木村朗・野平康博編著『志布志事件は終わらない』(耕文社、2016年)
<2003年春の鹿児島県議選ででっち上げられた冤罪事件=志布志事件。2016年8月「叩き割り」国賠訴訟が終結、すべての裁判で住民側が勝訴した。だが、捜査・取調べ・長期の裁判で塗炭の苦しみを受けた被害者への謝罪はない。
事件の概要、刑事弁護活動の実際、元警察官による判決の分析、「住民の人権を考える会」をはじめ支援者の取組み、議会での追及などを詳しく掲載、年表や意見陳述書もフォローし、事件の全体像と本質を描き出す。
同時に、殺人・死体遺棄の無実の罪を晴らすために闘う最高齢の再審請求人・原口アヤ子さん(大崎事件)にも論及。
他方、今春の刑訴法改「正」では、取調べの可視化は一部に限られ、盗聴対象事件は拡大、あろうことか司法取引さえ導入された。志布志事件を問い直す中、日本の刑事司法の闇を抉り出す。>
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志布志事件は事件の真相を見誤って無実の市民を逮捕した事件ではない。鹿児島県警による事件捏造である。事件そのものがなかったことを知りながら、事件があったことにしてしまう。
その上で、無辜の市民に自白を迫り、身柄拘束し、起訴に持ち込む。多くの市民の日常生活を破壊し、人生を破壊する。警察だけではない。検察も裁判所も恐るべき無責任ぶりを発揮する。無責任はいつものことであって、いささかも驚く必要がない。いつものようにいい加減に逮捕・勾留を認め、起訴を認めて、長期の公判に市民を縛り続ける。2003年の事件だが、刑事事件及び民事事件がすべて終了したのが2016年のことである。しかも、真相は明らかにされず、責任者は逃げ続けた。その意味で事件は終わっていない。
本書は志布志事件の闇を明るみに出すために共闘した弁護士、学者、ジャーナリスト、支援の市民の記録であり、事件に巻き込まれた当事者の声である。
志布志事件を終わらせるためには、冤罪多発の警察捜査や検察、裁判所の体制を改める必要がある。しかし、2016年の刑事訴訟法改正は、捜査機関の権限を拡大する改悪であった。
志布志事件を終わらせるためには、捜査機関の手先となるマスコミ報道を改める必要がある。真相に迫ろうと闘うジャーナリストはいるが、企業メディアの多くは捜査機関に踊らされてしまう。
現実は志布志事件の繰り返しを予告し、志布志事件の頻発さえ危惧される。この現実と闘うために必読の書である。