90年代、国連人権委員会に、朝鮮学校に対する暴力事件を報告した時に、関東大震災朝鮮人虐殺にも言及した。この時、英訳が難しかったので、KoreanGenocide in Japanと訳した。それ以来、コリアン・ジェノサイドという言葉を使うことにしたが、『ジェノサイド論』(青木書店、2002年)以後、あまり言及してこなかった。
去年から、コリアン・ジェノサイドについて論究するようになり、最近、文化ジェノサイドについて原稿を書いたところだ。文化ジェノサイドについてもかつて言及したはずだと記憶していたが、文献を確認するのが遅れた。今日、ようやく確認できた。
*
前田朗「ジェノサイドとは何か」『統一評論』412巻(1999年)
前田朗「文化的ジェノサイドとは何か」『統一評論』413巻(2000年)
*
『ジェノサイド論』をまとめた時に、この2本も活用したが、そのまま収録するのではなく、書き直したためか、この2本の書誌情報を記録しておかなかった。そのまま失念しかけていた。
「文化的ジェノサイドとは何か」のタイトルは「文化的ジェノサイド」としているが、本文では「文化ジェノサイド」としている。「ジェノサイド」に「文化的」という形容はなじみにくいからだ。文化的なジェノサイドと誤解されかねない。