Wednesday, February 27, 2013

重信房子『革命の季節――パレスチナの戦場から』

重信房子『革命の季節――パレスチナの戦場から』(幻冬舎、2012年)                                                                                                                          1972年5月30日、リッダ闘争――当時はベイルート空港銃撃事件といった呼び方をしていた。パレスチナ解放人民戦線PFLPの呼び名では「アメリーエ・マタール・リッダ」(リッダ空港作戦)だという――の日のことをよく覚えていない。高校2年生の春だった。当時のぼくは、一方で太宰や安吾などの無頼派をよみふけり、他方でミステリーとSFに熱中し(東京創元社と早川書房にお世話になった)、同時にプログレッシブ・ロック・ファン(ピンク・フロイドとキング・クリムゾン)だった。もちろん、ジョン・レノンを追いかけてもいた。隣町の書店で『朝日ジャーナル』は毎号購入していたし、『空想より科学へ』『共産党宣言』『帝国主義論』の文庫本も読んではいたが、政治少年というわけではなかった。レーニンの帝国主義論よりも幸徳秋水の帝国主義論のほうが優れていると思ったことは、『非国民がやってきた!』に書いた。                                                                                                ニュースを見て、何を馬鹿なことをしてるんだろう、と思ったことは間違いない。札幌の高校生だったぼくにとっては、地元で行われていた自衛隊違憲裁判の知識があり、恵庭事件判決がすでに出ていたし、長沼訴訟の真っただ中だった。自衛隊を憲法違反と判断した長沼訴訟札幌地裁の福島判決は1973年9月7日のことだ。憲法9条の戦争放棄と軍備不保持、憲法前文の平和的生存権、そして運動を支えている平和運動の人々――恵庭や長沼の人に加ええて、高校教師やキリスト教関係者が懸命に努力していた。だから、キリスト教的な平和主義や非暴力の思想の洗礼を受けていた。後のように明確な思想ではないが、当時すでに非暴力平和主義で、ガンディやキング牧師のことを聞いていた。だから、日本人がベイルート空港銃撃事件を引き起こしたことは「馬鹿なこと」としか思えなかった。                                                                                                                                                                                       当時のぼくはパレスチナのことは全く無知だった。ナチスに追われて行き場のないユダヤ人がようやくたどり着いた安らぎの地といったプロパガンダを信じていたかもしれない。パレスチナのことを少しは知るようになったのは大学時代だ。そして、同時代の日本の若者たちの「闘い」――主に誤った闘い、というより、間違いだらけの闘いについては、よく読んだ。ブント、全共闘、連合赤軍、よど号、日本赤軍、中核派と革マル派・・・。その後も、さまざまな形で公表された当事者の手記、想い出、グラフィティなどは比較的よく読んできた。ただのノスタルジーと自己正当化の本が多かった。「68年革命」を呼号することで正当化する試みが多いように思えた。日本赤軍が、他とは違って、日本革命から世界革命へと射程を広げ、その過程でパレスチナ解放闘争に加わっていった経過も読んできた。重信房子のこれまでの本も読んだ。永田洋子の本とつい比較してしまう。おかしな比較だ。                                                                                                                                           重信房子自身が当時の闘いの誤りを認識し、反省し、方向転換しつつ、闘い続けたことが本書を読むとよくわかる。本人の言葉では「いくつもの過ちや限界や時代の制約の中で、ひたすらに前を向き闘い抜いた当時の未熟な正義と苦闘と喜びの、等身大の自分と自分をとりまく情況を記したものです」。「加えて、30年のアラブ世界で知った人たちや時々をふり返り、今アラブ世界で起こっている民衆革命についてとリッダ闘争40年目の集いのことも付章としました」。                                                                                                                          グラビアには、奥平剛武士、安田安之、丸岡修、檜森孝雄、ガッサン・カナファーニーの写真。裏表紙には若松孝二、ライラ・ハリードの写真。本文に登場するのは、岡本公三、遠山美枝子、森恒夫、足立正生、奥平純三、山田修・・・それにしても、少ない。あまりにも少ない。日本の運動からあまりに遠く、切り離されていたことがよくわかる。パレスチナ解放闘争への連帯の中でアラブ世界の人々との多くの出会いがあっただろうが、それは本書の主題ではないため、あまり語られない。1945年生まれで明治大学学生だった著者が1971年に出国したのだから、どんなに思いがあっても、どんなに努力をしても、日本の運動とは疎遠になったのはやむをえないが、あまりに疎遠で情報も持たずに日本の革命運動をやっているつもりだったことが哀れだ。                                                                                                                               付章の「アラブの民衆革命とリッダ闘争40年目に」で、チュニジア、エジプト、リビア、バーレーン、イエメン、シリアの民衆革命を取り上げている。著者はアラブ民衆革命をパレスチナのインティファーダと同じ流れに位置づけようとする。西欧メディアや日本メディアとの大きな違いだ。したがって、西欧メディアのいう「アラブの春」のレトリックを批判する。「アラブの民衆の命をかけた闘いをほめそやし、かすめ取ろうとしている」。アラブ民衆の歴史的要求を正しく理解しないと、アラブ民衆革命の意味を把握できないし、二重三重に混乱し、混乱させられている現状を理解できない。著者の視点は重要だ。