法の廃墟(1)
拷問禁止委員会への日本政府報告
『無罪!』2006年4月号
遅れた報告書
二〇〇五年一二月、日本政府は、拷問等禁止条約第一九条に基づく第一回政府報告を、五年遅れで提出した。
拷問等禁止条約は一九八五年に国連総会で採択されたが、日本政府が条約を締結したのは一九九九年六月で、効力発生は七月二九日のことであった。
条約締結も遅れたが、報告提出も遅れた。条約に従えば、締約国は効力発生後一年以内に第一回報告を提出することになっている。日本政府報告の提出締め切りは二〇〇〇年七月であったが、実際には五年も遅れた。
実は、日本政府も漫然と遅らせたわけではない。条約締結後に、作成作業を開始していた。日本政府から人権NGOに申し入れがあって、政府とNGOの非公式協議も開かれた。早い段階で報告の骨子は完成していたようである。
ところが、名古屋刑務所事件が報告提出を妨げた。刑務所職員による常軌を逸した暴行が頻繁に繰り返され、複数の死亡事件(虐殺事件)を引き起こしていた。しかも、管理者側は承知していたにもかかわらず、内部告発によって明るみに出るまではもみ消し工作が行なわれていた疑いが強い。
このため報告提出は見合わせることになったのであろう。その後、数年にわたって、日本政府はNGOからの問合せに対しても、いつ報告を提出するのか回答しない状態が続いていた。名古屋刑務所事件のほとぼりが冷めた二〇〇五年秋になってようやく、まもなく提出の見込みとの情報が流れ、二〇〇五年一二月の報告提出となった。報告は外務省のウエッブサイトに掲載されている。
乏しい実質
日本政府報告は全文八四頁、さらに目次が二頁という分量である。報告の構成は、拷問等禁止条約第一部(第一条から第一六条)に即して順次記載されている。その特徴は二点にまとめることができる。
第一に、単なる条文の引用・紹介に終始していることである。報告本文の大半が、憲法、法律、規則などの建前がどのようになっているかの説明である。その上で、関連条文が全文引用されている(一部は抜粋もある)。各種の法律から全部で二六二もの条文が引用されている。このため、報告全体で八四頁といっても、そのうち資料(条文引用)がおおよそ四五頁を占める。つまり、本文は三九頁しかない。その三九頁の半分以上は、引用された条文の趣旨説明の、単なる繰り返しにすぎない。世界は法律の条文だけで成り立っているかのようである。
第二に、単なる形式的説明が多い。例えば次のような記述が基本的な内容となっている。
「我が国の憲法は、第三六条において、公務員による拷問及び残虐な刑罰を絶対的に禁止している。また、本条の精神に沿う憲法の規定として、第一三条及び第三八条がある。これらの憲法の下に、刑法は、特別公務員暴行陵虐罪及び特別公務員暴行陵虐致死傷罪等を定めており、これらの罪については、通常の刑事手続きのみならず、刑事訴訟法第二六二条から第二六九条までに規定する特別な刑事手続きによっても適正な裁判が保障されている。」(パラグラフ二)
「憲法第三六条は、『公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる』と定め、憲法第九九条は、公務員が憲法を尊重し擁護する義務を負うことを規定している。また、国家公務員法第九八条第一項及び地方公務員法第三二条等は、公務員の法令遵守義務等を定めており・・・」(パラグラフ五五)
報告が条文引用と形式的説明を基本内容としているのは、今回が第一回報告なので、日本における関連法規と制度の全体像を示そうとしたためであり、それなりの合理的理由がある。とはいえ、条文を全文引用したうえに、同じことを繰り返しているところが目立つ。趣旨を敷衍しているのではなく、繰り返しているだけである。
法の残骸
単なる条文の引用や形式的説明ではない、やや実質のある記述は、報告末尾の「その他」である。
第一に、NGOとの協力について「民間団体との意見交換の機会を適宜持つなど建設的な関係の構築に努めていきたい」(パラグラフ一三八)としている点は、実現を期待したい。
第二に、代用監獄について、拷問等禁止条約第一条一にいう「『合法的制裁』に該当するものであり、いわゆる代用監獄への収容自体は、本条約にいう拷問に当たるものではない」とし、捜査担当官と留置担当官の分離を説明している(パラグラフ一四二)。「合法的制裁」論については、言葉の問題なので取り上げないとしても、ここでは代用監獄への収容自体とその運用による拷問的処遇の問題が巧みに隠蔽されている。仮に収容「自体」が拷問でないとしても、代用監獄収容状況を利用した心理的拷問、収容状況を利用した密室長時間取調べ、取調べにおける心理的抑圧、そして物理的暴力が長年にわたって指摘されてきた。
第三に、拷問被害者による個人通報制度については、司法権の独立との関連で問題が生じるという奇妙な説明を繰り返している(パラグラフ一四四)。
第四に、死刑は「合法的制裁」であり拷問ではなく、絞首刑は「他の方法に比して人道上残酷な方法とは考えられず」としている(パラグラフ一四五)。死刑そのものの残虐性を無視している上、死刑確定者の処遇問題にも言及がない。こうした重要な論点に気づいていないとはおよそ考えられない。あえて無視しているのであろう。
第五に、戒具や保護房については、関係法令に基づいて適切に使用されているとしつつ、名古屋刑務所事件で問題となった革手錠については二〇〇三年一〇月一日から廃止し、新型手錠を採用したとする(パラグラフ一五二)。しかし、革手錠がなぜ問題だったのか、名古屋刑務所事件における使用方法の問題なのか、革手錠自体の問題なのか、詰めていない。
第六に、独居拘禁について、建前を並べた上で「ごくわずかながら、やむを得ず独居拘禁の期間が長期にわたる例が見られる」(パラグラフ一五五)とする。しかし、一〇年を超える異常な独居拘禁の実例も幾度も指摘されてきたのに、具体的な数字を示していない。
日本政府報告を貫く思想は、背伸びした高校生のようなまったくの素人が作成したのでないとすれば、そこに法律の条文が存在することに意味を見出すだけの歪んだ法律実証主義である。近代法原則を裏打ちした法の理念や価値が脱色されているため、寒々とした法の廃墟で残骸を寄せ集めているにすぎない。