Friday, July 20, 2012

刑事司法とマスメディア


刑事司法とマスメディア



『救援』456号(2007年4月号)





 浅野健一『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、一九八四年[新風舎文庫、二〇〇四年])の問題提起からやがて四半世紀を迎えようとしている。浅野健一「犯罪報道改革でジャーナリズムの再生を――黙殺される匿名報道主義」(『マスコミ市民』二〇〇七年三月号)は、匿名報道主義の提唱から現在までを振り返っている。報道被害者、記者、法律家を中心に大きな反響を呼び、報道のあり方を見直すための市民運動も広がった。「南海日日新聞」などの実践例もある。しかし、マスコミ現場は変わろうとしない。それどころか「文化人」を動員して実名報道擁護、現状維持の論調がはびこっている。報道被害は広がり、いっそう悪質になっているようにすらみえる。近年の刑事司法改革、とりわけ裁判員法の登場によって、問題はますます深刻になっている。



比較刑事法



 渕野貴生(静岡大学助教授)『適正な刑事手続の保障とマスメディア』(現代人文社、二〇〇七年)は、これまでの議論を踏まえて、刑事手続きとマスメディアの関係を刑事訴訟法学としていかに把握し、解決するのかを課題とする。刑事司法とマスメディアの問題は、マスメディアの側での自主的解決が期待されるが、刑事司法のあり方も大きく変容していかなくてはならない。

 渕野は、①報道機関の改革の動きは散発的で依然として鈍いこと、②当初の改革の意義やインパクトが時間の経過によって薄れてきたこと、③権利侵害の救済、防止策をめぐる法的な議論が不十分であること、④プライバシーだけではなく、被疑者・被告人の適正手続を受ける権利の侵害に焦点を当てる必要があることを指摘して、二つの課題を掲げる。

①犯罪報道によって適正手続を受ける権利がいかなる点でどのように侵害されるのか、②権利侵害に対して刑事手続上どのような対応が可能でありまた必要なのか、を明らかにすることである。

渕野は、まずアメリカにおける「公正な裁判と表現の自由」論の展開を丹念に追跡する。これまでも憲法学において表現の自由を中軸にした研究の蓄積があるが、刑事手続の現実に即した研究は十分とはいえなかった。渕野は、予断法理が確立して以後の状況として、予断発生後の事後的救済がどのような基準でなされるのかを検討し、予断発生の防止と報道の自由との関係をアメリカの判例分析を通じて解明する。そのうえで手続の公開制限の可否や、手続関係者の情報提供の規制のあり方を考察し、「適正手続侵害の構造」を「予断発生行為か、予断発生結果か」と問い直し、適正手続侵害に対する法的対応として、陪審員に対する働きかけ、公判の延期、裁判地の変更、報道機関に対する直接規制、手続関係者による情報提供に対する規制について検討している。

次に渕野は、ドイツにおける犯罪報道と公正な刑事手続をめぐる議論を検証する。ドイツの議論は、権利侵害の構造に関連して、まず保護されるべき権利は何かから始まる。ここでは肖像権、匿名を求める権利、社会復帰の権利、無罪推定法理、公正な刑事手続を受ける権利、さらには一般的人格権が問題となる。無罪推定法理と公正な刑事手続を受ける権利は重なりを有しながらも異なる射程をもつ。権利侵害は、捜査機関の関与によるものと、被疑者らの身元の特定(実名報道)とに分けられ、それぞれ検討される。そのうえで犯罪報道の問題としては、憲法上の「私人間効力」の問題として再検討が迫られる。というのも、マスメディアも被疑者らも「私人」だからである。ドイツの議論は、無罪推定法理の保障についても「基本権の保護義務論」を及ぼす方向に向かっている。報道機関と被疑者ら(被侵害者)の二者の対抗関係で把握するのではなく、報道機関、被疑者ら、国家の三者の関係として把握し直して、国家の基本権保護義務を論じるのである。さらに、予断発生防止策については、処罰と予防効果の観点を見直し、裁判所侮辱罪、民事法上の一般予防、裁判の非公開を検討している。



両当事者対等報道



以上の比較法研究を踏まえて、渕野は「権利侵害の構造論」に立ち戻って考察する。犯罪報道による具体的な侵害は、被疑者らの公平な裁判所による公正な裁判を受ける権利の侵害である。これは陪審員だけでなく職業裁判官による裁判についても言える。予断発生のおそれの判断にあたっては、権利救済の実効性、公正な裁判を受ける権利の意義を確認するべきであり、憲法三一条違反の問題として理解される。とすれば、国家の積極的侵害行為の禁止だけではなく、被疑者らに結果としての適正手続の保障を受ける権利を保障しなければならない。

渕野は、適正手続きを保障する法的手段として、手続打切りの必要性が生じる可能性を射程に入れつつ、予断を有する事実認定者の排除として、裁判官に関する忌避の見直し、裁判員の不選任制度を検討する。さらには、裁判地の変更、裁判公開制限の妥当性・有効性を検討する。

 最後に渕野は、両当事者対等報道モデルを提唱する。公正な裁判を受ける権利、表現の自由、市民の知る権利を実質的に損なわず、予断的報道を規制するために、第一に「個別の刑事事件や刑事手続きについて報道する場合には、捜査・訴追機関側だけの主張だけではなく、必ず被疑者・被告人側の主張も同時かつ並列的に報道する」。第二に「両当事者の主張はあくまで主張にすぎず、確定した事実ではないということが明確に分かる書き方をする」。第三に「両当事者の主張を伝達する部分と報道機関自身の意見を述べる部分をはっきりと区別して報道する」。渕野は、両当事者対等報道モデルは起訴状一本主義の精神との関係でなお問題を孕むことを認めつつ、黙秘権についての正確な理解、疑わしきは被告人の利益原則の組み込みによって、実質的対等をめざす。

結論は、ある意味で平凡である。これまで人権と報道をめぐって論じられてきたテーマに、何度も繰り返されてきた解決策を繰り返しているにすぎないかもしれない。しかし、現実の報道が深刻な人権侵害を重ねている現在、同じ結論を、比較法的知見や実証的検討を通じて、刑事法の側からのアプローチとして詳細に展開していることに大きな意義がある。