で希望に届くようなものはあまりありませんでした。ただ、目に見えるものの中に希望はないかもしれないけど、心の中にはそういったものが芽生える可能性があると思っています。」
地震、津波、原発事故、自主避難、強制退避。政府とメディアによる情報隠し。引き裂かれた家族。放射能の不安。そして、自殺。――すべて福島の現実をもとにしている。観客にとって、すべて「既知の事実」でさえある。そうした現実を前に、家族の物語を通じて、希望を語らせるしかないことも、容易に想像がつく。愛と生命の誕生だ。
おおむね予想通りに映画は進む。ただ、監督は最後まで絶望を提示し続ける。あえて「希望」を打ち出すのではなく、絶望の積み重なりのかなたに、可能性としての希望をわずかだけ提示して、映画は終わる。なるほどと思う。無理に希望を提示しようとしても空しくなるだけだ。
福島の現実という点では、映画はそれなりに現実を映し出している。監督は善戦していると思うが、やはり福島の現実のほうが途方もなく巨大で深刻で、はるかに悲惨だ。こればかりはやむを得ないだろう。