Wednesday, August 28, 2013

キルヒナー美術館散歩

ダヴォス・プラッツ駅からタル通りを北東にしばらく歩くとスポーツセンターに出る。左折してクルガルテン通りの坂道を登るとキルヒナー美術館だ。サンモリッツのセガンティーニ美術館が石塔で、小さいながら荘厳な印象を与えるのに対して、キルヒナー美術館は都市を描いたキルヒナーにふさわしいモダンな建物である。                                                                                                            ドイツ表現主義の代表格のエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(1880~1938年)はバイエルン出身のドイツ人で、ミュンヘンで絵画を学び、ドレスデンで「グループ「ブリュッケ」を創設し、新しい絵画を目指した。「ブリュッケ」には、ヘッケルやカール・シュミット(政治学者ではない)、ペヒシュタインがいた。後に、カンディンスキーやマルクらの「青騎士」にも加わっている。ベルリンなど都市の通りと人々を描いた作品で有名だ。「街」(1913年)「街の5人の女」(1913年)「兵士としての自画像」(1915年)などは有名だ。下記のサイトの上の3作品もその時代のものだ。                                                                                                                   http://pro.tok2.com/~art/K/Kirchner/Kirchner.htm                                                                                                                                  下記には多数の作品が無秩序に並んでいる。                                                                                                                             http://www.kunstkopie.de/a/kirchner-ernst-ludwig.html/&pid=999?gclid=CNmf0a_poLkCFYRP3godQCsABQ                                                                                                                                   しかし、第一次大戦後、病気療養のためスイスのダヴォスに移った。いまは世界経済フォーラムという世界資本の談合会議が開かれることで知られるダヴォスは、結核などのサナトリウムの町だったからだ。キリヒナーは生涯ダヴォスに住むことになった。ダヴォス移住後も、画風は基本的には同じと言えるが、それ以前は都市の表通りと華やかな人々を描いていたのが、ダヴォスを中心としたグラウビュンデンの風景画を多く描くようになった。人を描く場合も、アルプス地方の地味で落ち着いた女性を選ぶようになった。もっとも、同様にアルプスの景色と人々を描いたセガンティーニと比べると、キルヒナーは農民や牧人など地元の働く人々を主題としていないようだ。キルヒナーは宗教的題材を選ばなかったし、女性ヌードを多く描いた点でもセガンティーニとは異なる。                                                                                                                                                                                                                                     キルヒナー美術館にはダヴォス時代の作品が20点ほど展示されていた。「山のアトリエ」(1937年)はキルヒナー自身のアトリエだろう。壁に絵画がかけられ、一瞬、隣の部屋かと思わせる。「バルコニー」(1935年)の背景はダヴォスの町だ。「スタフェ・アルプスに登る月」(1917年)、「冬の月夜」(1919年)、「黒猫」(1924年)、「乗馬する女性」(1931年)、「アーチェリー」(1935-37年)。                                                                                                                                                          おもしろかったのは、「3人の老婦人」(1925/26年)だ。110✕130cmの作品だが、中央に3人のコートを着用した老婦人が並んで立っている。背景は特定できないが、ダヴォス周辺の山だろう。左上に小さく描かれた山はアルプスを意味している。3人の老婦人のポーズは単に立っているだけ。いずれも黒いコート姿。帽子も同じ黒だが、形が違い、一つはつば広だ。そして、3人の顔つきと表情が描き分けられている。いったい何を意味しているのか。老女たちの人生や物語があるのだろうか。キリヒナーは何を意図したのか。いろいろ思案したが、わからなかった。ところが、受付で販売している絵葉書の中に、「3人の老婦人」のモデルの写真が売られていた。マルグレート、ドローテ、エルスベート。なんと、まったく同じだ。背景は違うが、3人の老婦人のポーズ(コートだけでなく、手の位置も)、帽子、顔つきと表情も、写真をそのままえがいている。これには笑った。キルヒナーは特に何かを意図して顔つきや表情を選択したのではなく、モデル写真そのままに描いただけなのだ。まいった。キルヒナー、深い。                                                                                                                                                 若い時代、1912年に「青騎士」に出品していたので、パウル・クレーとの距離が気になった。当時は出会っていないようだが、美術館に掲示された年譜を見ると、1930年代半ば、つまり晩年にクレーの展覧会を見にいって、批評をしたと書いてあった。ナチス・ドイツによる「退廃芸術展」でも、クレーとキルヒナーはやり玉にあげられた仲間である。ともに、ナチスに迫害され、キルヒナーは1938年、クレーは1940年に世を去った。クレーはナチスとの精神の闘いの中、天使シリーズを遺した。キルヒナーは残念ながら自殺に追い込まれた。