ヒューマン・ライツ再入門⑬
強制連行は人道に対する罪(二)
『統一評論』531号(2010年1月)
前回述べたように、追放や強制移送は、一定の要件を備えれば人道に対する罪に当たる。国際刑事裁判所(ICC)規程第七条第一項は、人道に対する罪について次のように規定する(直接関連する部分のみ引用)。
1 この規程の適用上、「人道に対する犯罪」とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。
(c)奴隷化すること。
(d)住民の追放又は強制移送
(g) 強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力であってこれらと同等の重大性を有するもの
(i)人の強制失踪
日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題は、従来、主に右の(c)や(g)との関連で検討されてきた。本稿では(d)について検討する。
なお、(i)についても従来は検討されてこなかったように思われるが、事案によっては、残された家族にとって「人の強制失踪」と言うべき場合もあったのではないだろうか。強制失踪に関する宣言なども検討する必要があるかもしれない。
以下では、第一に、(d)についての学説を紹介して、強制移送概念を明らかにする。第二に、(c)の奴隷化と(d)の強制移送との関連について検討する。第三に、「戦争犯罪としての追放」と「人道に対する罪としての追放又は強制移送」の関係も見ておこう。第四に、強制労働条約における強制労働概念等との関連を見る。以上によって、「人道に対する罪としての強制移送」の法的性格を明らかにしたい。
強制移送概念
第一に国際刑法学説において、追放又は強制移送についてどのように述べられているかを確認しよう。
元・旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ICTY)所長でフローレンス大学教授であるアントニオ・カッセーゼの論文「人道に対する罪」(カッセーゼ、パオラ・ゲータ、ジョン・ジョーンズ編『国際刑事裁判所ローマ規程:注釈』(オクスフォード大学出版、二〇〇二年)は、住民の追放又は強制移送は、国際法上許容される理由なしに、排除又はその他の強制行為により、人が合法的に存在する地域からその者を強制的に退去させることとしている(ICC規程第七条二項d)。カッセーゼは、さらに、ICC規程の解釈のために作成された『犯罪の成立要素』では、追放又は強制的に移送された人が、彼らがそこから追放又は強制移動された地域に合法的に存在していたこと、および実行者がその者らが合法的に存在していたことを示す事実条件を知っていたことが追加されている、と述べている。
カッセーゼは以上のことしか述べていないが、逆に言えば、その者らが非合法に存在していた場合、あるいは実行者がその者らが非合法に存在していると認識していた場合には、この罪は成立しない可能性があることになる。
ICTY法務職員のアレクサンダー・ザハールとアムステルダム大学教授のゲラン・スルイターの共著『国際刑法』(オクスフォード大学出版、二〇〇八年)は、人道に対する罪の概念が、迫害やその他の非人道的行為のように広範なものとなってきたことに関連して、追放や強制移送についても概念が広範で不明確であるという批判があることに言及している。ザハールとスルイターによると、クラジスニク事件ICTY判決で、追放と強制移送は、合法的にその場所に存在している人を、国際法上許容される理由なしに、強制的に退去させることとされているという。一定の条件がある場合には、強制的に移動することが許される。例えば、ジュネーヴ諸条約第三条約第一九条は、捕虜を戦闘地域から離れた収容所に後送しなければならないと定めている。第四条約第四九条は、被保護者の強制移送や追放を禁止しているが、同条第二文以下では、住民の安全又は軍事上の理由のため必要とされるときは移送を認めている。クラジスニク事件判決によると、「強制」には、暴力の恐怖、不法拘禁、心理的抑圧その他脅迫のような状況が、その場所に留まる選択肢を少なくし、その地域から去らなくてはならないような環境をつくり出す条件が含まれるとしている。また、法律上の国境を越える場合だけでなく、一定の条件のもとでは、事実上の国境を越える場合も含まれるとしている(クラジスニク事件判決パラグラフ七二三~七二六)。ただし、シュタキッチ事件判決は、この点では異論を提示している。
オーストラリア赤十字財団教授のティモシー・マコーマックの論文「人道に対する罪」(ドミニク・マクゴルドリク、ペーター・ローウェ、エリック・ドネリー編『常設国際刑事裁判所』ハート出版、二〇〇四年)は、追放又は強制移送を人道に対する罪に含めることについては、ICC規程を作成したローマ外交官会議においても、論争があったという。この規定の最終条項は不明確であるとして、もっとも強く反対したのはイスラエル政府代表である。しかし、人道に対する罪に追放を含めることは、ニュルンベルク裁判条例および東京裁判条例という前例があり、ICTYおよびICTRでも同様であったので、追放を人道に対する罪に含めることは国債慣習法において熟していないという主張は採用されなかった。すべての国際文書が追放を人道に対する罪に含めていたが、強制移送を含めたのはICC規程が最初であるのは確かである。もっとも、アパルトヘイト条約がすでに追放と強制移送を並べていた。以上を確認して、マコーマックは、追放はふつうある国家から他の国家へ国境を越えて人を強制移動させることであり、強制移送はある国家の国境内である地域から他の地域へ強制移動させることであるとする。外交官会議でイスラエル政府は、草案で「移動(movement)」という用語が用いられていることを嫌い、排除(expulsion)又は移動(displacement)に代えるよう主張した。規程第七条二項dは、最終的に「排除による移動(displacement by expulsion)」となった。この修正によっても、犯罪の成立要素が必ずしも明確ではないとして、イスラエル政府は結局、留保の意思表示をしているという。マコーマックによると、イスラエル政府は、西岸やガザ地区からパレスチナ人を強制的に追放(expel)しており、追放された人々が文民であり、それが国家政策として遂行されているため、理論的には、イスラエル国民が人道に対する罪に問われる可能性がある。この犯罪の被害者は、「国際法上許容される理由なしに、合法的に存在する地域」から強制的に追放されたのでなければならない。ここには、「国際法上」という基準と、「合法的に」という国内法的基準という二つの基準が明示されている。この点は、人道に対する罪としての拷問の規定では国内法基準のみが示されているのと対照的であるという。イスラエル政府が気にかけているのは、追放の理由の判断に際して、国内法基準だけではなく、国際法基準が採用されることである。自国の国内法に基づいて実行された政策にもかかわらず、犯罪であるとして責任を問われる可能性がある。マコーマックは、国際刑法の発展や、第二次大戦後のニュルンベルク裁判のために考案された罪であることを考えると、イスラエルが新しい国際刑事裁判所の強力な支持者となっていないことは悲しい皮肉であると述べている。
奴隷化と強制移送
人道に対する罪としての奴隷化と人道に対する罪としての追放又は強制移送は、明確に区別されている。国際法上の奴隷概念は一九二六年の奴隷条約によって規定されてきたのに対して、追放又は強制移送概念はナチス・ドイツによるユダヤ人追放又は強制移送が契機となって国際法に取り入れられた。その意味で歴史的に明らかに異なる概念である。
奴隷条約は奴隷と奴隷取引を掲げている。
奴隷条約第一条 この条約の適用上、次の定義に同意する。
1 奴隷制度とは、その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう。
2 奴隷取引とは、その者を奴隷の状態に置く意思をもって行う個人の捕捉、取得又は処分に関係するあらゆる行為、その者を売り又は交換するために行う奴隷の取得に関係するあらゆる行為、売られ又は交換されるために取得された奴隷を売り又は交換することによって処分するあらゆる行為並びに、一般に、奴隷を取り引きし又は輸送するすべての行為を含む。
右のように、奴隷と奴隷取引概念は非常に幅広いので、追放又は強制移送との関係が問題となりうるが、これまでの国際刑法テキストにおいて両者の関係を問う記述を見出すことはできない。おそらく、主な関心の向けられ方が異なるため、両者の関係を問う必要のあるような事例が国際刑事裁判に登場したことがないのかもしれない。
しかし、アウシュヴィッツに強制移送されたユダヤ人は、選別されて殺害されることもあれば、収容所で強制労働させられ奴隷とされた場合もある。日本軍性奴隷制や朝鮮人・中国人強制連行・強制労働の被害者も、奴隷化の被害者であると同時に、追放又は強制移送の被害者であったこともありうるのではないか。追放又は強制移送を手段とする奴隷化という事例もあったのではないか。もちろん、「その者を奴隷の状態に置く意思をもって」行われた行為でなければ奴隷取り引きには当たらないので、犯罪の主観的要件が異なる。二つの行為が手段・結果関係に当たる場合、あるいは外形的行為が明瞭に区別できない場合、主観的要素をどのように把握するかによって、奴隷化として理解するのか、追放又は強制移送として理解するのか、結論が分かれることになりそうである。
戦争犯罪としての追放
ICC規程第八条第二項(a)(vii)は「不法に追放し、移送し又は拘禁すること」を戦争犯罪としている。これは、一九四九年のジュネーヴ諸条約の重大な違反行為としての戦争犯罪の規定である。同条第二項(e)(viii)は「紛争に関連する理由で文民たる住民の移動を命令すること(当該文民の安全又は軍事上のやむを得ない理由が絶対的に必要とする場合を除く。)」として、非国際的紛争における戦争犯罪を定めている。
戦争犯罪と人道に対する罪の大きな差異は、人道に対する罪の敷居要件である「文民たる住民に対する広範な又は組織的な攻撃の一部として、当該攻撃の認識とともに行われた」にある。追放や移送という概念は、人道に対する罪では「住民の追放又は強制移送」であり、戦争犯罪では「不法に追放し、移送し」「住民の移動を命令すること」であるが、基本的には同じ意味を有するといえよう。
赤十字国際委員会法律顧問のクヌート・デルマン『国際刑事裁判所ローマ規程における戦争犯罪の成立要素』(ケンブリッジ大学出版、二〇〇二年)によると、ICC準備会議において、「不法に追放し又は移送し」は、ジュネーヴ諸条約第四条約第一四七条は、第四九条と結びつけて理解されるべきであり、すべての強制移送が禁止されているので、占領地内における強制移送や占領地からの強制移送もこれに当たるという。また、準備会議において、追放又は移送とは、合法的に存在した地域からの追放又は移送であり、その点で人道に対する罪としての追放又は強制移送と同じであると指摘されていたという。さらに、デルマンによると、戦争犯罪としての追放又は移送が取り扱われた国際刑事裁判事例はないが、ICTYにおけるコヴァセヴィッチ事件において、検察官が、「被告人とその部下が、保護された者をその者が存在した地域から、その地域の外へ不法に追放又は強制移送した」と述べていたという。ICTYにおけるシミッチ事件においても、検察官は、「被害者が、合法的に存在していた地域から、その地域の外に不法に追放又は移送された」と述べていた。
さらに、検察官は、第四条約四九条の主な目的は大量の住民の移動を禁止することであったが、同時に個人の追放又は移送も禁止している、すべての形態の文民の強制移動が禁止されていると主張していた。デルマンによると、ICTYのクルシュティチ事件判決において人道に対する罪としての追放と強制移送が取り上げられた際に、やはり同様に第四条約第四九条を参照して判断が行われたという。
さらに、デルマンによると、クルシュティチ事件判決において、ICTYは住民の移送の強制的性格について次のように判断した。第四九条の赤十字国際委員会の注釈によると、差別の恐怖に動機付けられて退去したことは、必ずしも法の違反ではない。すべての種類の移送が絶対禁止されているのではなく、移送される者の同意の有無がポイントとなる。差別や迫害に悩んでいて、それゆえに当該国家を立ち去った民族的又は政治的少数者に属する保護された者の事例が検討対象であった。任意の移送は正当化され、強制移送だけが禁止される。「『強制的に』という語句は、物理的な力に限定されず、その者に対する又は他の者に対する、実力の脅迫又は威圧、すなわち、暴力、束縛、拘禁、心理的抑圧又は権力乱用の恐怖によって惹き起こされた、又は威圧的環境に乗じてなされたものを含む」と判断された。本人に「純粋な選択」の余地があったか否かが重要である。
強制労働と強制移送
一九三〇年の強制労働条約との関係も見ておく必要がある。第一に、奴隷化と同様に、追放又は強制移送と強制労働とが手段・結果関係になることがありうる。さらに第二に、強制労働条約自体が、人の移動に言及している。
強制労働条約第一一条第一項(d) 夫婦及家族ノ関係ヲ尊重スルコト
同条約第一六条 1 特殊ノ必要ノ場合ノ外強制労働ガ強要セラルル者ハ食物及気候ガ其ノ慣レタルモノト著シク異ルガ為其ノ健康ヲ害スルガ如キ地方ニ移送セラレザルベシ
強制労働条約は、一九三〇年当時の古い条約であり、一八歳以上四五歳以下の成年男子に限って、一定の条件の下での強制労働を認めていた。いくつか確認しておこう。
第一に、強制労働条約は女性の強制労働を全面禁止していた。かつて、日本政府は、同条約第二条第二項(d)の緊急時の例外規定を持ち出して日本軍性奴隷制の責任回避を図ったことがあるが、緊急時の例外であっても強制労働が許されたのは成年男子だけである。
第二に、強制労働条約第二一条は、「鉱山ニ於ケル地下労働」の強制を禁止していた。
第三に、強制労働条約は、第一二条で強制労働の期間を六〇日に限定していた。第一四条は適正な報酬支払いを定め、第一五条は労働災害への対策も必要としていた。日本による朝鮮人・中国人強制労働は、これらの条件も満たしていなかったことが多いといえよう。
その意味で、朝鮮人・中国人強制連行・強制労働は、奴隷化、強制労働、そして追放又は強制移送の概念と深く結びついている。