国会・事故調査委員会報告書に続いて、政府・事故調査報告書が公表されました。東電・報告書、民間報告書とあわせて4つの報告書がそろったという趣旨で報道しているメディアもあります。
今朝の東京新聞は、結局どの報告書も事実解明ができていない、それはなぜか、原子力はもともと人間がコントロールできないからではないのか、という批判的コメントをしています。
政府・報告書の方法論的特徴は2つあります。
第1は、畑村・失敗学です。失敗学の第一人者である畑村ですが、残念ながら、失敗に学ばない失敗学でしかない疑いがあります。理由は次の第2に。
第2は、調査開始段階から「責任追及はしない」と明言して始められた調査であるということです。事実解明をして、原因を明らかにし、再発防止をするのが失敗学だそうです。ここで欠落しているのは、責任追及と、被害者救済です。政府・委員会にそのような問題意識がないわけではないでしょう。しかし、報告書の論理は、この2点を意図的に希薄化させたものでした。
失敗学という名称を使うかどうかはともかくとして、重大事故の調査は、当然のことながら、事実解明、原因探求、責任追及、教訓・反省、被害者救済・補償、再発防止をセットにしたものでなければなりません。
その意味では、政府・報告書は、国会事故調査委員会報告書よりもレベルの低いものにならざるを得ませんでした。
(畑村、吉岡等のメンバーをそろえたことにより、従来の政府報告書よりはずっとすぐれた報告書ができたという評価がありえます。反対するつもりはありません)