Thursday, February 21, 2013
キュレーターのヴィジョン・トレーニング
長谷川祐子『キュレーション――知と感性を揺さぶる力』(集英社新書、2013年)
他者を侮蔑する本を読んでしまったので、お口直しに本書を手にした。「あなたを変える<体験>を創る!人気キュレーターが仕掛ける、現代アートの魔術的試み!」との宣伝文句。著者は、水戸芸術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長、東京都現代美術館チーフキュレーター、そして今は多摩美術大学教授だ。日本での活躍とともに、イスタンブール・ビエンナーレ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレ、香港アートフェアなど海外でも活躍しているキュレーターだ。アーティストとキュレーターの関係を手始めに、キュレーターと社会の関係も論じ、世界の中でのアートの見え方の差異、文化や感性の変容を論じている。時代、地域、文化によって同じ作品が違う見方をされ、受け止め方をされることも踏まえて、キュレーターは何を、どのように提示して人々(観客)の感性を揺さぶり、新たな体験を共有してもらうのか。その実験の成果が説かれている。著者が実際に担当した豊富な事例をもとに論じているので、納得させられてばかりだ。
「現在キュレートリアルにまつわる議論として一つの焦点となっているのが、資本主義、美術市場との関係で、<生産>があまりに重要視されるがために、展覧会においても生産が批評を凌駕しているという傾向である。」
「私的な出来事や行為、記憶の集積を現代アートは反映する。それはカルチュラル・スタディーズや人類学的な調査、考察のもう一つの視覚化でもある。キュレーターは現地でのキュレートリアルの実践を通して観客の関心を惹きつけつつ、突き放したりずらしたりして試していく。」
「キュレーターは、既存の価値観からはアートとみなされないものでも、アートの視点で価値を見いだし、拾いあげ、コンテクストにのせていくことがしばしばある。」
「グローバル時代におけるキュレーションに一つの方法論はない。たえざる交渉と変化と葛藤の場所に身をさらし、意見を交換し続けることで、無限の方法論、実践は生まれてくる。」
ただ、8章「物議をかもした展覧会」のところだけ、ナチス・ドイツの「退廃芸術」展や、アメリカの例を紹介するにとどめている。日本の例が出てこないのは、例を出すと関係者への批判になってしまうから、避けたのかもしれない。