刑事施設における暴力
『救援』463号(2007年11月)
『朝日新聞』一〇月七日朝刊は「刑務所内で暴行七〇〇〇件超 全国七五施設『過剰収容』指摘も」と題して「刑務所や拘置所などの刑事施設で、収容者が他の収容者や職員らを殺傷・暴行する事案が増えている」と報じた。十年前から約三千件増え、年間七千件となったという。収容者同士が六三四六件、対職員らが一二一三件。府中刑務所や福岡刑務所における事例が紹介されている。記事の前半では情報の出所が明らかにされていないが、終わりのほうに「法務省矯正局によると」という表現が出てくる。末尾では、過剰収容に一因があるとして、海渡雄一(弁護士、監獄人権センター事務局長)の言葉を紹介して締めている。当局発表情報を紹介しつつも、過剰収容を指摘している点では優れた記事といえよう。もっとも、収容者による暴力だけに焦点を当てている。名古屋刑務所事件を引き合いに出すまでもなく、施設内での暴力には職員から収容者に対するものもあるのに言及がない。
宮城刑務所
鎌田俊彦『われに告発する用意あり――宮城刑務所二〇〇五年五月~二〇〇六年九月』(『そうぼう』編集部、二〇〇七年)は、宮城刑務所における不祥事と暴行の告発である。一九七一年のクリスマスツリー爆弾事件で無期懲役が確定した鎌田は、九一年以後、宮城刑務所に収監されていたが、二〇〇五年七月、警備隊による受刑者に対する暴行を告発した。
七月七日午後四時四五分頃、還房後すぐ、廊下で警備隊副隊長(警備主任)が、ある受刑者の室内作業の材料運搬時に、何らかの言葉の行き違いからか、突然、受刑者に飛び掛って、廊下に叩きつけ、倒れている受刑者のわき腹を蹴った。「わしが何でこんなことされるんや」「懲役のくせに何言ってるんだ」。副隊長は、受刑者の首をプロレスのヘッドロックのように締め付け、駆けつけた大勢の職員が後ろ手錠をかけて連行した。数分間、悲鳴が響いたので、多くの受刑者が耳にしている。直接目撃した受刑者もいる。目撃した受刑者が「ひどいよ」と鎌田に話しかけようとしたところ、近くにいた看守が「余計なことを喋るんじゃない。非常だ」と叫んだという。鎌田が「非常はないでしょう」というと、看守は突然、襟首をつかんで頭を下げさせ、左腕をねじり上げて拘束連行した。その際、右わき腹に負傷した鎌田は治療を求めたが、放置された。
鎌田が手紙で告発したため、弁護士、ジャーナリストや人権NGOが取材をはじめ、徐々に宮城刑務所内部の腐敗が明るみに出た。
暴行事件以前に、宮城刑務所では、看守が一部の受刑者に酒や煙草を振舞ったり、携帯電話を使わせたりという不祥事が起きていた。看守の腐敗発覚を恐れた当局は、受刑者が看守を脅迫したことにして一部メディアに情報をリーク。刑務所でやりたい放題の悪質受刑者というストーリーがつくられた。一方、内部では体制締め付けが厳しくなり、受刑者への対応も強圧的となり、ついには暴行事件に発展していった。
本書には、告発を始めた時期から一年以上にわたる鎌田の手紙が収録されている。ここから明らかになるのは、刑事施設の問題が一部の勘違い職員による偶発的な暴行ではなく、刑事施設全体を覆っている腐敗と不正の体質にあることだ。受刑者に対する極端な差別と締め付けと暴行。一部受刑者への優遇。規律の乱れと、乱れを隠蔽するために極端に厳しくなった規律。上から一方的に締め付けるため、看守自身も振り回されているし、まして十分な情報を与えられない受刑者は呆然とするしかない。これではまともな処遇などできるはずがない。
なお、本書の読みどころは事件告発よりも、折々の出来事に触発されて綴られた著者の「エッセイ」とも言うべき部分であり、獄中での読書体験を通じての数々の所感である。
釧路刑務所
阿部勇治『実録獄中記――受刑者の心の叫び』(美化企画出版、二〇〇七年)は、釧路刑務所の処遇批判である。二〇〇〇年の強盗未遂事件で懲役三年六月を言い渡され、控訴せずに確定させた阿部は、釧路刑務所に収監された。「お前らはまともな人間じゃないんだ。根性を叩きなおしてやる」といった看守たちの横柄で差別的な姿勢に直面した阿部は考える。
「罪を犯したとはいえ、閉ざされた塀の中で失格人間の烙印を押され、それぞれの人間性は矯正の名の下に否定され、抑圧されるばかりだ。権力を振りかざす威圧的な刑務官の手で、型枠人間(ロボット人間)が作り出されるだけではないのか」。
ノートや手紙も検閲される獄中で、阿部は、たとえ懲罰にかけられても獄中の現実をありのままに日記につけようと決意し、刑務作業の様子、「カンカン踊り(全裸検診)」、入浴時の様子、看守の個性、受刑者の個性などを記録している。そして「釧路刑務所の一工場担当だった刑務官は、誰がどう言おうと厳しいだけで実のない指導に徹していた。矯正の名の下に、人の心を蹂躙し続けたという思いは死んでも消えない」という。
阿部は、二〇〇二年二月、新聞記事で母親の死去を知った。看守や首席幹部に新聞を見せて「今日は仕事を休んで、この房で母の冥福を祈らせてほしい」と頼んだ。ところが、首席幹部の命令で、阿部は房から引きずり出され、軽塀禁房に強制的に入れられた。二時間後には独居房に戻されたが、死んだ母親の冥福を祈ることもできない仕打ちを黙って記録するしかなかった。
施設内医療についても指摘がある。二〇〇一年四月、肝臓と胆管が腫れ上がって重症になった阿部は、救急車で釧路市立総合病院に搬送され、五日間の入院となった。その間、二四時間監視体制で、両手に手錠をはめたままの寝たきり状態を「生き地獄」と表現している。六月には八王子医療刑務所に送られ、胆石の除去手術を受けた。八王子医療刑務所職員の受刑者に対する態度は、釧路刑務所とは対照的に人間的であり感心した。しかし、手術結果について患者に対する説明責任を果たさないなど問題もあるという。
出版になかなか同意しない家族を説得して、思い出したくない過去を書き綴り、出版にこぎつけた著者は「体験者こそ告発者であり得る」と決意を固め、施設内処遇の改善を訴える。