大江健三郎『僕が本当に若かった頃』(講談社、1992年)
短編小説から長編小説へと移行した大江が、『同時代ゲーム』から『M/T』に至る時期に短編小説集を出したことはよく知られ、この時期は長編と短編を適宜テーマや作法によって使い分けていた。本書はその時期の短編集だ。
初読当時はその程度のことしか考えずに読んでいたが、今回読み直して、先ず気づいたのは『「雨の木」を聴く女たち』や『河馬に噛まれる』は短編集と言っても、連作短編集であって、テーマが一貫していたのに対して、本書は連作ではないことだ。その後の『治療塔』や『燃え上がる緑の木』につながるテーマを短編で書いていたのだろう。手法としては、例によって、伊東静雄の詩、ダンテの『神曲』、学生時代に大江が書いたという設定になっている「僕が本当に若かった頃」など、先行するテキストをもとに、それを現在の大江に引き付けて書いている。「文章を書き、書き直しつつ、かつて見たものをなぞる過程でしだいに独特なものを作ってゆく」手法である。当初は、若い学生時代に小説家になってしまったため、初期作品群の後、体験に基づいた小説が書けない、つまりさほどの人生経験を積んでいないことから、大江自身の文学世界を作り出すために、一方で四国の森の世界を舞台としつつ、他方で先行するテキストを設定して読み込むという手法が選択され、鍛えられてきた。
本書に収められた短編は大江が50歳代半ばに書かれたものだ。大江の方法論が確立した後に、『同時代ゲーム』以後、その改編を試みていた時期と言ってよいだろう。その意味でも面白い。