Friday, September 13, 2013
ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』
ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』(不磨書房)
私も執筆者の一人だが、出版されてはじめて他の著者の文章を読んだ。ほぼ同じ考えの持ち主による共著と言えばそうなのだが、私は、編者である「ポルノ被害と性暴力を考える会」会員ではないため、一度も会ったことのない共著者、一度しか会ったことのない共著者などもいる。一読しておもしろかったのは、私が言おうとしてきちんと表現できていなかったことが、すでに他の著者によってはっきりと表現されていることだ。イダヒロユキは「主流秩序」(私たちを取りこみ縛っている価値と規範の序列体系)というキーワードを用いて、ジェンダー秩序、性差別秩序が差別や抑圧をもたらしていると見る。イダは、会田誠の作品について「主流秩序の価値観をなぞった平凡な作品にすぎず、そこに深い批判性などない」「会田作品はアイキャッチャー的に若い女性の体を利用しているだけ」と述べる。私が「別にタブーに挑戦しているわけではないのです。ポルノ大国において通有しているポルノ容認の価値観にどっぷり浸かっているだけです」「才能がないからポルノに走る」と述べたことを、理論的に整理してくれたものと言える。イダはまもなく『主流秩序――囚われの正体と責任、そして離脱の方法』という本を出版する予定だという。梅山美智子は、男性雑誌編集者だった経験をもとに、雑誌がどのような男性目線で作られていくかを明らかにしている。岡野八代は、女性差別のヘイトクライムを鋭く切開し、尊厳を守るとはどういうことなのかを説く。日本におけるヘイトスピーチ論議では、被害が起きているのに被害とは認めないのが主流である。どんなひどい差別発言でも「被害はない。表現の自由だ」というのが憲法学の決まり文句である。岡野はまず被害の所在を明確にして議論をしている。私は「ジェンダー・ヘイトスピーチ」について考えてきたが、岡野論文に学んで再考したい。西山千恵子は、性の政治と「芸術」の特権性を取り上げ、公園などに堂々と設置されている女性ヌード彫刻の意味を考え直し、「芸術における女性への暴力」を問う。森田成也は、近代法における古典的な表現の自由と、そこから発展した現代における表現の自由の歴史的意味と法的意味を整理して、「表現の自由」派が、そもそも表現の自由をまともに理解していないことを厳しく批判する。まさに私が主張してきたことと重なる。そのほか、討論集会の記録や、関連連資料も収録されている。
著者:イダヒロユキ(立命館大学大学院先端総合学術研究課非常勤講師)、梅山美智子(フリーライター)、岡野八代(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科・教員)、角田由紀子(弁護士)、西山千恵子(青山学院大学・慶應義塾大学非常勤講師)、前田 朗(東京造形大学教授)、宮口高枝(ヒューマン・サービスセンター理事/劣化ウラン廃絶港ネットワーク代表)、森田成也(駒澤大学・國學院大学非常勤講師)、宮本節子(フリー・ソーシャルワーカー)、横田千代子(社会福祉法人ベテスダ奉仕女母の家/婦人保健施設「いずみ寮」施設長)