Thursday, November 08, 2012

差別表現の自由はあるか(4)


差別表現の自由はあるか(四)

 

『統一評論』563号(2012年9月)

 

一 本稿の課題

 

 前回は、差別表現を処罰する立法を提案した内野正幸『差別的表現』(明石書店、一九九〇年)と、これに対する批判を瞥見して、一九九〇年代における議論状況を確認した。

一九八〇年代から九〇年代にかけて、差別表現の処罰立法は憲法の表現の自由に反する等の議論が盛んになされ、今日の憲法学における通説が形成されていったと見られる。しかし、当時の議論状況を見ると、判例においてこの問題が問われていたわけではないことや、憲法学において処罰立法を提案したのは旧内野説だけといって良い状況であったことから、議論は具体的な内実を持ったものとはなりえなかったように思われる。

そのため、第一に、議論は現実に向き合うことなく、観念だけを取り上げる水準になっていたように思われる。差別表現には被害がないかの如く断定する暴論が堂々と第一人者によって語られたことに特徴的である。第二に、議論はアメリカ憲法判例の理解と、日本への導入に収斂していった。それは、表現の自由の理解の発展を促す面があったが、かなり偏向した理解になっていったと思われる。第三に、一九六〇年代から国際人権法の発展がみられ、日本政府も遅ればせながら一九七九年に国際人権規約を批准するなど、国際人権法の摂取に向かいつつあったにもかかわらず、憲法学の議論は国際人権法を軽視する形で進んでいったように見える。

その後、内野自身が旧説を改めることによって、旧内野説が「過去」のものとなり、憲法学は、前々回に見たように、差別表現の処罰立法に否定的な態度を取るのが一般的となり、しかも、その際にあえて理由を示すことさえ必要とはされないほどに、共通の理解がしっかりと形成されることになった。

今回は、そうした理論状況の特徴を見るのに有益と思われる二つの文献を検討することにしたい。

一つは市川正人『表現の自由の法理』(日本評論社、二〇〇三年)であり、もう一つは内野正幸『表現・教育・宗教と人権』(弘文堂、二〇一〇年)である。

表現の自由に関してはこれ以外にも多くの重要な研究業績が存在するが、ここでは旧内野説から新内野説への転換を見て行くことが主たる関心事であり、そのためには上記二冊を見ることで足りると考えられる。表現の自由に関する研究の第一人者である奥平康弘にも『表現の自由を求めて』(岩波書店、一九九九年)などの重要著作があるが、ヘイト・クライム処罰は主題とされていない。

 

二 市川説による到達点

 

 前々回に紹介した佐藤幸治(京都大学名誉教授)の『日本国憲法論』(成文堂、二〇一一年)に、人種差別撤廃条約に関して、次のように記述されていた。

「加入に際して、わが国は、憲法の保障する権利と抵触しない限度で義務を履行するとの『留保』を付したことは前に触れたが、この条約も踏まえて平成一四年に国会に提出された人権擁護法案の内容などを読むと、表現の自由(および集会・結社の自由)との関係で看過しえない重大な問題が含まれていることが知られる(市川正人)」(二七〇頁)。

これは、市川正人(現在・立命館大学教授)の『表現の自由の法理』のことである。該当頁を明示せずに一般的に市川の名前を示しているのは、それだけ本書が学界において広く共通の理論財産となっていると理解されているためであろう。

本書は、表現の自由に関する裁判法理について検討しているが、それは表現の自由の優越的地位や、二重の基準論が日本では必ずしも機能していないという認識から、優越的地位や二重の基準を定着させるためにはどうすればいいかという関心で書かれている。つまり、日本の判例においては表現の自由がなお十分に保障されていないので、よりいっそう表現の自由を促進するために理論的研究を行っているものである。

差別表現に関しては、第一編「表現の自由総論」の第二章「差別的表現の規制」において検討が加えられる。

市川はまず、「アメリカにおける差別的表現の規制」について、①アメリカ合州国最高裁のR.A.V.判決を検討し、②次に批判的人種理論の挑戦によって始まった差別的表現禁止をめぐる論争を検討する。そのうえで、市川は、③日本における差別表現規制をめぐる論争、すなわち旧内野説とそれへの批判を整理して、差別表現規制法の可否を論じ、人権擁護法案について検討を加えている。

  R.A.V.判決とその評価

一九九二年の最高裁判決は、ミネソタ州におけるヘイト・スピーチ事件につき被告人を有罪とした「偏見を動機とする犯罪条例」が合州国憲法修正第一条に違反し、文面上無効であると判断した。本判決についてはそれ以前から紹介されていた。判例法理としては、表現内容の規制・内容中立二分論として展開されてきた。本書第二編においてアメリカにおける表現内容の規制・内容中立二分論が詳細に検討されている。本判決自体について、本書は次のように評価している。

「差別的表現禁止法を人種などに関するけんか言葉の禁止として正当化する手法は、これまでの判例の流れからして最も自然な手法であるが、本判決はこの手法を否定したのである。また、本判決は、差別的表現の禁止を、少数者の人権擁護のためのやむにやまれざる政府目的を達成するために必要不可欠な規制と構成する手法をも否定した。/本判決が差別的表現禁止法に対してこのような厳しい姿勢をとったのは、差別的表現禁止法に対し、特定の争点につき非寛容の思想ないし偏見をもつ側にのみ負担を課す(見解差別的効果を有する)ものであるとの否定的な評価を加えているからであろう。この点、結果同意意見が、『差別についてのわが国の長く苦痛に満ちた経験』ないし『現代アメリカ社会における「人種、肌の色、信条、宗教[及び]性」の役割』を考慮して、けんか言葉たる差別的表現の禁止に関して理解を示しているのと対照的である。本判決は、差別的表現禁止法を正当化しようとする手法すべてについて判断を加えたものではないが、差別的表現禁止法を正当化することがかなり困難になったことは確かである。」(本書四四頁)

市川の評価の前提、そしてアメリカ最高裁判例の前提には「思想の自由市場」の論理があることがよくわかる。あくまでも「思想」であり、「表現」であるという位置づけである。この思考と、表現の自由の優越的地位とがセットになることによって、ほとんど無制約の表現の自由論が構築されることになる。

  批判的人種理論の挑戦

市川は、次に批判的人種理論の挑戦について検討している。批判的人種理論とは、一九八〇年代末頃からアメリカに登場した理論であり、この文脈では、差別表現禁止を唱える見解として位置づけられる。

例えば、批判的人種理論は、「人種差別的表現は、その表現が侮辱している人種に属する人々の尊厳に対する攻撃であるが、そのような攻撃は、すべての人が等しく尊重と配慮を受けるべきと言う社会の基本的原理と矛盾する」として、差別表現の禁止を主張する。

これに対して、一九九〇年代に激しい論争が行われた。人種差別的表現規制法が誤って適用される恐れがあることや、逆にマイノリティによる言論に適用される恐れが指摘された。さらに、「そもそも、人種差別主義者は、その人種差別思想を表明する権利があるのではないか」という主張もなされたという。ここには「差別表現の自由」の主張が端的に表明されている。

これらの論争の紹介を踏まえて、市川は次のように述べている。

「まさに表現の自由の保障について特別な国であるアメリカがヨーロッパなみの『普通の国』になるかどうかが問題となっているのである。グローバル化とはアメリカ資本主義の貫徹であるとよく言われるが、このことはグローバル化がそれだけではないことを示していよう。国際的な人権保障のありようや冷戦の崩壊がアメリカの『表現の自由』理論を揺さぶっているのも、グローバル化の一側面なのである。これは、アメリカ的な『自由』のありようが問われているということでもある。そして、アメリカの『表現の自由』理論(特に判例のそれ)が直ちに根本的に転換する可能性は低いが、『思想の自由市場』論の形式性を克服しつつも、国家による思想統制を許さないような『表現の自由』理論へと展開していく兆しは感じられるのである。」(本書五二~五三頁)

  旧内野説をめぐって

次に市川は、旧内野説とそれへの批判を瞥見する。集団的名誉毀損ないし集団的侮辱の罪の新設を唱える江橋崇(法政大学教授)、処罰違憲説に立つ横田耕一(九州大学名誉教授)、松井茂記(大阪大学教授)の見解などを紹介し、差別表現規制法の可否について論じている。すなわち、一方では個人の尊厳(憲法一三条前段など)、他方で表現の自由(憲法二一条)があることに触れたうえで、「こうした考え方の下では、差別的表現のような問題のある言論についても言論でもって対抗するのが筋であり(対抗言論の原則)、言論で対抗するなどといった悠長なことをいっていられない緊急の場合にのみ思想・意見の流布を抑止することが許される。さらに、表現の自由が規制に弱いデリケートな性格をもっていることも考慮に入れられねばならない。すなわち、大抵の人は処罰される危険を冒してまで表現活動をしないので、規制が存在する結果、過度の自主規制がなされてしまう可能性が高いのである(規制の萎縮的効果)。それゆえ、表現の自由の規制は過度に広汎なものであってはならず、また、何が禁止される表現行為であるかを明確に示していなければならない(明確性の原則)」という(本書五八頁)。

 つまり、対抗言論の原則、規制の萎縮効果論、明確性の原則などから、差別表現の刑事規制はほぼ全面的に否定される。もっとも、「例外的にどうしても必要な場合にだけ必要なかぎりで制約される」(六一頁)としているが、具体的にはその可能性もないという趣旨であると読んだ方が良いだろう。

 市川の結論は次のようにまとめられている。

 「以上の私の立場からすれば、人種差別撤廃条約四条abをそのまま禁止・処罰するような法律は日本国憲法の下では認められない。他方、ブランデンバーグ判決の基準をみたすような人種集団に対する暴力行為の煽動や、侮辱を自己目的とするような特にひどい侮辱的表現を処罰するきわめて限定的な人種差別的表現処罰法ならば、規定の文言が明確であるかぎり、日本国憲法の下でも許容される可能性がある。しかし、憲法上の許容性と立法することの政策的適否とはまた別の問題である。後者についても、表現の自由が真に根づいたとは言い難いわが国において、差別的表現処罰法が有する効果をも考慮に入れて、慎重に検討すべきである。」(六三頁)

 以上の市川説は、表現の自由に関する本格的研究の中で、それまでの議論状況を踏まえて用意周到に検討された見解であり、大きな影響力を有した。その後の憲法学説が、市川説と基本的に同様の帰結に至っているのも頷けよう。

 「差別表現の自由はあるか」との問いに対する日本憲法学の到達点は、「差別表現は自由であり、刑事規制してはならない」というものとなった。多くの憲法学者が、このように明示的に表現してはいないものの、差別表現の刑事規制は憲法上許されるかという形の設問に対して、それは許されない(あるいは、ごくごく限定的にしか許されない)と回答している。さすがに「差別表現は自由である」と明言することには心理的抵抗があるために、表現方法を変えているのであろう。なお、赤坂正浩(神戸大学教授)の『憲法講義(人権)』(信山社、二〇一一年)は「差別的表現の自由」を明言している。

 

 

三 新内野説の結末

 

 九〇年代における論争を経て、内野は説を改めることになった。その時期の論考を収めた内野正幸『表現・教育・宗教と人権』(弘文堂、二〇一〇年)をもとに確認しておこう。

 もっとも、前回も紹介したように、内野自身は「改説」とは考えていない節もある。「憲法その他の分野で多数の文献が出され、私自身のフォローしきれないところとなった」と述べており、当時の論考を収録している。

 本書第一章「表現の自由と差別的表現」は六節から成り、六本の論考を収めている。初出年を見ると、第一節「表現の自由の守備範囲」は一九九五年、第二節「PCと差別的表現」は一九九六年、第三節「集団を傷つける言論」は一九九四年、第四節「差別的表現のおかれた位置」は一九九七年であるが、第五節「差別的表現と民事救済」は二〇〇七年、第六節「インターネットと表現の自由・名誉毀損」は二〇〇八年である。第一節から第四節までは内野の問題提起をめぐる論争とそれに続く時期と言えるが、その後、第五節までに十年の空白期がある。その間に関連論文を執筆していないわけではないかもしれないが、本書に収録するほどのものは執筆しなかったということであろう。「フォローしきれないところとなった」という表現ではあるが、普通であれば、沈黙を余儀なくされ、十年の歳月を経て、やや違った視角から論じることができるようになった、と理解する方が正当であろう。

 本稿の文脈で直接取り上げるべきは第三節であるが、第一節から見て行こう。

 第一節では、表現の自由の「優越的地位」との関連で、表現の自由は「前国家的な人権」であり、「自然的自由」であるとする。次に、中核的「表現」と周辺的「表現」という対句で、中核的「表現」は優越的地位にあるが、周辺的「表現」はそうとはいえないとして、表現を区分している。この区分を通じて内野なりの表現の定義を試みて、「表現」と非「表現」の振り分けを行う。客への見せ物、名前を名乗ることにかかわる行為、私的なコミュニケーション、活動支援的行為などについて論じている。

 第二節では、アメリカにおけるPCの紹介から始めている。内野の思考の特徴は、例えば次の一文に見ることができる。

 「反差別主義の流れがいわば圧制的になると、その流れに逆らいにくいような雰囲気が作り出されてしまい、そこでは、それに背こうとする者は、いわば悪者扱いされかねない。ここからは、ややもすると、のけ者扱いに反対する立場にあったはずの反差別主義者たちが、自分たちに反対する人をのけ者扱いにする、というパラドックスが生じてしまうおそれがあろう。いいかえれば、多文化主義という多様性尊重論が、自己への反対論を含めた諸思想の多様性を価値的に認めたがらないことがある、という話にもなってくる。あるいは、特定の価値観を押し付けないことを内容とするはずの多元主義が、多元主義という価値観を押し付けようとする、という逆説である。」(本書二〇~二一頁)

 次に内野は差別的表現について「再考」し、第一に、「表現行為を権力行為としてとらえる視点が必要になる」という。第二に、差別的表現という枠組みの適用範囲を明確にし、「差別的政策が、差別主義のメッセージを発信するものとして差別的表現に属する」と見るのは問題であろうという。第三に、差別的表現がマイノリティ集団のメンバーに向けられる場合への配慮であるが、同時に「内容的に不正な表現」にも留意している。

 第三節では、思想の自由市場の意味を再度検討した上で、「集団を傷つける言論とは何か」として、差別的表現や、「アウシュヴィッツの嘘」に関連する事案や、特定の宗教を信じている人々の心を傷つける言論などを例示する。これらについて、次のように述べているところに、新内野説の特徴が如実に表れている。

 「このような集団を傷つける言論は、特定の個人を傷つける場合と比べて、傷つけられた側の傷が、より深くないものとなる。したがって、そのような言論は、表現の自由の重要性にかんがみ、原則として、その自由が憲法上保障される、と考えるべきであろう。例外として、集団が社会的少数者の集団か宗教者の集団であって、言論が、その集団をことさらに侮辱する意図をもって行われた場合は、その言論は憲法上自由であるとはいえなくなる、と理解すべきであろう。もっとも、このような例外は、おもに机上の議論であって、実際上は、まれにしか起こらないと思われる。そうすると、大まかにいえば、差別的表現や神冒瀆的表現を含め集団を傷つける言論についても、それを国家権力が規制することを憲法は禁止している、ということになる。」(二九~三〇頁)

 また、内野は、差別的表現や不快な表現に対しては「それに抗議する言論などによって臨むにとどめるべきなのである」(三〇頁)と、対抗言論を主張する。

 第三節の初出は先にみたように一九九四年であるが、註を含めて加筆訂正を施して本書に収録されているので、二〇一〇年段階での内野の見解であると理解してよいであろう。註においては、表現の自由に関する文献として市川の著作を冒頭に掲げて、その後の文献を補充する形となっている。市川からの批判に積極的に反論する記述は見られない。

 第四節では、日本政府が人種差別撤廃条約第四条を留保した上で批准したことを「賢明な態度であった」と評価した上で、差別的表現には「個人攻撃性のあるものと、ないものとに類型化できる」という分類を行う。これは「攻撃が向けられる客体」の分類であるように見えるが、「他者加害的」という表現も用いられているので、加害と被害の関係も念頭に入れており、「個人攻撃的でない場合には被害がない」という趣旨と読み取れる。そのように述べているわけではないが、第三節の表現と合せてみると、そういう意味であろう。

 

四 おわりに

 

 以上、本稿の関心に即して、新内野説を見てきた。

 内野の問題提起をめぐる流れをまとめると次のようになる。一九八〇年代まで、部落差別発言や人種差別発言に対する法的対処はほとんど検討されてこなかった。部落差別発言に対する法的対処がなされないために、被害者がいわば自力救済的に立ちあがり、そのことが社会的問題として理解されるような状況であった。一九九〇年、内野正幸『差別的表現』が出版されると、憲法学の内部でも、より広い論壇でも、差別表現にいかに対処するべきかの議論が行われることになった。憲法学の一部には、江橋崇のように、内野の提起を受けて差別表現の刑事規制に賛同する見解もあったものの、多くはこれに否定的な反応を示した。憲法学以外においても、激しい反対を呼ぶことになった。

並行して、アメリカ憲法判例の研究がいっそう進んだ。ちょうど一九九〇年頃からアメリカにおけるヘイト・クライム規制法が増加していき、そこにはヘイト・スピーチ規制も含まれるようになり始め、これを否定する最高裁判決が登場した。その動向もいち早く日本に紹介された。日本国憲法の表現の自由規定はアメリカ憲法型であることもあって、アメリカ型の議論が支配的となり、内野の問題提起は、立法提案としては葬り去られることになった。内野の主張も当初からはかなりトーンダウンした。一九九四年には実質的に撤回する論文を書き、それを二〇一〇年の『表現・教育・宗教と人権』に収録している。本稿では、内野の改説と表現した。もっとも、先にも述べたように、内野自身は改説とは考えていないかもしれない。現に内野はその後も『差別的表現』を註記している。とはいえ、立法提案については実質的に撤回したと言ってよいであろう。内野への批判的応答は多いが、市川の『表現の自由の法理』が、もっともまとまった表現の自由研究であり、ここで一段落したと言えよう。

 しかし、問題に決着がついたわけではない。アメリカやイギリスでは、一九九〇年代からヘイト・クライム研究と法規制が始まったが、二一世紀になってその動きは加速している。内野や市川はそうした動きを踏まえていない。西欧諸国はもとより、北欧諸国や東中欧諸国でも人種差別撤廃条約四条関連の立法例が急速に増えている。欧米以外でも、同様の動きは少なからず見られる。例えば、前田朗「人種差別撤廃委員会第八〇会期」『統一評論』五五八・五五九号(二〇一二年)及びそこに註記した諸文献参照。アメリカが世界のすべてであるとでも言うような日本憲法学の「常識」が続く限りは、この状況に変化はないかもしれない。しかし、それも短期的な話であろう。

 以上が内野説をめぐるおおよその位置づけである。なお、本稿では、その後の研究状況をフォローしていない。市川の著作は二〇〇三年、内野の著作は二〇一〇年にそれぞれ出版されているが、一九九〇年代以後のヘイト・クライム法の立法状況や理論状況を度外視している。憲法学や刑法学においては、九〇年代後半以後、欧米諸国のヘイト・クライム法規制、さらにはヘイト・スピーチ法規制についての研究が登場している。それらについては別稿で検討したい。以下では、個別の論点について若干の指摘を追加しておこう。

 第一に、憲法一三条と二一条の関係をどのように理解するべきなのか。というのも、先にみたとおり、市川は、一方では個人の尊厳(憲法一三条前段など)、他方で表現の自由(憲法二一条)があることに触れたうえで、「こうした考え方の下では、差別的表現のような問題のある言論についても言論でもって対抗するのが筋であ」るとする。憲法一三条と二一条を対比した上で、二一条が優先するという理解を示しているが、その理由が示されていない。おそらく表現の自由の優越的地位を根拠とするのであろうが、普通に考えて、表現の自由の優越的地位を根拠にして憲法一三条の要請を退けることができるとは思われない。憲法一三条には、個人の尊厳の中核を成すものとして、例えば生命権が明示されている。生命権を内容とする個人の尊厳に対して、表現の自由の優越的地位と言うだけではおよそ説明にならないであろう。憲法学ではこのような問題をいかに理解しているのであろうか。

 第二に、右に引用したところに登場する対抗言論である。前々回紹介した憲法教科書では、渋谷秀樹(立教大学教授)の『憲法』(有斐閣、二〇一〇年)が「政府の規制を肯定すると、差別的言論の認定権を政府にゆだねることとなり、その恣意的な適用が懸念される。また、特定人が対象ではないので、不利益は拡散される。ここでは表現の自由のもつ思想の市場機能を信頼して、差別的表現については、対抗表現によって対処すべきである」(三四八頁)と、対抗言論を唱えていた。前回紹介した奥平康弘も対抗言論論者である。

 しかし、差別表現の被害者や、人権NGOは、「人種差別表現や部落差別表現に対して、果たして対抗言論は可能なのか」と議論を重ねてきた。ヘイト・スピーチが典型であるが、相手の存在そのものを否定し、「死ね」「日本から出て行け」「おまえは人間ではない」と叫ぶ差別発言に対して、対抗言論が可能であるとは考えられない。筆者は在日朝鮮人・人権セミナーという小さな市民団体で活動してきた。そのため「朝鮮人は死ね。日本から出て行け。東京湾に沈めてやる」と言った罵声を何度も浴びせられたことがあるが、およそ対抗言論などありえないと言うしかない。暴力(暴行・脅迫)を使わないが、しつように「死ね」「叩き殺せ」と連呼する相手に対して、市川や渋谷は、いかにして対抗言論が可能だと言うのであろうか。現実に即した実践を示してもらいたい。

 第三に、内野の言う多文化主義のパラドックスが理解しがたい。内野は「反差別主義の流れがいわば圧制的になると、その流れに逆らいにくいような雰囲気が作り出されてしまい、そこでは、それに背こうとする者は、いわば悪者扱いされかねない。ここからは、ややもすると、のけ者扱いに反対する立場にあったはずの反差別主義者たちが、自分たちに反対する人をのけ者扱いにする、というパラドックスが生じてしまうおそれがあろう」という主張をしている。

 「反差別主義の流れがいわば圧制的になると」とは、いったいいかなる事態を指しているのだろうか。「人種差別の流れが圧制的になる」事態ならば、ナチス・ドイツのユダヤ人差別、南アフリカのアパルトヘイト、旧ユーゴスラヴィアの民族浄化、ルワンダのジェノサイドを想起すればすぐにわかる。関東大震災朝鮮人虐殺も同様の事態である。ところが、「反差別主義の流れが圧制的になる」という言葉の意味はよくわからない。まして、九九%の構成員が日本人である日本においてそのようなことがありうるのだろうか。

 第四に、集団に対する差別と個人の被害である。内野は、「このような集団を傷つける言論は、特定の個人を傷つける場合と比べて、傷つけられた側の傷が、より深くないものとなる。したがって、そのような言論は、表現の自由の重要性にかんがみ、原則として、その自由が憲法上保障される、と考えるべきであろう」と述べている。この言葉はいったい何を意味しているのであろうか。意味不明と言うしかない。

 個人に対する差別表現と、集団に対する差別表現のいずれがより大きな被害を生むかは単純に解答することはできない。いずれの場合もありうることである。日本における朝鮮人差別が典型だが、「特定の個人を傷つける場合」よりも「集団を傷つける言論」の方がはるかに深く人を傷つけることは容易に想像できる。筆者は、朝鮮大学校における授業で学生に質問してみたが、多くの学生が、自分を名指しで侮辱された場合よりも、朝鮮人であるがゆえに侮辱されたと感じた方が、より怒りが大きいと答えた。内野のような単純な理解はあまりにも浅薄と言うしかない。

 内野の理解の背後には、奥平康弘が言う「差別表現は表現にとどまる限りは被害がない」という奇怪な思考が横たわっているのかもしれない。しかし、差別表現が表現であるが故に多大の被害を生むことは、いまさら主張するのもためらわれる事実である。前田朗「ヘイト・クライムはなぜ悪質か」『アジェンダ』三〇号~三四号(二〇一〇~一一年)参照。表現とは何かを少しでも考えたことのある者には多言を要しないであろう。

 第五に、内野の言う「机上の議論」である。内野は「例外として、集団が社会的少数者の集団か宗教者の集団であって、言論が、その集団をことさらに侮辱する意図をもって行われた場合は、その言論は憲法上自由であるとはいえなくなる、と理解すべきであろう。もっとも、このような例外は、おもに机上の議論であって、実際上は、まれにしか起こらないと思われる。そうすると、大まかにいえば、差別的表現や神冒瀆的表現を含め集団を傷つける言論についても、それを国家権力が規制することを憲法は禁止している、ということになる」と述べる。「その集団をことさらに侮辱する意図をもって行われた場合」は「机上の議論」であり「まれにしか起こらない」と言う。

 ここ数年、在日特権を許さない市民の会(在特会)と称する異様な排外主義の差別団体が、朝鮮人や中国人に対して激しい差別・中傷・罵詈・雑言を浴びせてきた。在特会だけではなく、いくつもの排外主義団体が、路上で、ネット上で猛烈な差別発言を繰り返している。前田朗「差別集団・在特会に有罪判決」『統一評論』五五〇号(二〇一一年)参照。これらは、内野にとっては「机上の空論」であり「まれにしか起こらない」のであろうか。果たして内野は現実世界を見ているのだろうか。どちらが「机上の議論」なのだろうか。