札幌(12.17)での「平和への権利がやってきた」集会終了後の2次会懇親会の席で話題になったので思い出しました。
平和への権利宣言国際キャンペーン日本実行委員会の中で、「平和への権利という表現は平和権としてはいけないのか。端的に平和権と言った方がわかりやすいのではないか」と語られたことがあります。平和への権利を本のタイトルにも使ってきたので、それっきりにしていました。
頭の片隅に引っかかっていたのですが、見つけました。
*
川本兼『平和権』(すずさわ書店、1995年)
*
戦後50周年の時期に、それを意識して書かれた本です。95年12月の出版。
*
帯の惹句:「平和は人間の基本的権利だという思索上の<発見>がまったく新しい「現代革命」への展望を切り拓く。戦争論に一石を投ずる市民必読の書!」
*
2012年1月に転居した際に、自宅の大半の本を処分した私ですが、本書は書棚に残っていました。捨てる気にならなかった本の1冊ということになります。なお、著者には、『国家は戦争をおこなっていいのだろうか』という著書もあるそうですが、それは読んでいません。
社会党論のような時論の部分はいささか古びています。また、「第4章 平和の思想は日本人から生まれる」には説得力が全くありません。「第13章 新国歌を制定しよう」も、なんだかな~~と思います。ただ、本書の基本的発想はいまでも検討に値するのではないかと思います。例えば、「現状維持のための平和論」を批判し、「変革のための平和論」を唱えています。
私の言葉では、「平和は守るものではなく、つくるもの」です。もとは沖縄の平夏芽さんの言葉。私は無防備地域宣言運動の中でずっとこの主張をしていました。
さらに私の『軍隊のない国家』や『9条を生きる』の中では「9条は守るものではなく、使うもの」とか、「今から9条をつくるくらいの気持ちで平和運動を」と言ってきました。その延長で平和への権利宣言運動に加わりました。
もしかすると、川本兼さんの主張がかすかに頭の中に響いていたのかもしれません。
*
目次
第1章
途中経過のない平和運動
第2章
戦争体験は風化する
第3章
平和憲法は「普通の国」をもとめる圧力に耐えられるか
第4章
平和の思想は日本人から生まれる
第5章
平和のための革命
第6章
革命は基本的人権でしめされる
第7章
もはや国家は自衛権をもたない
第8章
軍隊の空洞化――民衆による軍縮
第9章
平和のスケジュールをつくろう
第10章 社会党が「非武装中立政策」を放棄したのは歴史的必然だった
第11章 革新の意味の変化と平和のための新政党
第12章「反徴兵法」の制定運動
第13章 新国歌を制定しよう