Tuesday, February 26, 2013
「ダメ出し社会」がなぜいけないのか
荻上チキ『僕らはいつまで「ダメ出し社会」をつづけるのか――絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』(幻冬舎新書、2012年)
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新聞広告に出ていたので、タイトルに魅かれて、成田空港の書店で買った1冊。
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<ここ20年の経済停滞からくる個人の生きづらさを反映し、益のない個人叩きや、意見・提言へのバッシング合戦が横行する日本。でも、僕らには時間がない。一刻も早く、ポジティブな改善策を出し合い、社会を少しでもアップグレードさせなくては――。>
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著者は1981年生まれの評論家。編集者。芹沢一也、飯田泰之とともに株式会社ソノドスを設立して、ニュースサイト「シノドスジャーナル」や、メールマガジン「αシノドス」を出しているという。『検証東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)はわりと話題になった。
第1章 僕らはどうして、「ここ」に流れ着いたのか
第2章 僕らはどうして、間違えた議論をするのか
第3章 僕らはどうして、「国民益」を満たせないのか
第4章 僕らはどうやって、バグを取り除くのか
第5章 僕らはどうやって、社会を変えていくのか
目次の立てかたも面白いが、「間違えた議論」の具体例の上げ方もなかなか。「間違いだらけの消費税法案」も「経済停滞宿命論の罠」も説得力がある。「脱成長の際にある地獄絵図」は、説得的とは思わないが、なるほどこういう考え方もありうる。現在の社会を足の引っ張り合いをする社会とみる点も納得。
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個人的には、疑念もある。第1に、著者は「国民益」を強調するが、「国民益」という思考そのものが問題なのだ。「非国民」たる外国人住民を排除し、無視している。そもそも国民統合の論理と思想が、個人の尊重や人間の尊厳を徹底的に抑圧してきた。経済的に「国民益」に繋がれば、すべての人を潤わせるという虚偽の説明しかないだろう。第2に、著者のいう「僕ら」とは誰のことなのか。本書を通して読むと、日本社会全体の議論を指すようでもあるし、これからの日本を引き受ける世代のことのようにも見える。第3に、なぜダメ出し社会がダメなのか。現状に不満や批判があれば、どんどん指摘すればいいのだ。ダメ出しすればそこから次の一歩につながる。ダメ出しがなければ改善策など出てこない。著者は「叩いて終わりはもう終わり」という。「ダメ出しだけで終わるのは問題だ」という意味では賛成だが、これまでの議論が「叩いて終わり」というのは本当だろうか。本書で示されている具体例の中にはなるほどと思うものもあるが、それがすべてではない。ダメ出ししてポジ出しをするのは、当たり前のことだが、著者の言い方だと、結局、「代案なしに発言するな」という話になりかねない。「どんどんダメ出ししよう。そしてポジ出ししよう」と言うべきだ。