Tuesday, July 17, 2012

死刑の透明度について


死刑の透明度について



『救援』446号・447号(2006年6月号・7月号)





アルストン報告書



 二〇〇六年三月にジュネーヴの国連欧州本部で開催された最後の国連人権委員会六二会期に、フィリップ・アルストン「恣意的処刑に関する特別報告者」が、死刑の透明度に関する報告書(E/CN.4/2006/53/Add.3)を提出した。「恣意的処刑に関する特別報告者」は、一九八二年の経済社会理事会決議によって創設されたが、アルストンは二〇〇四年の決議によって四人目の報告者に任命され、二〇〇五年に続いて二度目の報告書を提出した。なお、前任者はアスマ・ジャハンギルであった。

 報告書第一部の説明によると、二〇〇五年報告書は「死刑存置国はその選択を国際法によって禁止されていないとはいえ、死刑適用に関する詳細を情報公開する明らかな義務がある」としていた(E/CN.4/2005/7)。これを受けて二〇〇六年報告書は死刑情報公開問題を取り上げた。

 透明度は生命の恣意的剥奪を予防する基本的な適正手続き保障である。世界人権宣言や国際自由権規約が述べているように、刑事告発された者は公開の裁判を受ける権利を有する。国際自由権規約第一四条一項は、秘密裁判の範囲を限定し、高い透明度を要請している。有罪判決後の秘密手続きも、適正手続きの権利や拷問等からの自由の権利を尊重するべき国家の義務によって制限されている。

 しかし、透明度といっても、例えば、日本では個別の執行に関する情報は公表されないが、統計は公表されている。中国では広く宣伝される処刑もある一方、統計は公表されていない。各国の実務において透明度がどのような現状にあるかの具体的な情報がなかったので、報告者は各国政府に協力を求めた。ベラルーシ、中国、朝鮮、エジプト、サウジアラビア、シンガポール、ヴェトナムが回答を出したが、アフガニスタン、イラン、日本、シリアは回答しなかった。

 報告書の第一の結論は、公衆は、重要な情報が欠落していれば死刑について評価できないということである。ⓐ死刑判決数、ⓑ実際の執行数、ⓒ控訴審で破棄・減刑された数、ⓓ死刑囚の数などが公開されなければならない。

 第二の結論は、被告発者、家族、弁護士は手続き、控訴、恩赦の申請、処刑に関する情報を提供されるべきである。経験によれば、これが保障されないと適正手続きが侵害されがちである。

 報告書は、第二部で死刑適用の情報公開義務について論じ、第三部で有罪判決後の透明度問題を扱い、第四部で結論を示している。



情報公開義務



  透明度は司法にとって基本的要請である。公開がなければ公正はない。国際自由権規約第一四条一項は公開の一般原則を示している。道徳やプライヴァシー保護の必要のある場合や、その公開が司法の利益をそこなうような場合以外は公開が原則である。一九八九年の経済社会理事会決議は、死刑犯罪の罪名、死刑判決数、実際の執行数、控訴審で破棄・減刑された数などの公開を各国に促した。

 情報公開義務はたとえ緊急状態であっても否定できない。第一四条は国際自由権規約第四条二項には掲げられていないが、厳格な適用を要請される。自由権規約委員会も、第一四条の要請は厳格に守られるべきとしている。

 死刑を正当化する理由の一つに、公衆の支持があげられる。中国政府は二〇〇三年と二〇〇五年に、自国の固有の状況と人民の要望をあげている。日本政府も二〇〇五年に国連事務総局に対して、公衆の多数が死刑を必要と認めていると報告している。しかし、多くの諸国では、公衆がそうした判断をするのに必要な情報が欠落している。公衆は死刑について判断する情報を手にしていない。国連事務総局は五年ごとに死刑に関する調査を行なっているのに多くの国家が協力していない。二〇〇五年調査では死刑存置国六二カ国のうち回答をしたのはバーレーン、日本、トリニダードトバゴ、アメリカの四カ国にすぎない。

 ベラルーシは、死刑統計も被執行者名も公表していない。ベラルーシ内務省は二〇〇四年には執行はなく、死刑囚もいないと発表した。しかし、新聞報道によると五件の執行があり、一〇四名の死刑囚がいるという。

 シンガポールは、統計を定期的に公表はせず、執行を公表しないことが多いが、ジャーナリストの質問に答えることがある。アムネスティ・インターナショナルによると、死刑統計は秘密だが、シンガポール政府は質問には回答しているという。二〇〇三年には一九件、二〇〇四年九月までに六件の処刑があった。アムネスティ・インターナショナルによると、シンガポールでは一九九一年以来四〇〇人が処刑された。政府は正確な情報を公表していないが、この見積もりの正確さを認めている。

 死刑情報を秘密にする理由として一番あげられるのが「国家の安全」である。例えば、以前は死刑情報を公表したことのあるヴェトナム政府は、二〇〇四年に、死刑情報は人民法廷の機密事項であると宣言した。中国政府も、「国家の安全」を理由としている。二〇〇四年三月に南西政治大学法学部長チェン・ゾングリンが中国では毎年ほぼ一万人が執行されているとしたが、政府はなぜ統計を公開しないかの理由を示すことも避けた。中国は国連事務総局や経済社会理事会の調査にも回答していない。

 インドは透明度を高めるようになってきているが、死刑判決や執行に関する過去の情報と現在の情報の間に重大なギャップがある。一九九五年以後、死刑の数は公表しているが、毎年の被執行者の名前などは公表されていない。内務省は、二〇〇四年のダナンジョイ・チャタールジィの執行がインド独立以来五五番目の執行であると述べている。しかし、あるNGOによると、一九五三年から十年間だけで一四二二件の執行があった。マハラシュトラ州は情報公開したが、デリー州は公開を拒否している。

 国家の安全や公共の秩序は、国家が死刑情報を秘密のうちに分類することを許すことになる。国際自由権規約第一四条一項は、裁判段階において一定の理由の場合にだけ秘密とすることを許しているにすぎない。司法に関する基礎的情報が公共の秩序や国家の安全を危険にするとは考えられない。





死刑確定後の透明度



 死刑確定後の執行に向けたタイムテーブルに関しては二つの権利が問題となる。第一に、本人に執行時期を知らせないことはデュー・プロセスの権利に反する。デュー・プロセスの権利は死刑確定後であっても保障されるべきである。確定死刑囚には上級審で死刑判決を検討してもらう権利があるし、恩赦を求める権利もある。手続きが不明瞭であればデュー・プロセスの権利が損なわれる。

 第二に、執行を待ち続ける苦しみの経験は、死刑囚やその家族にとっては、自由権規約第七条の意味での非人道的で屈辱的な取扱いとなりうる。自由権委員会はこの権利の射程について判断している。ベラルーシの死刑囚の母親の訴えについて、自由権委員会は、執行期日や遺体埋葬場所をまったく秘密にしたり、遺体を引き渡さないことは、故意に苦痛を与えて家族を罰する結果となると判示している(自由権委員会通知、二〇〇三年四月二八日)。執行延期の告知をわざと遅らせて執行予定直前の四五分前に告知することも自由権規約違反である。死刑囚や家族をその運命について暗闇に置くことを正当化できない

 イランでは、二〇〇三年七月に逮捕されたアフシェン・ラズヴァニィとメリメ・ソトデーが死刑を言い渡され、裁判所の命令や家族への事前の通告もないままに、二〇〇四年一月二一日に執行されたという。

 中国のヤナン市で、農夫のドン・ウェイは喧嘩の際に相手を死なせたため二〇〇一年一二月二一日、死刑を言い渡された。弁護人が正当防衛であると主張して控訴したが、控訴棄却となり、二〇〇二年四月二二日に七日後の執行命令が出された。その決定は四月二七日に弁護人がたまたま控訴裁判所に行ったときまで通知されなかった。弁護人が急遽北京に行って最高裁判所に訴えたおかげで、執行予定の四分前に執行差し止めとなった。

 サウジ・アラビアでは、アラビア語を話せない被告人に通訳を付けないため、被告人が死刑を言い渡されたことを知らされない例がいくつもある。六人のソマリア人死刑囚は判決後六年たってようやく死刑であることを知らされた。

 執行期日を知らせない国家も少なくない。シンガポールでは、死刑囚とその家族に知らされるのは一週間前である。エジプトでは二~三日前である。日本では執行直前まで知らせない。イランでは、ササン・アレケナンは、二〇〇三年二月一九日の午前に執行された。その日、執行の後に母親が面会に来て、職員から執行の事実を知らされた。

 有罪確定後の秘密主義には正当化事由がない。デュー・プロセスに違反し、非人道的な取扱いとなっている。



プライヴァシー問題



 秘密執行政策自体が隠されたり、否認されることが多い。しかし、日本政府は秘密主義を公的政策として、合法性を主張している。二〇〇四年、日本では二人が家族や弁護人にも通知のないままに執行された。死刑囚が知らされたのも直前である。日本政府はその人物が執行されたか否かについて回答を拒否している。日本政府はこの秘密執行を、死刑囚および家族のプライヴァシーを保護するためだと主張している。執行された個人の氏名の公表拒否は、死刑のスティグマによって正当化される。裁判時にすでに氏名が公表されているのに、執行に際してさらに公表するのは異常であると(二〇〇五年の経済社会理事会への日本政府回答)。

 もちろんプライヴァシーの権利は透明化の義務より重い。自由権委員会が述べているように、公開処刑は人間の尊厳にそぐわない。

 中国最高裁は、執行される者の公開パレードは禁止されると述べているが、実際にすべてを禁止しているわけではない。特に麻薬や汚職事犯では公開処刑が行なわれている。朝鮮、ヴェトナム、サウジ・アラビアでも公開処刑が行なわれているという情報がある。

 秘密執行の禁止と公開処刑の禁止を合致させるには困難が伴う。執行直前に知らせるのは死刑囚にも母親にとっても非人道的である。事前に告知して、最後の面会や心構えをさせることが必要である。デュー・プロセスの権利は情報公開によって守られる場合もある。

 日本政府の秘密主義は、個人のプライヴァシーの権利を保護するのに必要な範囲を超えている。死刑監房にアクセスできない者が死刑囚の権利を保護するのに重要である。二〇〇二年、国際NGOの国際人権連盟が死刑囚の処遇状況を調査するために日本を訪問したが、死刑囚への面会も、死刑場への訪問も、拘置所内への立ち入りすらも拒否された。二〇〇一年、欧州議会人権委員会委員が日本を訪問したが、死刑囚本人が同意しているのに、面会が許されなかった。

 秘密主義は死刑に関する世論のあり方にも影響する。二〇〇五年の「死刑に関する国連事務総局報告書」のための調査で、日本政府に対して、なぜ通常犯罪について死刑を廃止しないのかとの質問が出された。日本政府の回答は「日本国民の多数が死刑を重大犯罪に対して必要な刑罰と認めている」というものであった。しかし、同報告書は、「日本で死刑廃止できない理由の一つは、異常な秘密主義のために、死刑廃止を議論するために必要な情報が欠落していることである」という日弁連の見解を注記している。国会議員による監督すら制約されている。一九七三年以来要求してきたが、二〇〇三年、二人の国会議員がようやく死刑場訪問を許された。日弁連は、死刑調査委員会設置、死刑執行猶予、日本政府による情報公開を求める提案をしている。

 透明化に対するプライヴァシー論には二つの限界がある。第一に、プライヴァシーの権利は、そのプライヴァシー権の本人への情報の拒否を正当化しない。秘密主義が死刑囚のプライヴァシーを保護するという論拠は、執行日時を本人や家族に通知しないことを説明できない。むしろ、本人や家族は死刑囚の運命を十分に知らされるべきである。第二に、プライヴァシー論は、死刑囚が自分の経験や執行に関する事実の秘匿を望まない場合には、透明化の義務を超えることはない。この場合、「プライヴァシー」なるものは、強制された秘密主義の副産物にすぎない。死刑囚に自分の運命を公開したり、メディアや政治家と接触したりすることが厳しく制約されている。自己の生命の最も重要な局面についての自己情報のコントロールを死刑囚から剥奪することによって、日本の制度は死刑囚のプライヴァシーを保護するよりも損なっている。