鶴見俊輔が亡くなった。93歳だったと言う。思想の科学、転向論、戦後思想論、大衆文化論、べ平連、9条の会に続く歩みは輝かしい。
今朝の朝日新聞は一面で鶴見逝去を伝えるとともに、第2社会面で「戦争体験、反戦の力に」を掲載。海老坂武の言葉も載せている。さらに文化欄には上野千鶴子の追悼文「どこにも拠らず考えぬいた」。思想の科学が光輝いて見えた世代の上野は、京都に出るや同志社大学の鶴見研究室を訪ねたが、不在で会えなかった。「アポをとってから行くという智恵さえない、18歳だった」という。可憐な乙女だったのよと言いたいのだろうか。事実かもしれないが、信じがたい(苦笑)。鶴見に育てられた人材として、佐藤忠男、高橋幸子、中村きい子、黒川創、加藤典洋、そして上野が列挙されている。なるほど。
私が鶴見を初めて知ったのは久野収との共著『現代日本の思想』(岩波新書)だった。私が生まれた翌年に出版されたベストセラーだ。読んだのは高校3年生だから出版後17年目だろうか。小さいが射程の広い本だ。アメリカ哲学研究者だった鶴見が、日本へ、そして同時に世界へ目を向けながら、久野と渡り合っているが、なんと34歳だ。
私は鶴見の著作を多く読んだわけではない。むしろ、主要著作をあまり読んでいない。「軽妙洒脱な知識人」である鶴見が、私には「軽薄な知識人」に見えていたからだ。不当な評価だが。夢野久作を読むきっかけを与えてくれたことは、鶴見に感謝しておかなくてはならない。合掌。