Wednesday, November 07, 2012

差別表現の自由はあるか(3)

差別表現の自由はあるか(三)

 

一 本稿の課題

 前々回は「差別表現」と「表現の自由」の関連を問うために、この問題が国際人権法においてどのように規定されているかを確認し、日本政府が国際人権法のフィールドでどのように主張し、国際人権機関からどのような勧告を受けたかを確認した。実は、ヘイト・クライム問題に関する限り、憲法学は日本政府とほぼ同じ歩調を取っている。

 そこで前回は、憲法学の動向をやや詳しく概観し、検討を始めた。代表的な憲法学教科書の記述を確認するにとどまったが、憲法学がヘイト・スピーチ処罰に否定的であること、その理由が表現の自由の保障にあること、しかし、十分な理由が示されていないことを見ることができた。憲法学教科書では、明白かつ現在の危険の原則やブランデンバーグ判決を引証するが、表現の自由の保障が優越的地位にあることと、ヘイト・スピーチ処罰ができないことの間の論理的説明はなされていない。

 人種差別撤廃委員会は従来から「表現の自由と人種差別表現の処罰は両立する」と繰り返していた。一般論ではなく、前々回紹介したように、日本政府報告書の審査において、具体的にその指摘がなされてきた。

 ところが、憲法学教科書は一切の説明抜きに、これを全否定する(ように見える)。「表現の自由」と一言唱えれば、それ以上の説明は必要ないと考えているのだろうかと不思議な印象を受ける。どの教科書を見ても、論理的説明が書かれていない。

 そこで、今回と次回は少し時期をさかのぼって、憲法学の理論状況が現在のようになる前の状況を見て行くことにする。前回も少しだけ言及した内野正幸『差別的表現』(明石書店、一九九〇年)から、市川正人『表現の自由の法理』(日本評論社、二〇〇三年)に至る経過を見て行くことである。内野の問題提起がどのような経過をたどったか、そして、内野がいかにして自説を撤回するに至ったかを見ることで、今日の状況が理解できると考えられる。当時の議論は憲法学の内部だけで行われたのではなく、かなり政府的議論がなされた。そのことの意味を考える必要がある。

 なお、以下では、ヘイト・クライム全体ではなく、「表現・言葉によるヘイト・クライム(ヘイト・スピーチ)」に限定する。特に人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」問題である。

 

二 八〇年代の議論

 内野正幸(当時・筑波大学助教授、現在・中央大学教授)が著書『差別的表現』において差別表現の刑事規制を提案し、「論争」が行われた。それは、憲法学では、市川正人『表現の自由の法理』によって決着を見ることになった。前回見た憲法学教科書は、その後に憲法学の世界で共通理解とされたことを前提として書かれている。さらに内野正幸『表現・教育・宗教と人権』(弘文堂、二〇一〇年)における改説によって最終決着したと言えよう。そこに収録された内野論文はそれ以前のものであるが、著者に収録して改めて発表したことで、現時点での内野の理解を再確認したと言える。

 もっとも、本稿では「撤回」「改説」という表現を用いているが、内野自身は「差別的表現」が「若いころからのテーマであり、それは出版当時に学界の内外で評価された。しかし、その後、憲法その他の分野で多数の文献が出され、私自身のフォローしきれないところとなった」という、あいまいな表現を用いている。

 ともあれ、内野説をめぐる応答が、憲法学においてヘイト・スピーチに関する議論の契機となったことは間違いないと思われる。そこで、内野説をめぐる応答の様子の一端を確認することが必要となる。

 ただし、以下で検討するのは、憲法学界における応答と言うよりも、学界の外での応答である。

 内野の問題提起がなされたのは一九九〇年のことである。当然のことながら、それ以前においても、差別表現と表現の自由をめぐる議論は続けられてきた。とりわけ七〇年代から八〇年代にかけて、部落差別とそれに対する批判としての解放運動の展開の中で、差別表現をめぐる問題も激しく争われてきた。

 部落差別研究所編『表現の自由と「差別用語」』(部落問題研究所出版部、一九八五年)は、当時の状況を知るには便利な一冊である。

 同書は、部落解放同盟の運動方針に対する痛烈な批判の書であり、その点を考慮して読む必要があるが、「第Ⅰ部 部落問題を主として見た表現の自由と『差別用語』問題」(成沢栄寿執筆)は一三〇頁に及ぶ力作であり、数々の差別用語問題・事件を取り上げて論評を加えている。

 成沢栄寿(さまざまな漢字表記を使い分けているようだが)は、歴史家(部落問題、歴史教育)であり、全国部落問題研究協議会代表幹事、部落問題研究所理事などを歴任し、長野県短期大学教授などもつとめた。著書に『日本の歴史と部落問題』『部落の歴史と解放運動近現代』『人権と歴史と教育と』などがある。さらに本書「第Ⅵ部 資料」には、運動団体等の見解、新聞・放送・雑誌・図書館の網領・指針、取り決め集、「差別用語」問題をめぐってなど多数の文書資料が収録されている。

 差別表現をめぐる当時の議論状況を知るためには格好の文献と言えよう。同書を丁寧に検証する余裕はないが、本稿の関心に照らして、その特徴を三点まとめておこう。

 第一の特徴は、同書の主たる問題関心が、部落解放同盟による糾弾闘争への批判であるため、「糾弾闘争による被害」が強調されていることである。

 逆に言えば、「差別表現による被害」には関心が向けられない。表現の自由と差別用語の問題が、「糾弾闘争から表現の自由を守る」という文脈だけで語られているため、「差別表現が具体的に被害を生じている」ことや、「差別表現の助長・容認が表現の自由を掘り崩す」側面にはほとんど考慮されていない印象が強い。結果として、表現の自由の主張が同時に差別表現の自由の主張となり、「差別に反対する表現に対する批判」となっている。この時期の日本における問題はこのような構図のもとで現象していたと理解するしかないのだろう。

 第二の特徴は、やはり同書の主題が部落解放同盟批判であることから、朝鮮人や中国人に対する差別や差別発言などの問題が取り上げられていないことである。主題の限定ゆえにやむを得ないとも言えるが、日本における差別と差別発言の問題を考える姿勢がない。

 同年代に出版された、在日朝鮮人の人権を守る会『在日朝鮮人の基本的人権』(二月社、一九七七年)、在日朝鮮人の人権を守る会『国際人権規約と在日朝鮮人の基本的人権』(守る会、一九七九年)などが参照されることがない。それは同書の限界であると言うだけではなく、当時の人権擁護運動における、横のつながりの弱さが反映しているのかもしれない。

 第三の特徴は、一九六五年の人種差別撤廃条約(日本政府の批准は一九九五年)、一九六六年の国際自由権規約(市民的政治的権利に関する国際規約、日本政府の批准は一九七九年)に言及がないことである。

 人種差別撤廃条約は、人種、民族、宗教だけでなく、世系(門地)に動機を有する差別を禁止し、人種差別禁止法の制定と、ヘイト・クライム(人種差別の煽動)の処罰を求めている。ところが、二〇年も後に出版された同書が、見事にこれらを無視している。

 以上、三点指摘したが、これは後知恵の批判でもないし、ないものねだりでもない。当時の議論の水準がいかなるものであったかを確認することができる。

 

三 旧内野説の登場

 このような時期に出版されたのが、内野正幸『差別的表現』である。

 内野は、人種差別撤廃条約や国際自由権規約を取り上げ、そして「自由主義諸国の苦悩」と題して各国の立法例を紹介している。

 アメリカの人種的集団ひぼうの禁止、イギリスのヘイトクライム法、フランスの人種差別禁止法の集団侮辱と憎悪・暴力煽動、カナダの憎悪煽動罪などを紹介・検討し、立法例について、①人種的集団に対する憎悪煽動、②差別煽動、③名誉毀損、④侮辱の四つに類型化している。さらに、法律による規制範囲について、人種差別撤廃条約四条(a)は禁止の対象にあまり限定をつけていないこと、立法例にも同様の例があること、ドイツやフランスの立法には「本来自由であるべきだと思われるような表現行為に対してまで、適用される傾向」があることを指摘している。

 内野は、「部落差別的表現の規制」について賛成論と反対論を検討し、具体的な提案として、部落差別解放同盟・差別規制法要網(案)、松本健男案、森井案、山下多美男案を紹介・検討した上で、自らの案を掲げている。内野正幸案は次のとおりである。

 「(第一項)日本国に在住している、身分的出身、人種または民族によって識別される少数者集団をことさらに侮辱する意図をもって、その集団を侮辱したものは、・・・・・・の刑に処す。(第二項)前項の少数者集団に属する個人を、その集団への帰属のゆえに公然と侮辱した者についても、同じとする。(第三項)前二項にいう侮辱とは、少数者集団もしくはそれに属する個人に対する殺傷、追放または排除の主張を通じて行う侮辱を含むものとする。(第四項)本条の罪は、少数者集団に属する個人またはそれによって構成される団体による告訴をまってこれを論ず。」

 内野の提案は憲法学に大きな波紋を呼んだだけではなく、当時の社会的論争の中に差し出された形なった。寄せられた反論に応答する中で、内野自身が自らの提案を撤回するに至る。そのことは後に見るとして、旧内野説の意義を、前節との関連で次の三点にまとめることができる。

 第一に、差別表現の問題を「表現の自由」だけの問題として位置付けるのではなく、まずは差別と差別表現がもたらす被害に視線を送り、そのことの憲法学上の位置づけを問い直していることである。闇雲に表現の自由を唱えてきた議論から、差別構造の中における差別表現の被害に着目している。

 第二に、「身分的出身、人種または民族によって識別される少数者集団」とあるように、部落差別問題だけでなく、日本における差別の全体を射程に入れた立論がなされている。

 第三に、人種差別撤廃条約、国際自由権規約及び諸外国の立法を紹介し、議論を国際人権法のレベルに引き上げている。

 内野提案の後、そして日本政府が人種差別撤廃条約を批准した後に、さまざまな立法提案がなされている。「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」の外国人住民基本法(案)、日弁連の多民族・多文化の共生する社会の構築と外国人・民族的少数者の人権基本法の制定を求める宣言、日弁連の外国人・民族的少数者の人権基本法要網試案、東京弁護士会外国人の権利に関する委員会差別禁止法制検討プロジェクトチームの人種差別撤廃例要網試案、自由人権協会の人種差別撤廃法要網、「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」の「外国籍住民との共生に向けて」、「人権の法制度を提言する市民会議」の「日本における人権の法制度に関する提言」などの提案がなされている。

 これらについて、筆者はかつて次のように評した。

 「人種差別禁止法をつくる考えはNGOの間で共有されるようになってきたが、特定の人種差別行為について犯罪化するための立法提案に関しては、まだ十分な検討がなされていない。一般的な禁止規定にとどまっていたり、犯罪とされるべき実行行為の特定がなされていない。内野が紹介した諸案と最近の議論を比較しても、議論の水準があがったとはいえないのが実情である。」(前田朗「人種差別の刑事規制」『法と民主主義』四三五号、二〇〇九年)

 すなわち、内野提案の水準を超える刑事規制案はまだ見られないと言っても過言ではない。

 櫻庭総(現在・山口大学助教授)も、「以上の諸法案ないし諸提案についても、やはり『対象行為をいかに確定するか』(何が可罰的な差別表現か)という問題は依然として解決していない」と評しているが、具体的に引用に値すると認めたのは内野説だけである(櫻庭総『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服』福村出版、二〇一二年、二五〜二七頁)。おそらく、右の筆者の評と同様の理解に立っていると言ってよいだろう。

 ところが、内野提案は後に内野自身の手で撤回されることになる。

 

四 旧内野説への批判

 内野の提案は憲法学に大きな波紋を呼んだ。内野自身も、先に引用したとおり「それは出版当時に学界の内外で評価された」という認識を示している。

 ここでその全体をフォローする余裕はない。本稿の関心からは、憲法学上のいかなる論点が、どのように論じられたかを知ることが必要であるが、ここでは「学界の内外」の「外」の部分の論議を確認する。それゆえ、右に紹介した部落問題研究所編『表現の自由と「差別用語」』の「姉妹編」とされる、成澤栄壽編『表現の自由と部落』(部落問題研究所、一九九三年)の反応を見ておくことにする。本書はこのテーマをめぐる当時の議論の水準を示す格好の素材と言えるからである。以下では、成澤栄壽、奥平康弘、川口是の論文を紹介する。

 第一に、成澤栄壽(長野県短期大学教授、部落問題研究所理事)「序説─言論・表現の自由と『部落解放同盟』」である。

 成澤論文は、本書の基調をなす巻頭論文であり、前書の巻頭論文と同様に力作である。論旨は一貫して部落解放同盟による「差別用語」に対する糾弾への批判である。それはここでの検討課題ではないが、成澤論文をここで取り上げるのは、前書では射程外であった人種差別撤廃条約や国際人権法に関連する記述が登場するからである。成澤は、部落解放同盟が反差別国際運動(IMADR)を国連NGOとして登録しようとしていることを批判する。部落問題研究所は当時、反差別国際運動の国連NGO「登録阻止の運動を展開した」という。「登録」が「理想化された国連の権威の悪用」になるという認識だからである。

 その具体的な証拠として成澤があげるのが、人種差別撤廃条約の「人種差別」に部落差別が含まれるか否かの問題である。部落差別解放同盟が「人種差別撤廃条約の人種差別には部落差別も含まれる」と主張したのに対して、成澤は次のように述べる。

 「たしかに国際的には、性や障害あるいは人種や民族に基づく差別を法規制する動きがある。これらは外見上わかるか、実際上判別が困難であっても、一般に外見上わかると見なされており、区別することによって尊重・配慮されるべき性質をもっている。『解同』(部落解放同盟のこと─引用者)は封建的身分に歴史的起因をもつ部落問題の属性(本質)を見誤り、疑似民族問題としてとらえている。だから右の国際的な差別法規制の動きを利用するのである。不当にも人種差別撤廃条約の『人種差別』に部落差別を該当させることになれば、『解同』とその追随・同調者たちにより、思想・信条の自由、言論・表現の自由、集会の自由などの侵害に悪用される可能性がある。」(四〇頁)

 第二に、奥平康弘(出版時・国際基督教大学教授、原稿執筆当時・東京大学教授、後に東京大学名誉教授)の論文「言論・表現の自由」である。奥平は憲法学者であり、『表現の自由Ⅲ』(東京大学出版会)、『なぜ「表現の自由」か』(東京大学出版会)、『「表現の自由」を求めて』(岩波書店)などを著した表現の自由研究の第一人者である。

 奥平は冒頭で、「差別表現」を表現の自由との関連で考えるために「原理論のレベルで接近しようと思う」「表現の自由の原理を究明する」とし、憲法学における表現の自由研究の第一人者として、憲法論を展開すると予告する。そして、奥平は「言論が言論であるかぎりは、他人に対してただちに現実に害悪を与えない」と断定する。論拠は一切示されていない。そしてただちに論点を、言論が他人に害悪を与える「おそれ」があるか否かに移動させる。次いで、言論抑圧が生ずるのは、抑圧する側が「自分の立場こそは絶対的に正しい」という「無謬性の原則」によるという。

 そして、「表現の自由」とは「メッセージの送り手と受け手のあいだに生ずる『コミュニケーション』『対話』を、どこまでも自由に開かれたものにすることだ」と言う。そして、言論の「受け手」は不特定多数であるから、「いろんな考えの人たちが『受け手』になる可能性がある」ので、ある者が不当な差別表現と受け取ったとしても、その者はすべての受け手の「代表者」ではないのだから、差別表現に関する「対話」を打ち切らせてしまう権利はないとし、部落解放同盟による糾弾権を全面的に否定する。さらに奥平は、表現が差別的であるかどうかをだれが判定するのかという問題を提示し、「差別する者」と「差別される者」という機械的な分け方は不適切であることも指摘する。

 奥平論文は、初出が『部落』五二一号(一九九〇年四月)であるため、内野説に対する直接の批判ではないと思われるし、内野説が引用されることもない。しかし、後述するように内野説を直接批判した川口是論文とともに本書に収録されることによって、内野説への全面批判として機能することは言うまでもない。

 第三に、川口是(元京都大学教授、執筆時・大阪経済法科大学客員教授)の論文「部落差別的表現の規制立法を批判する」である。

 川口は著書として『憲法と暮らし』(現代紫明社)、『表現の自由と「差別問題」』(兵庫部落問題研究所)、『戦後日本の政治過程と憲法』『憲法の考え方─長いものより一寸長く』(以上文理閣)がある。

 川口は冒頭で、内野『差別的表現』は「部落解放同盟あるいはその立場に同調する法律専門家の見解と同一ではないが、にもかかわらず大きな流れとしては、『本書』が部落差別的表現を規制する法律の─しかも罰則をともなったものとしての─成立にひとつの役割を果たすことは、客観的には否定できない」として、内野説への批判を始める。憲法学的批判であると同時に政治的批判でもあることを明確にしている。

 川口はまず、立法事実について論じる。法令の制定には、その法令を必要とする社会的事実が必要であるが、部落差別的表現の増加傾向について、立法事実があるかと問う川口はこれを否定する。内野が示した事例は、いずれも部落解放基本法制定要求国民運動中央実行委員会編『全国のあいつぐ差別事件』(解放出版社)からの引用にすぎず、そこに取り上げられた事件についても多様な解釈が成立するとして、内野説には「あまりにも事実関係の基礎づけが薄弱であるように思えてならない」という。

 次に川口は「立法化でなにがえられるのか」と題して、内野提案ができたとしても、犯罪の成立要件に絞りをかけているため、「処罰の対象となるものは、きわめて限られてくることになり、そのようなものを新たに犯罪として取り締まることにより、どのような効果が期待できるのだろうかという疑問がぬぐえない」という。

 続いて、犯罪化すれば警察による操作活動が行われることになり、「聞き込み、呼び出し(任意出頭)などが行われることになったらそこにかもし出されるであろう雰囲気に対して、私としては陰うつという言葉を思いうかべないにはいかない」と述べる。

 以上のように、川口は立法事実がないこと、立法してもさほど効果が期待できないこと、犯罪捜査が行われると雰囲気が陰うつになることをもって、内野説に対する批判としている。

 以上、成澤、奥平、川口の論文を簡潔に見た。『表現の自由と部落問題』には、他にも重要な論文があり、前書とは違って、部落差別だけではなく、天皇批判発言や黒人差別等にも言及している。当時の議論状況を知るには重要文献であるが、ここでは成澤、奥平、川口論文に言及するにとどめる。本稿の関心からは次の諸点を確認しておきたい。

 第一に、三論文とも共通であるが、「糾弾闘争による被害」のみが語られ、「差別表現による被害」には関心が示されない。本書の主たる関心が部落解放同盟による糾弾闘争への批判なので、主題が限定されているからである。それどころか、奥平は「言論が言論であるかぎりは、他人に対してただちに現実に害悪を与えない」と驚愕の断定をしている。表現の自由研究の第一人者によるこの断定の意味はあまりにも「重い」。

 奥平の立場からは、いかなる差別表現も「現実に害悪を与えない」のだから、文字通りあらゆる差別表現の自由が貫徹しなければならないことになる。この見解が正しいとすれば、現行刑法の名誉毀損罪、侮辱罪の規定も、場合によっては脅迫罪の規定も、憲法違反として廃止されなければならない。部落解放同盟を批判する政治目的に走るあまり、これほど非常識な見解が憲法の「原理論のレベル」と称して堂々と語られていたことに注意しておきたい。

 第二に、前書では朝鮮人や中国人に対する差別表現が取り上げられていないが、同書では、黒人差別等が取り上げられるとともに、民族問題にも言及がなされている。差別を解消し、平等を実現することは、もちろん本書の立場である。そのうえで、部落解放同盟の運動方針への批判をしているのである。そのことはよくわかる。ただ、同書の民族問題への言及は、民族差別と部落差別は本質的に異なるという主張としてしかなされていないことに特徴がある。民族差別と部落差別は歴史的社会的に異なるという当然のことを同書は述べている。ところが、そこからいきなり、成澤論文から先に引用したように、だから部落差別は人種差別撤廃条約にいう「人種差別」には当たらないという奇妙な結論が唱えられる。

 人種差別撤廃条約第一条は、人種差別を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」と定義する。ここでは、「人種」以外に、「世系」や「民族的出身」が列挙されている。

 部落差別が「民族的出身」による差別でないことは当たり前のことであって、部落解放同盟はそのような主張をしていない。部落差別は「世系」による差別だから「人種差別」に当たると解釈するのは当時としてもごく自然な解釈であった。「世系」(descent)はそれ以前の訳例では「門地」であった。日本政府は、部落差別は人種差別に当たらないという解釈を唱えるために、門地を避けて、世系という訳語を採用したと考えられる。しかし、人種差別撤廃条約という国際文書の解釈は訳語の変更という小細工で決まるわけではない。人種差別撤廃委員会は、世系の事例として、インドのカースト制、ダリット差別を取り上げてきた。このことからも部落差別が人種差別に当たると解釈するのはごく自然なことである。

 人種差別撤廃委員会は、二〇〇一年及び二〇一〇年の二度にわたって、日本政府報告書の審査に際して、部落差別が人種差別撤廃条約第一条の世系に含まれることを明言している。これが世界の常識であると言ってよい。

 それきもかかわらず、成沢論文では「国際社会に、合理的根拠を示さないまま部落問題を人種問題のなかに加えようとする傾向」という表現で、部落差別は人種差別に含まれないという特殊な自説を唱える。憲法学者の奥平と川口は、法律家としての見識を披露すべき時に、あえて沈黙することによって成澤論文を支えてしまう。成澤、奥平、川口は、現在も右のような主張を続けているのだろうか。

 また、同書は朝鮮人差別や中国人差別とそれに関連する差別表現は取り上げようとしない。当時、筆者は、床井茂編『いま在日朝鮮人の人権は』(日本評論社、一九九〇年)、在日朝鮮人・人権セミナー『在日朝鮮人と日本社会』(明石書店、一九九九年)などに関わっていたので、日本人側の諸団体にも朝鮮人差別に抗して取り組む運動団体がいくつもできて、横のつながり、ネットワークができてきたことを思い出すが、同書を見るとそういう状況とは無縁のようである。

 第三に、同書は人種差別撤廃条約にはかろうじて言及するが、国際自由権規約や諸外国の立法例には言及しない。国際自由権規約は一九六六年の条約であり、日本政府については一九七九年に発効した。国際自由権規約第二〇条第二項は「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」と定めている。歴史家の成沢はともかくとして、法律家の奥平や河口がなすべきことは、国際自由権規約の国際的な解釈例を明らかにして、その意義を解明することであったはずだが、そうした作業はなされない。

 また、内野はアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、カナダの立法例を紹介した上で、アメリカの裁判例と学説を詳細に紹介している。しかし、成澤、奥平、川口は、諸外国の立法、・判例・学説にはほとんど関心を示さない。自由で民主主義的な諸国において差別表現にどのような対処をしているのか、そこにどのような苦悩が刻まれているのかは全くどうでもよいことなのだろうか。言うまでもなく、奥平は表現の自由研究の第一人者であり、その著書においてはアメリカの立法・判例・学説を実に綿密に調査研究している。しかし、同書論文では「原理論のレベル」という言葉で記述の限定を施しているためか、諸外国の立法例には関心を示さない。国際人権法や諸外国の立法例とは別に、奥平の思考の中にだけ存在する「原理論のレベル」の記述がいかなる意味を有するのかは、よくわからない。

 川口論文に至っては、ヘイト・クライムを犯罪とし、警察が捜査を行うと雰囲気が陰うつになると決め付けている。それでは、ほとんどの北欧諸国や西欧諸国にヘイト・クライム規制法があり、現に適用されていることを川口はどう見るのだろうか。川口にとっては、北欧諸国や西欧諸国はそれほど陰うつなのだろうか。

 

五 おわりに

 以上、今回は旧内野説の登場と、それに対する批判を瞥見した。内野の『差別的表現』の出版は一九九〇年であり、わずか二二年前のことであるにもかかわらず、ヘイト・クライム法研究という観点から見ると隔世の感がある。

 右に示したように、日本における差別表現の自由を全体として射程に入れた研究は不十分であった。国際人権法や諸外国の例を参照する研究も不十分であった。内野の問題提起がすぐれていたのは、そうした状況を打開する理論と立法提案を大胆に提起し得たからである。

 それでは内野の問題提起はその後いかなる経路をたどるであろうか。次回のテーマとしたい。

 

*雑誌掲載後、データが紛失したため、復元したものである。校正が十分できていないため、雑誌掲載時と一部異なる可能性がある。