デモサイドの時代
『救援』468号(2008年4月号)
死刑の比較分析
アメリカン大学のリタ・サイモンとダグニィ・ブラスコヴィッチの『死刑の比較分析--世界各地の法令、政策、執行頻度、公共の態度』(レキシントン書店、二〇〇七年)は、法律上の死刑相当犯罪、世論の状況、執行方法、死刑を免除される人の類型などを比較している。第一章「宗教と死刑」、第二章「死刑廃止国・存置国」、第三章「死刑についての世論」、第四章「抑止」、第五章「無罪の推定」、第六章「ジェノサイドとデモサイド」からなる。第五章までは新味はないが、統計、新聞記事、著作など最新情報を追跡して歴史的経過と現状を対比している。
彼女たちは、例えば、アメリカの世論調査について一九三六年(賛成六二%、反対三三%)以後、六〇年間の四四回の調査結果を紹介している。死刑賛成が五割を切ったのは四回(一九五七年、六五年、六六年、七一年)、七割を超えたのは一六回(一九八二年~九六年)である。東欧諸国ではロシア(七〇%、九七年)、ウクライナ(九五%、九五年)、ブルガリア(八二%、九六年)、ポーランド(六〇%、九六年)であるという。
死刑廃止後の殺人事件発生率について、前後一年と五年の結果を紹介している。一年幅の調査で大きな変化のあったのが、フィンランド(三一%減)、イスラエル(五七%)、スウェーデン(六五%)、スイス(二一%)である。あまり変化のなかったのが、オーストリア、イングランド・ウェールズ、イタリア、デンマーク(一~五%の変化)などである。五年幅の調査では、オーストリア(一五対五)、カナダ(五対六)、デンマーク(九対二)、イングランド・ウェールズ(一四対七)、フィンランド(二二対一八)、イスラエル(一〇対二四)などである。調査方法や目的の異なる統計を直接比較できないが、議論の手がかりを得るためにあえて数値のみの比較を行っている。
無罪の推定については、アメリカにおけるDNA鑑定によって誤判と判明した事例を紹介している。誤判原因としては、二〇五件のうち、証人の誤認(一〇〇)、証人の偽証(二一)、捜査当局の過失(一九)、単純ミス(一六)、強制自白(一六)、でっちあげ(八)、捜査当局による偽証(五)、前歴の誤認(三)、法医学の誤り(三)、その他(一四)としている。誤判原因は輻輳的な場合が多いので、一つの原因に特定できるのかは疑問であるが、あえて単純化している。興味深いのは証人の誤認が圧倒的に多く、強制自白が少ないことである。日本では圧倒的に強制自白が問題となる。
デモサイドとは
サイモンとブラスコヴィッチは「ジェノサイドとデモサイド」と題した第六章において、主に国家による大量殺人を取り上げている。デモサイドという言葉は、ジェラルド・スカリー『国家による殺人』に由来するようだ。スカリーによると、国家が普通の住民を殺すのがデモサイドであり、少数者を殺すのがジェノサイドだという。
ジェノサイドは、特定の集団の全部または一部破壊する目的を持って行う殺人などの行為を指す。集団に焦点を当てた概念である。最初のジェノサイドは一九一五年にトルコがアルメニア人を殺害した事件とされる。スターリン時代の大量殺人、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害、毛沢東時代の大量殺人も列挙している。
スカリーによると、国家による殺人は、一三世紀には三二二〇万人(当時の人口の八・九%)、一四~一五世紀には蒙古によって三〇〇〇万人、一七世紀には二五六〇万人、一九世紀には四四四〇万人(三・七%)、二〇世紀には七・三%だという。
彼女たちは、二〇世紀にジェノサイドまたはデモサイドを行なった国家をまとめている。デモサイドは、例えば、アフガニスタン(一九七八年~八七年、二二万八〇〇〇人)という具合に時期と犠牲者数が掲げられている。主な国名だけ列挙する。アルバニア、ブルガリア、ビルマ、カンボジア、中国、キューバ、チェコスロヴァキア、東ドイツ、ハンガリー、朝鮮、モンゴル、ポーランド、ルーマニア、ソ連など(以上は旧共産圏)、アルジェリア、アンゴラ、ブルンジ、中央アフリカ、コンゴ、ギニア、ケニア、リベリア、リビア、モザンビーク、ナイジェリア、ルワンダ、南アフリカ、スーダン、ウガンダなど(アフリカ)、エルサルバドル、グレナダ、グアテマラ、ハイチ、ホンデュラス、メキシコ、ニカラグア、アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビアなど(中南米)、バングラデシュ、インド、インドネシア、イラン、イラク、韓国、パキスタン、フィリピンなど(アジア中東)、キプロス、フランス、ドイツ、ギリシア、イタリアなど(欧州)。
過去にデモサイドかジェノサイドを行って死刑を廃止した国家は、キプロス、チェコスロヴァキア、フランス、ドイツ、ギリシア、ハンガリー、イタリア、ルーマニア、スペイン、トルコ、イギリス、アンゴラ、ブルンジ、中央アフリカ、コンゴ、ギニア、南アフリカ、ザンジバル、アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、エルサルバドル、グアテマラ、ハイチ、ホンデュラス、メキシコ、ニカラグア、パラグアイ、ペルー、ウルグアイ、ビルマ、カンボジア、イスラエル、フィリピン、スリランカである。一覧表にはないが、アメリカについては一九世紀のリンチが取り上げられている。もっともヒロシマ・ナガサキ、朝鮮戦争、ベトナム戦争は取り上げられていない。日本については、第二次大戦時におけるアジア侵略と虐殺を取り上げている。オーストラリアのアボリジニ迫害、占領下の東ティモールなども扱っている。
以上が彼女たちのデモサイド論である。様々な読み方が可能だが、ここでは次の二点を指摘しておきたい。
第一に、デモサイド概念は、国家は自国民を守らないことを明確にした。沖縄戦の教訓から言って軍隊は国民を守らないが、そもそも「国家は国民を殺す」のである。国民を殺した国家の一覧表は作れるが、国民を守った国家の一覧表を作ることはできるだろうか。普通の国家は国内において国民を殺し、少数者や外国人を殺し、余裕があれば外国に出かけて殺す。死刑はその一つの手段に過ぎない。
第二に、デモサイドやジェノサイドを行ったが故に死刑を廃止した国家が三六カ国ある。事実を認めて反省すれば死刑を廃止できるが、事実を隠蔽し責任逃れをしている国は死刑を廃止しないだろう。