ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、アンディー・ピープルズ『ジョン・レノン ラスト・インタビュー』(中公文庫)
非国民シリーズでジョン・レノンのことを書くので記憶喚起のために数冊、ジュネーヴに持って来て、本書をバーゼルからの電車の中で読んだ。その間に、ヨーコが病院に運ばれていた。ヨーコも83歳か、と驚いた。ジョンがぼくより15歳上で、ヨーコはジョンより7歳上だから、いまさら驚くべきことではない。
1980年12月8日、ジョンはニューヨークの自宅前で射殺されたが、その2日前に、アンディーがジョンとヨーコに行ったインタヴュー記録が本書である。
70年代前半、ベトナム反戦運動の先頭に立ったジョンは、「ギブ・ピース・ア・チャンス」「パワー・トゥー・ザ・ピープル」「イマジン」で世界の平和運動に大きな影響を与えた。ぼくらもジョンのPEACE BED戦術と、大看板「war is over」に驚かされた。世界最強の帝国とたたかったジョンは、FBIに付け狙われ、国外退去にあいそうになりながら、法廷闘争を続けた。ニクソンやフーバーとの闘いはニクソン失脚で決着がついた。映画『PEACE BED アメリカ対ジョン・レノン』はその軌跡を追いかけている。
そして、ショーンの誕生以後、5年間、音楽活動を止めて育児、家事に専念したジョンは5年後、『ダブル・ファンタジー』で蘇る。だが、12月8日の悲劇が待っていた。
インタヴューは2人の出会い、『ウェディング・アルバム』、イマジンのこと、活動の再開のことを中心に、仲間のミュージシャンたちのこと、ビートルズのこと、これからのことに、及ぶ。これからのこと、失われたジョンのこれからのことだ。
あれから36年、ヨーコは一人でジョンの夢を追いかけ続けた。いや、ジョンの夢を追いかけるぼくらの先頭を走り続けたのか。いや、ジョンの夢ではなく、ジョンとヨーコの夢を。
本書の訳者は池澤夏樹。1981年当時、この訳者のことは知らなかったし、関心がなかった。中公新書版が出た2001年、訳者は既に有名作家だった。いま、この作家は個人的に信用できないと思い、ほとんど読まないが、世間では相変わらず人気作家のようだ。本書の訳もとても読みやすい。1945年生まれだから、やはりビートルズ狂だったのだろう。もっとも、中公新書版には「沖縄在住」とあるが、なぜ沖縄在住となり、その後なぜ沖縄在住でなくなったのか、そこが問題だ。
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Ismaro, Merlot,Ticino,2011. ティチーノのブルーラベル、そしてブルーチーズ、安物なのにご機嫌な香り。
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Ismaro, Merlot,Ticino,2011. ティチーノのブルーラベル、そしてブルーチーズ、安物なのにご機嫌な香り。