Monday, January 30, 2017

大江健三郎批評を読む(6)大江文学に内在する矛盾

小森陽一『歴史認識と小説――大江健三郎論』(講談社、2002年)
2001年の9.11を体験した文学の可能性を問うために書かれた文芸批評である。
大江の当時の最新作『取り替え子』を素材に第一章「固有名と星座」を論じ、そこから大江作品を遡って、第二章「百年のみなし子」で『万延元年のフットボール』、第三章「千年の交渉者」で『同時代ゲーム』、第四章「『蹶起』と『根拠地』」で『懐かしい年への手紙』を論じている。つまり、当時の大江文学の到達点である「根拠地」の歴史性を、丁寧にたどる試みである。
第一の層が、大江の個人史とその直接の背景となる戦後日本の現代史である。第二の層は、百年単位での日本史である。1860年のフットボールと1960年の安保闘争である。第三の層は、小森によれば「千年」ということになるが、谷間の森の古層に蓄積された記憶と伝承である。これら全体をゆきつ戻りつしながら、時代の必然としての「蹶起」と、時代への対抗としての「蹶起」の間で、人間模様を照らし出す。大日本帝国と日本国家の関係を編みなおす試みでもあるだろう。同時に、「政治的人間」と「性的人間」の関係を問うことでもある。
大江文学に向かう場合、どうしても個人史と小説の関係を「私小説」と似て非なる大江文学の固有の文体と方法論に即して考察しなくてはならない。小森はそのことに自覚的であるが、ここでは息子の光を中心とした大江家族の事情をいったん外において、「歴史認識」に焦点を絞っている。大江が小説の方法で批判的に検証した現代史を、小森が文芸批評の方法で批判的に検証する。読んでためになる評論だ。
いささか疑問なのは「あとがき」において、小森が「最もショッキングだった」こととして紹介しているエピソードである。大江は「戦後民主主義をポジティブに押し出す立場でやってきた」が、他方で「超国家主義的なものに引きずられやすい」、そのため「超国家主義をアイロニーとして書いた」という。小森はこのことがショッキングだったと言うが、不思議である。これは大江の読者にとってはむしろ常識的なことではないだろうか。戦後民主主義の大江文学に天皇的なるものが内在し、大江自身がそれと格闘してきたことは、文芸評論を待つまでもなく、一般の読者にとって常識的なことであろう。小森の本文の分析がためになるにもかかわらず、あとがきの述懐は理解しがたい。
ここでの大江の矛盾は、実は大江固有の矛盾ではないし、難しい話でもない。戦後民主主義そのものの矛盾であり、日本国憲法の矛盾である。
アジア太平洋戦争への反省に立ったはずの日本国憲法だが、植民地主義への反省が十分ではないこと。
絶対天皇制を否定はしたが、天皇制を象徴天皇制として残したこと。
日本国憲法がかつての絶対天皇制から象徴天皇制の頂点に自動的に移動した同じ人物によって宣布されていること。
憲法第一条において、「天皇と国民」とが安直に野合していること。
そして、憲法第一〇条において、「国民」の規定性と無規定性が、国民ならざる者の徹底排除として成立していること。
つまり、日本国憲法とは他者に対するむき出しの暴力であったこと。こうしたことを知るものならば、日本国憲法と戦後民主主義が孕む矛盾を大江が見事に体現していたことは容易に理解できることである。
日本国憲法を平和憲法、民主主義憲法、立憲主義憲法と称して寿いできた憲法学者の多くが、レイシズムとヘイト・スピーチを必死になって擁護してきたのは、まさにこのためなのだ。小森にはそれが見えているだろうか。