Friday, September 12, 2014

大江健三郎を読み直す(28)作者の想像力と読者の想像力

大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(新潮文庫、1975年[新潮社、1969年])
『万延元年のフットボール』から『洪水はわが魂に及び』に至る過程での、中編と短編を構成してひとつながりの作品としたものだ。詩人となることを断念した大江自身が書いた「詩のごときもの」を核として書かれた3つの短編「走れ、走りつづけよ」「核時代の森の隠遁者」「生け贄男は必要か」。そして、オーデンとブレイクの詩を核とする2つの中編である「狩猟で暮らしたわれらの祖先」「父よ、あなたはどこへ行くのか?」。
障害を持って生まれた息子と大江と妻の苦闘する生活世界。核時代の狂気と絶望を前に生き延びようとする思想。外部から襲いかかる不条理。文芸評論家の渡辺広士は「大江健三郎が見つめる問題は、この時期に、ますます複雑で、内的で、難解晦渋なものとなってきたということである。人間内部の暗い深層の次元に属し、しかも一つの答えを得ることのできない両義的な問題に、足を踏みこんでいる小説家がここにいる」と言う。
さまざまな読みが可能な作品だが、現在から振り返ると、やはり父と大江、大江と息子の3代にわたる「父と子」のテーマが浮かび上がる。晩年の最新作『水死』にまっすぐつながっているからである。

学生時代に読んだ時には、本作以後の作品を読んでいなかったので、「父と子」のテーマをさほど意識せずに読んだ。むしろ、『万延元年のフットボール』に登場したシチュエーションとしての四国の森の奥や、登場人物としての隠遁者ギーに関心を向けながら読んだように思う。そして<核時代>と、<四国の森の奥>、<森の力>との対比が分かりやすかったし、それが一貫した大江世界となっていく。次への一歩を意識的に模索し、さまざまなアンテナを張り巡らした大江の実験が、読者の想像力を上回っていたことを確認できる作品だ。