国際人権メカニズムの現在(二)
『統一評論』527号(2009年9月)
前回紹介したように、国際人権機関は、国連憲章に基づく機関と、人権条約に基づく機関に大別される。
Ⓐ憲章に基づく人権機関--人権理事会(旧・人権委員会)とその下部機関である諮問委員会(旧・人権小委員会)
Ⓑ条約に基づく人権機関--社会権規約委員会、自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会、女性差別撤廃委員会、子どもの権利委員会、拷問禁止委員会など
今回は、条約に基づく人権機関を中心に概要を見ていくことにする。
二つの国際人権規約
世界人権宣言採択後、国際社会は、宣言から一歩踏み出して、拘束力のある人権条約(convention)をつくることにした。その結果作成されたのが、一九六六年一二月一六日に国連総会で採択された二つの国際人権規約である。規約(covenant)は、条約と同じで、各国の署名や批准の対象となり、批准した国家には遵守義務が生じる。例えば、国内の人権状況に関する報告書を提出して規約人権委員会における審査を受けることである。審査を通じて各国の人権状況を改善することが狙いである。
なお当時は、世界人権宣言は宣言にすぎず、拘束力がなかった。その後、世界人権宣言は国際慣習法の地位を獲得し、拘束力があると一般に考えられるようになった。
国際人権規約を起草した国連人権委員会は、当初は一つの人権規約をつくる予定だった。西欧諸国がリードして作成した草案は、精神的自由や政治的自由が基本的な柱となっていた。これに対して、主に第三世界の各国から、むしろ経済的自由や社会的自由を重視するべきだという提案がなされた。精神的自由を保障する以前に、経済的権利を保障しなければ、人々の暮らしが成り立たないからである。検討の結果、二つの人権規約が作成されることになった。
①「経済的社会的文化的権利に関する国際規約(ICESCR)」(以下では「社会権規約」)。日本では「国際人権規約A規約」と呼ばれるが、これは日本独特の呼び方である。
②「市民的政治的権利に関する国際規約(ICCPR)」(以下では「自由権規約」)。日本では「国際人権規約B規約」と呼ばれる。
社会権規約は三五カ国の批准をまって効力を生じることとされ、一九七六年一月三日に発効した。なお、日本政府が批准して、日本について効力を生じることになったのは、一九七九年九月二一日である。
自由権規約も三五カ国の批准をまって効力を生じるとされ、一九七六年三月二三日に発効した。日本についての効力は社会権規約と同じ一九七九年九月二一日に生じることになった。
国際人権規約は、世界人権宣言が掲げた理念をより具体的に実現することをめざした。そのための手続き規定が「実施措置」として整備された。社会権規約の場合は、報告提出義務、一般的勧告に関する意見の提出、国際的措置としての地域会議や国際会議の開催などが定められた。後に国連経済社会理事会の決議によって社会権規約委員会が設置された。自由権規約の場合は、締約国に報告書提出を義務づけ、その報告書の審査のために自由権規約委員会が設置された。社会権規約委員会や自由権規約委員会は各国政府の報告書の審査を継続している。
社会権規約
一九六六年の国連総会は、国連憲章と世界人権宣言がめざした人権保障の国際体制を形成するために、①社会権規約を採択した。社会権規約は全五部三一条からなる。
第一部は「人民の自決権」を規定した第一条のみである。「すべての人民は自決の権利を有する」。すべての人民は政治的地位の決定、経済的社会的文化的発展を自由に追求することができる。天然の富や資源を自由に処分する権限も人民の自決権の内容である。
人民の自決権は、帝国主義によって分割された世界の人民が植民地からの解放を求めて闘った際のキーワードである。世界人権宣言には盛り込まれていないが、国連憲章第一条二項も人民の自決の原則を掲げているし、自由権規約第一条も社会権規約第一条と同文である。国際法において人民の自決権は基幹をなす概念とされている。人民の自決権の主体は人民であって、個人ではない。人民の自決権が個人を主体とする国際人権法の冒頭に掲げられているのは、個人の人権を実現するための大前提として人民の自決権を保障しておく必要があるからだ。
第二部は一般規定である。締約国は規約上の権利の完全な実現を漸進的に達成するための措置をとる義務があり(第二条)、規約上の権利の保障については男女同権であり(第三条)、権利を制限できる場合と方法が明示されている(第四条)。「漸進的」とあるのは、発展途上国においては、経済的社会的権利を十全に保障することが困難な場合も少なくないので、漸進的に努力する義務としたのである。
第三部は実体規定である。締約国は労働の権利を認め、その保障のための措置をとる。労働の権利には、すべての者が自由に選択・承諾する労働によって生計を立てる機会を得る権利を含む(第六条)。同一価値労働同一報酬、安全かつ健康的な作業条件など公正良好な労働条件を享受する権利(第七条)。労働組合の権利や同盟罷業の権利などの労働基本権(第八条)。社会保険その他の社会保障の権利(第九条)。家族に対する保護及び援助(第一〇条)。食糧、衣類、住居など相当な生活水準の権利(第一一条)。身体及び精神の健康を享受する権利(第一二条)。初等・中等・高等教育を含む教育の権利(第一三条)。無償の初等義務教育の漸進的実現(第一四条)。文化的生活に参加する権利(第一五条)。諸権利の主体は「すべての者」とされている。外国人についての保障に関する留意規定(第二条三項)があるが、基本的にはすべての個人についての権利保障規定である。
第四部は、実施措置である。締約国は規約上の権利に関する報告書を国連事務総長や専門機関に提出する(第一六~一八条)。報告書は国連人権委員会に送付されることがある(第一九条)。締約国は一般的勧告に関する意見を提出する(第二〇条)。その他、権利実現のための国際的措置などが規定される(第二一~二五条)。
第五部は、最終規定であり、署名・批准、効力発生、改正などの手続きを規定している(第二五~三一条)。
社会権規約は、批准した締約国の国際法上の義務を規定している。その必然的な反映として個人の諸権利が実現されるという構成である。人民の自決権を大前提としているが、人民と個人の位置づけは必ずしも明瞭とはいいがたい。自国民に対しても漸進的に実現するにとどまるから、外国人に対してはむしろ制約原理とされることもないとはいえない。とはいえ、国際協力により各国が社会権を漸進的に実現する仕組みを創出した意義は大きい。
社会権規約委員会の勧告
日本政府は、一九七九年に批准した。その後、二回にわたって社会権規約委員会に報告書を提出し、審査を受けている。日本政府第二回報告書は、二〇〇一年八月に審査が行われ、同年九月二四日に社会権規約委員会から日本政府に勧告が出された。
勧告は、例えば、次のように指摘した。
「委員会は、日本社会において、少数者集団、とりわけ部落及び沖縄コミュニティー、先住性のあるアイヌの人々、並びに在日朝鮮人に対する、特に雇用、住宅及び教育の分野で法律上及び事実上の差別が存続していることに懸念を有する」(パラグラフ一三)。
「委員会は、主として民間の財源から資金が調達されている、アジア女性基金により『従軍慰安婦』へ提供された補償が、当該慰安婦によって受け入れられる措置とはみなされてきていないことに懸念を表明する」(パラグラフ二六)。
「委員会は、少数者の児童が、公立学校において、母国語による自らの文化についての教育を享受する機会が極めて限られている事実について懸念を表明する。委員会は、少数者の学校、例えば在日朝鮮人の民族学校などが、たとえそれが国の教育課程に沿うものであっても、公的に認められず、それゆえ、中央政府の補助金も受けられず、大学入学試験受験資格も与えられない事実についても懸念を有する」(パラグラフ三二)。
委員会は、次のような勧告をしている。
「委員会は、遅きに失する前に、『慰安婦』の期待に添うような方法で犠牲者に対して補償を行うための手段に関し、締約国が『慰安婦』を代表する組織と協議し、適切な調整方法を見い出すことを強く勧告する」(パラグラフ五三)。
「委員会は、かなりの数の言語的少数者の児童生徒が在籍している公立学校の公式な教育課程において母国語教育が導入されることを強く勧告する。さらに委員会は、それが国の教育課程に従うものであるときは、締約国が少数者の学校、特に在日朝鮮人の民族学校を公式に認め、それにより、これらの学校が補助金その他の財政的援助を受けられるようにし、また、これらの学校の卒業資格を大学入学試験受験資格として認めることを勧告する」(パラグラフ六〇)。
自由権規約
社会権規約と同じ一九六六年に国連総会が採択した②自由権規約は、全六部五三条からなる。
第一部第一条は「人民の自決権」規定であり、社会権規約と同じ文言である。社会権にしても自由権にしても、人民の自決権の上に成立することを二つの人権規約が確認している。
第二部は一般規定である。締約国による差別なき権利尊重、必要な立法措置、実効的な救済措置(第二条)、男女同等の権利(第三条)、緊急事態における権利の制限(第四条)などである。社会権規約と違って「漸進的」ではない。
第三部は実体規定である。生命に対する権利、死刑の大幅制限(第六条)、拷問や残虐な刑罰の禁止(第七条)、奴隷及び強制労働の禁止(第八条)、身体の自由、逮捕・抑留の手続き(第九条)、自由を奪われた者及び被告人の取り扱い(第一〇条)、契約義務不履行による拘禁の禁止(第一一条)、移動及び居住の自由、自国に戻る権利(第一二条)、外国人の追放の制限(第一三条)、公正な裁判を受ける権利、無罪の推定、上訴の権利、刑事補償の権利(第一四条)、遡及処罰の禁止(第一五条)、人として認められる権利(第一六条)、プライバシー、家族、住居への干渉・攻撃からの保護(第一七条)、思想・良心・宗教の自由(第一八条)、表現の自由(第一九条)、戦争宣伝及び差別唱道の禁止(第二〇条)、集会の権利(第二一条)、結社の自由(第二二条)、家族に対する保護(第二三条)、子どもの権利(第二四)、政治に参与する権利(第二五条)、法律の前の平等(第二六条)、少数者の権利(第二七条)である。
以上の諸規定を一見すれば、古典的な近代市民法における自由権の一覧と同様の規定が並んでいることが判明する。「国家からの個人の自由」を確保することによって、個人の主体的な自己実現を保護するものであるから、逆に言えば、無用な国家介入を禁止する規定である。国家と個人の関係を自由権という観点で位置付けたものである。社会権規約が「国家による個人の権利保障」を積極的に要求し、労働権の保護のように国家介入の必要な場合を明示していたのと対照的といえる。
第四部は実施措置である。条約の実施のための監視機関として人権委員会(Human Rights Committee。以下では「自由権規約委員会」)を設置する(第二八~三九条)。国連経済社会理事会に設置されていた人権委員会(Commission on Human Rights)とは異なるので、自由権規約委員会と略称される。人権委員会が自由権規約を起草し、採択された自由権規約に基づいて自由権規約委員会が設置されている。締約国には報告書提出義務があり、自由権規約委員会で審査を受ける(第四〇条)。締約国の義務不履行に対して自由権規約委員会が検討し、場合によっては特別調停委員会を設置する(第四〇・四一条)。条約の主体と義務の担い手は締約国である。
第五部の雑則や第六部の最終規定には社会権規約と同様の規定が並ぶ。
日本政府は、一九七九年に批准した。その後、五回にわたって報告書を提出し、審査を受けている。委員会による勧告については、本連載第一回(本誌二〇〇九年一月号)参照。
人権諸条約
一九四八年の世界人権宣言と一九六六年の二つの国際人権規約によってつくられた国際人権保障の枠組みは、その他の多くの人権文書によって補完されて、まとまった国際人権法体系として確立している。二つの国際人権規約と並んで、国際人権法の基本条約とされるのが、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、拷問等禁止条約である。
③人種差別撤廃条約--国連憲章、世界人権宣言、一九六〇年の植民地独立付与宣言、一九六三年の人種差別撤廃宣言を踏まえて、一九六五年一二月二一日に国連総会で採択された。人種差別の定義、締約国の差別撤廃義務、アパルトヘイトの禁止、人種的優越主義に基づく差別の禁止、法律の前の平等、人種差別に対する救済、人種差別に対する闘いと教育を掲げ、人種差別撤廃委員会(CERD)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、一九九六年に条約を批准した。
④女性差別撤廃条約--世界人権宣言、二つの人権規約、各種の国際専門機関の宣言を踏まえて、一九七九年一二月一八日に採択された。女性に対する差別の定義、締約国の義務、保障措置、性別役割に基づく偏見等の撤廃、公的活動における平等、経済的社会的差別の撤廃、法律の前の平等を掲げ、女性差別撤廃委員会(CEDAW)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、一九八〇年に署名し、一九八五年に効力を生じた。
⑤子どもの権利条約--二つの国際人権規約、一九二四年の子どもの権利宣言、一九五九年の子どもの権利宣言を踏まえて、一九八九年一一月二〇日に採択された。子どもの定義、差別の禁止、子どもの最善の利益、氏名・国籍の権利、アイデンティティの保全、親からの分離の禁止、意見表明権、各種の自由権、虐待からの保護、難民子どもの保護、教育権、性的搾取からの保護、少年司法の諸規定を掲げ、子どもの権利委員会(CRC)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、一九九四年に批准した。
⑥拷問等禁止条約--二つの国際人権規約、一九七五年の拷問禁止宣言を踏まえ、一九八四年一二月一〇日に採択された。拷問の定義、拷問の禁止、追放・送還の禁止、裁判権の設定、違反者の訴追、犯罪人引渡し、法執行官の教育、被害者が補償を受ける権利を掲げて、拷問禁止委員会(CAT)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、一九九九年に批准した。
自由権規約・人種差別撤廃条約・女性差別撤廃条約・子どもの権利条約・拷問等禁止条約は、いずれも条約監視機関としての委員会を設置している。唯一、社会権規約には委員会設置規定がなかったが、国連経済社会理事会は一九八五年に社会権委員会を設置する決議を行い、同様の委員会が設置されている。六つの基本条約の委員会は、締約国の報告書を審査して、人権状況改善のための勧告を出している。
以上の他にも、⑦自由権規約第一選択議定書(個人通報)、⑧第二選択議定書(死刑廃止条約)、⑨女性差別撤廃条約選択議定書、⑩子ども売買・ポルノ禁止選択議定書、⑪子ども兵士禁止議定書、⑫拷問禁止条約選択議定書、⑬アパルトヘイト条約、⑭奴隷条約、⑮人身売買禁止条約、⑯難民条約、⑰移住労働者家族権利保護条約、ILOの⑱強制労働条約、⑲強制労働廃止条約、⑳先住民条約、ユネスコの(21)教育差別禁止条約など多数の人権条約や宣言がつくられ、国際人権法体系をなしている。
さらに、二〇〇六年一二月には(22)障害者権利条約が国連総会で採択された。日本政府は二〇〇七年九月に署名したが、まだ批准していない。
人権条約以外に、人権宣言にも重要なものがある。一般的に言えば、人権宣言から人権条約への発展が説かれる。まずは拘束力のない人権宣言を制定して、概念の定義や権利の実質化を試み、一定期間の経過後に、人権条約を制定する方式がとられてきた。人種差別撤廃宣言から人種差別撤廃条約へ、子どもの権利宣言から子どもの権利条約へ、拷問禁止宣言から拷問禁止条約へというように。
今のところ宣言にとどまっているものもある。
一九九七年に国連総会で採択された(23)少数者権利宣言(民族的種族的宗教的言語的少数者の権利宣言)は、世界人権宣言の作成過程で削除された少数者の権利を再浮上させたものである。
二〇〇七年に国連総会で採択された(24)先住民族権利宣言は、世界の先住民族の待遇を改善するための重要な基準である。
グローバル市民社会
世界人権宣言に始まる国際人権法の形成を駆け足で見てきたが、いくら人権条約がつくられても、それだけで世界の人権状況が変わるわけではない。むしろ、人権条約の実際の効力を吟味しておく必要がある。
人権条約の実際の効力を見るには、第一に、条約上の義務である報告書の提出および委員会による審査と勧告の実際はどうなっているのかが重要である。第二に、締約国が国内において人権条約をどのように履行しているかも重要である。行政がどのような取り扱いしているのか。裁判所が人権条約を適用しているのかどうか。いずれも国家政策が問題になるから、国際人権法といっても「なんだ国際法の主体は国家なのか」と思われるかもしれない。確かに、二つの国際人権規約もその他の人権条約も、国家群の集合体である国際機関が採択し、国家がこれを批准して、国家の義務として報告書を提出し、委員会の審査を受けるという意味では、手続きの主体は国家である。
しかし、国家だけが手続きの主体となるわけではない。
第一に、それぞれの条約委員会は人権法の専門家によって構成される。
第二に、自由権規約第一選択議定書のように個人通報制度がいくつもつくられている。人権侵害被害者が人権条約に救済を求める途である(ただし、日本政府はいかなる個人通報制度も受け入れていない)。
第三に、人権NGO(non-governmental organization 非政府機関)である。
国連はもともと「連合国(United Nations)」である。国際連合というのは訳語ではなく、日本外務省の「創作」である。連合国と戦争をして敗れたうえ、連合国に占領統治された日本が、戦後になって「連合国(The United Nations)」に加盟したのだが、同じ連合国という用語を避けて国際連合としたのであろう。
国連において、国連総会や安保理事会は国家の独壇場であるが、経済社会理事会はむしろNGOの参加を奨励してきた。そこで経済社会理事会は、一定の要件を満たしたNGOに協議資格を認めてきた。協議資格のあるNGOは、国連人権委員会(現在は人権理事会)や各種の条約委員会に参加してロビー活動を展開することができる。また、協議資格のないNGOも、各種の人権条約の委員会に参加したり、世界会議に参加することができる。人権、人道、医療、食糧支援、教育などの分野では、各種のNGOが多大の活動をしてきた。国際社会の枠組みや国際人権の展開は、NGOの存在抜きに語ることができない。いまやグローバル市民社会が形成されつつある。
ヴォランティアの個人の集合体であるNGOが、国際社会の不可欠の存在となり、国際法に確かな地歩を占めている。人権規範の設定や、人権条約の履行や、人道支援の現場で、誰から命じられたわけでもなく、何ら特別の権限もなく、人権法と人道法の価値と理念を実現するために活動するNGOが飛躍的に増加している。
もっとも、人権NGOにも問題がないわけではない。
第一に、政府系NGO(GONGO)である。すでに一九九五年の北京女性会議に際して、政府官僚がNGO代表として登場し、自国政府のサポートをしたことが問題として指摘された。その後も、NGOの仮面をつけながら特定政府の代弁をする例が散見される。逆に、ある政府の意を受けたNGOが、他の政府を非難する玲も出てきた。
さらに、もとはNGOであっても政府資金による援助を受給した場合に、その行動様式に疑念がもたれるような場合も指摘されてきた。
第二に、世界的ネットワークを有する巨大なNGOと、地域限定の小さなNGOの利害である。それは同時に欧米中心主義の問題でもある。世界的なネットワークを有する欧米のNGOが、第三世界の人権問題を扱う際の手つき、議論の立て方が反発を招くこともある。
第三に、取り扱うテーマ間のすれ違いである。例えば、この間の刑事立法で問題となっている共謀罪法案の根拠とされている越境組織犯罪対策条約の検討過程において、人身売買の国際的規制を要求するNGOは、刑事司法の人権保障原則よりも効率的な規制措置を主張するという形で、人権と人権の擬似的対立が生じてしまうことがある。
こうした問題を孕みつつも、グローバル市民社会が確実に姿を顕わして来ている。