山崎亮『縮充する日本――「参加」が創りだす人口減少社会の希望』(PHP新書)
日本の人口は減り始めた。2050年には3分の2の8000万人、2100年には3000~4000万人と予測されている。普通に考えて、放っておけばこの社会は崩壊するしかない。日本だけが勝手に崩壊するのなら、まだしも、この国の自爆テロ国家の歴史から言って、周辺諸国にあらん限りの迷惑行為を重ねて自爆する恐れがあるので、放置しておくわけにはいかない。この期に及んで、なお経済成長をめざすおバカな政権と国民の自爆路線ではやっていけない。
著者は、人口減少に手をこまねいているのではなく、コミュニティデザインの知見から、さまざまな工夫を凝らして、社会の安定した縮充をはかり、ソフトランディングさせるための英知を結集することを呼びかける。人口や税収が減少しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになるようなしくみをつくり出すことである。それを「縮充」と呼ぶ。
本書が取り上げるのは「まちづくり」「政治・行政」「環境」「情報」「商業」「芸術」「医療・福祉」「教育」の8分野。それぞれの分野ですでに行われている「参加」の試みを紹介し、なぜ参加が重要なのか、どのような成果を生み出せるのか、を考える。
「まちづくり」では、1960年代の名古屋市栄東の再開発問題への市民の取り組みに始まり、山形県飯豊町椿地区、世田谷のまちづくりセンター、徳島県神山町、阪神淡路大震災時のボランティアなどを紹介しながら、上からのまちづくりではなく、住民の参加、協働によるまちづくりの意義がますます大きくなるという。
8分野それぞれで起きている参加の意味、形態、成果はまったく違うが、共通しているのは、今や、そして今後、上からの行政ではなく、下からの参加、楽しい参加、やりがいのある参加こそが中軸になって、社会の在り方も活性化し、地域の暮らしや意識を大きく変えていかないと、将来展望は開けないことだ。
本書に疑問を指摘することは容易である。取り上げられている事例は成功例にすぎず、多くの失敗例があるのではないか。成功例にしても、ごく小規模の短期限定の成功ではないか。こうした批判は、著者は織り込み済みである。たしかに小さな限定的な意味を持った事例を挙げているが、そうした事例の一つが素晴らしいとか、それがどこにでも当てはまるというのではない。著者は、コミュニティデザインの思考を掲げ、あらゆる分野で多彩な取り組みを行い、参加の文化をつくり出すことに重点を置いている。
気になるのは、2050年の8000万人という場合、その年齢別人口構成はどうなっているのだろうか。団塊の世代が去った後に、どのような社会が出来上がっているのか。人口、税収、エネルギー、食糧等の基本情報の分析は必要ないのだろうか。