Saturday, December 12, 2020

性暴力被害者の語りを「聴く」ために(3)

金富子・小野沢あかね編『性暴力被害を聴く――「慰安婦」から現代の性搾取へ』(岩波書店)

III部 「聴くこと」を阻むもの/「聴くこと」が切り拓く未来

 第7章 日本社会で「慰安婦」被害を「聴くこと」の不可能性と可能性――ポスト・サバイバー時代に被害証言を未来へ受け渡すために ……………金富子

 第8章 阻まれた声を通して性暴力を再考する――黒川遺族会の実践から ……………山本めゆ

 第9章 "沈黙の証言" を聴く――沖縄の「集団自決」と軍隊の性暴力 ……………宮城晴美

 第10章  「慰安婦」問題と現代の性搾取――「なかったこと」にさせない ……………仁藤夢乃

あとがき ……………金富子

金論文は、証言を聞く姿勢と方法論を問い直した韓国の証言集が日本に紹介されたにもかかわらず、既成の硬直した読み取りの結果、「モデル被害者」論という「モデル疑似フェミニズム」が議論の水準を引き下げてしまったことを検証する。「モデル被害者」論は、強制連行概念を歪め、韓国女性運動にナショナリズムの嫌疑をかけることで、歴史修正主義に奉仕し、日本ナショナリズムを免罪する役割を果たした。『帝国の慰安婦』を礼賛することで「モデル被害者」論は「日本型レイシズム・フェミニズム」の完成形態となった。金論文は、90年代に私が「記憶の政治学」を批判した際の論点をすべてカバーし、はるかに実証を深め、あるべき議論への視座を提示する。

山本論文は、黒川村の満蒙開拓団における女性の性利用=性暴力被害の語りがかなり以前から提示されていたにもかかわらず、社会が耳を貸さなかった原因を探る。性暴力被害の語りを抑圧する社会意識は「慰安婦」問題でも、現在の諸課題でも共通する。黒川村での「乙女の碑」の生まれ変わりに重要な一歩前進を見る。

宮城論文は沖縄の「集団自決」の証言と記録化の歴史を振り返り、自らの人生と研究を点検する中で、インタヴューの在り方を問い直す。「集団自決」の実相を語ることの困難と、性暴力被害を語ることの困難――その両者を手探りしながら、宮城は語ることと沈黙することの間の「無限の距離」が実は表裏一体であることに気づかせる。歴史修正主義者の「聞き取り」が証言を抑圧し、記憶を解体し、歴史を歪曲する加害に他ならないことが示される。

仁藤論文は、金福童証言に学んだ歴史と生き様を糧に、現代の性搾取としての少女「買春」に対処する。少女たちの声を伝えた「『買われた』展」や「慰安婦」展を取り上げて、被害証言を聴こうとしない社会を批判する。「なかったこと」にさせないために。

国連人権理事会の特別報告者がJKビジネスを取り上げたのは仁藤らの協力の結果だったようだ。特別報告者が報告書をプレゼンテーションした時、私は国連人権理事会に参加していた。「日本のJKビジネス」が報告された時の恥ずかしさはよく覚えている。周囲のNGOメンバーに「私は日本人じゃない」と弁明しようかと思ったくらいだ。日本政府は国連人権理事会の場で、「報告書には誤りがあり、日本の実態を正確に把握していない」などと反論した。だが、どこが間違っているのか具体的な指摘はできなかった。

『性暴力被害を聴く――「慰安婦」から現代の性搾取へ』は表題通り、「慰安婦」から現代の性搾取に至る性暴力の多様性と共通性を踏まえて、証言の聞き取りと読み取りの方法論を鍛えあげている。

私がこの間の歴史・証言・記憶をめぐる議論に疑問を提示してきたのは、今になって考えると、できあいの心理学理論を「応用」した議論の仕方に数々の疑問を感じたのが最初だった。それは研究者が作り出した理論に証言を当てはめる手法に見えたからだ。歴史学にせよ、社会学にせよ、心理学にせよ、理論枠組みが先行し、被害者証言を「整形」していることが多かった。

もともと証言を重要視したのは裁判という場であり、民事裁判であれ刑事裁判であれ、証言の法律学は極めて重要なのだが、日本の裁判は書面中心主義が実態であり、法廷における直接主義が軽視されたから、実は証言の法理論・裁判理論も中途半端なものにおわっていた。

そこにつけ込んで証言を軽んじ、無意味化し、偽造する勢力と、証言を規制の理論に当てはめて切り刻む研究者が、証言の時代に終わりを宣告しようとしてきた。金富子とその仲間たちは、状況を打開する理論と実践を敢然と打ち出した。ここからふたたび証言の時代が始まる。