Tuesday, January 03, 2017

川崎市ヘイト・スピーチ報告書を読む(1)

2016年12月27日、川崎市人権施策推進協議会は、優先審議事項報告書「ヘイトスピーチ対策に関する提言」を市長に提出した。その提言及び部会報告が川崎市のウェブサイトに掲載されている。
ヘイト・スピーチに関する地方自治体の報告書としては、大阪市審議会報告書に続く2例目であるが、川崎市報告書は大いに注目するべき重要な内容を含んでいる。
大阪市報告書は、ヘイト・スピーチの規制はできないという基本姿勢を打ち出して、事前規制も事後規制も否定し、せいぜいヘイト・スピーチを行った者の氏名公表といった内容しか含んでいない。ヘイト・スピーチの被害実態を軽視しているだけでなく、その憲法解釈は、非常に歪んだ最高裁判例の読み方を根拠にしている。地方自治体レベルでは初めて公表された大阪市報告書がこのような内容だったことにより、全国の自治体には、ヘイト・スピーチの規制はできないという誤った観念が広がり、その後のヘイト・スピーチの悪化をもたらしたと言って過言でない。その意味で大阪意見書の罪は重い。
川崎市意見書は、大阪市意見書にとらわれることなく、ヘイト・スピーチの実態を把握し、憲法及び国際人権法に立脚して検討を加えることによって、重要な問題提起を行っている。
1.提言の概要(1)
今回の川崎市意見書は、その前提として、「川崎市でのヘイトスピーチ、ヘイトデモは在日コリアンなどマイノリティの尊厳を根底から損ない、多文化共生社会の推進に取り組んできた川崎市ひいては川崎市民全体に向けられた差別的言動である」とする。「マイノリティの尊厳」及び「多文化共生社会」をキーワードとしていることが重要である。
「提言」は、川崎市が取り組むべき事項を3点にまとめている。
第1は、「公的施設の利用に関するガイドラインの策定」である。
まず、「ヘイトスピーチによる市民の被害を防止するため、市が所管する公的施設(公園、市民館等)において、ヘイトスピーチが行われないよう対処する必要がある。/そのためには条例の制定又は改正をすべきであるが、当面は、各施設の既存の条例の解釈を明確化すべく、早急に、公的施設の利用に関するガイドラインを策定する必要がある。」とする。
すなわち、公的施設の利用については、憲法及び地方自治法の観点から許可を原則とするべきだが、「不当な差別的言動が行われるおそれが客観的な事実に照らして具体的に認められる場合」については、不許可とすべきであるという。その判断に際しては、客観的な基準が必要であり、ガイドラインを速やかに策定する必要がある、と提言する。
その基準として、「提言」は「不当な差別的言動が行われるおそれが客観的な事実に照らして具体的に認められる場合」とし、より具体的なガイドラインを作るように提言している。そのために必要な要素を別表に掲げるとともに、規制対象や手続きの明確化の方向性も示している。
「ガイドラインに盛り込むべき要素」としては、目的、定義、具体的な解釈、具体的な手続き、利用制限の種類、利用許可の取消、第三者機関的なしくみづくり、を掲げている。さらに、定義や第三者機関について留意事項を付している。
2.「部会報告」の概要(1)
 上記「提言」のもとになった「部会報告」では、次のような基本認識が示されている。
 「公的施設の利用については、憲法及び地方自治法などの観点から許可を原則とすべきである。しかし、人種差別撤廃条約及び「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(以下「ヘイトスピーチ解消法」という。)」の趣旨から、「不当な差別的言動が行われるおそれが客観的な事実に照らして具体的に認められる場合」については、不許可とすべきであるが、そのためには、客観的な判断の拠り所となる何らかの基準を作ることが考えられる。ガイドラインを速やかに策定する必要がある。」
 その上で、「市民館の一室や市の公園などの公共施設でヘイト集会が行われることが疑いなく明白な場合にその利用を許可することは、市が差別行為を承認したことになるので、基準を明確化した上で、不許可とすべきである。また、そうした集会が公然と行われると、マイノリティがその施設を利用できなくなるなど、悪影響が大きい。」との立場を明確に示している。
 また、「川崎市は多文化共生社会実現のための施策に取り組んできたこと、この川崎においてヘイトスピーチが行われ、実際に川崎市民に被害者が出ていること、川崎市の公的施設においてヘイトスピーチが行われることが客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測されたことから市長が利用を不許可としたこと、今後いつ同様な利用申請が出されるかわからないこと、などを考慮して、ヘイトスピーチに対しては公的施設の利用を制限するというガイドラインを設けることは、ヘイトスピーチ解消法第4条第2項に言う『当該地域の実情に応じた施策』であると言えるだろう。」との補足説明も重要である。
 「部会報告」は、定義、第三者機関、手続きについてより詳しい記述をしている。特に注目すべきは、次の一節である。
「第三者機関の審査の方法や基準をあらかじめ定め、市民等に公表する必要がある。その際には、国連人種差別撤廃委員会の一般的勧告35(2013年)の15項に掲げられる文脈的要素(「スピーチの内容と形態」「経済的、社会的および政治的風潮」「発言者の立場または地位」「スピーチの範囲」「スピーチの目的)や国連人権高等弁務官年次報告(2013年)付録「ラバト行動計画」29項に掲げられる6要件(「文脈」「発言者」「意図」「内容と形式」「言動行為の範囲」「切迫の度合いを含む、結果の蓋然性」)が参考になるだろう。」
3.コメント
川崎市意見書は的確な提言である。ここまで踏み込んだことに、いささか驚きを感じるほどだ。川崎市人権施策推進協議会の委員たちに感謝したい。
多くの憲法学者や弁護士たちが「公的施設の利用を拒否することはできない」と断言してきたのに対して、私は逆に「ヘイト集会に公的施設を貸してはいけない」と主張してきた。山形県や門真市は施設利用を却下したが、その後、ほとんどの自治体が「拒否することはできない」と結論付けた。大阪市意見書や多くの憲法学者の意見に従ったからである。しかし、川崎市意見書は、一定の場合に「不許可とすべきである」と明示した。非常に大きな前進である。
私の個人的感想として、もっとも重要な2点を、記しておこう。
第1に、川崎市意見書は、最高裁判決(泉佐野事件、上尾事件)に言及していない。
大阪市意見書は、集会のための公的施設の利用について、参考判例として最高裁判決(泉佐野事件、上尾事件)を掲げ、これによればヘイト・スピーチが行われる恐れがあるからと言って利用を不許可にすることはできないとした。憲法学者や弁護士の中にも同様の見解を唱える例が多い。
しかし、泉佐野事件や上尾事件の事実認定を見れば、ヘイト・スピーチとは何の関係もない事案である。そこで問われているのは暴力行為であり、公共の平穏侵害である。ヘイト・スピーチ事案であっても、カウンター行動を行う集団が登場することによって類似の状況が生まれることがないとは言えないかもしれないが、基本的には異なる事案である。ヘイト集会のための公的施設の利用に関する最高裁判例はない。私はそのことを指摘する論文を書いてきた。
にもかかわらず、大阪市意見書の記述は、全国の自治体やジャーナリストに圧倒的な影響を与えた。各地の自治体が、私の主張を却下してきた。2015年の東京弁護士会の意見書も、大阪市意見書に影響されたのであろう、同じ前提に立っている(ただし、そこから一歩踏み込んで、より優れた結論に至っている)。
この点を、川崎市意見書はどのように扱うのだろうと、半ば不安に思い、半ば期待していたのだが、川崎市意見書は、最高裁判例に言及しなかった。単に無視したわけではなく、「不当な差別的言動が行われるおそれが客観的な事実に照らして具体的に認められる場合」という表現で最高裁判例の趣旨を活かして、より具体的なガイドライン作りにつなげたのである。
最高裁判例の射程をどのように解釈するかは、残されている。私の解釈も、さらに詰める必要がある。
第2に、「部会報告」は、人種差別撤廃委員会の一般的勧告35(2013年)及び国連人権高等弁務官年次報告(2013年)付録「ラバト行動計画」に言及している。自治体の意見書に一般的勧告35やラバト行動計画が記されたのは初めてではないだろうか。この点も川崎市意見書を高く評価すべき理由である。
私たち、人種差別撤廃NGOネットワークに結集したNGO、市民、研究者は、一般的勧告35やラバト行動計画の重要性を主張してきた。それが報われたことになる。私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』においても一般的勧告35やラバト行動計画を詳しく紹介している。ラバト行動計画の翻訳にかかわった者の一人として大いに喜びたい。
ラバト行動計画