Wednesday, September 04, 2013
古代史のなぞ:継体天皇とは誰か
水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』(文春新書)
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古代史ファンには、邪馬台国、応神・仁徳などいくつもの謎があり、論争があり、楽しい研究が続いているが、継体天皇も楽しめる謎だ。どう考えても、王朝が交替しているので、大和で何があったのか、越前の継体がなぜ天皇になれたのか、どんな人物だったのか、は昔からよく議論されてきた。古代文献史学では論じつくされたことだが、禁煙は考古学の進展により新たな発見、新たな論点が次々と登場している。本書でも、もともと文献史学研究者の著者が、考古学研究の成果を渉猟し、文献史学と考古学研究の総合を図っている。いまや古代史研究は文献史学だけではどうにもならない。著者は、仁徳系王統はほろんだとし、その理由を単に男子継承者が生まれなかったことだけではなく、経済力や国際関係の中で検討する。王統のライバルだけではなく、大和の豪族たちの盛衰(葛城、平群、大伴、物部、蘇我など)、そして越前の豪族や九州の豪族、さらには朝鮮半島との関係(権威、文化文明など、冠と大刀等)を総合的に検討している。その力関係の推移の帰結として、継体天皇を引き立てる力がこの時期に変革を実現したものとみる。また、直接証拠はないが、継体天皇は、一時期、朝鮮半島に渡っていた可能性が高いと見る。百済文化こそが当時の力の源泉という一面もあったという。
おもしろかったのは、「氏名」のエピソードだ。第1に、著者によると、日本にはもともと「氏」と「名」がなく、名前だけだったのが、5世紀後半に百済文化の影響で「氏」と「名」ができたという。第2に、中国では古代から「李」「王」など姓が一文字だが、日本では「大伴」「物部」のように二文字だ。これは、百済文化の影響だという。百済では二次姓が多かったという。朝鮮半島の姓は「金」「李」「朴」など一文字と思い込んでいると、古代史の常識と違うことが分かる。つまり、氏名をつけることも、姓を二文字にすることも、日本は朝鮮半島をまねたということだ。これが日本の伝統!(笑)